年末、駆け込みで、流山おおたかの森のシネコンで映画2本。
「ダーク・ウォーターズ」とテフロンフライパン
トッド・ヘインズ監督だから一応見ておくか、って感じで見に行ったのだが、
まじか?
テフロンのフライパンって、20世紀には普通に使ってたのよね。
そういや、テフロン加工のフライパンって、ある時期から全然見なくなった。
それって、こういうことだったのか、と今にしてわかる。
いろいろ「MINAMATA」とかぶる。主演が製作も兼ねているとか。
それにしても、キネ旬のこの映画の特集見たら、21歳の女子大生と男性大学助教が書いていて、内容は監督論で、テフロン問題とか全然なし。
まあ、21歳の女子大生と、おそらくは30歳かそこらの男性大学助教じゃ、テフロンフライパンとか全然意識ないよね。お母さんがテフロンフライパンで料理したものは食べてたかもしれないけど。21歳女子大生だとそれもないかも、
あるいは、料理しない年配男性もわからんかもね。
でも、テフロンフライパンで何度も何度も目玉焼き作っていた私は、マーク・ラファロの弁護士が夜中に台所で調べているシーンがよくわかる。
テフロンフライパンって、使っているうちにはげてきて、焦げ付くようになるのだよ。
でも、今売ってる、焦げ付かないフライパンって、テフロンに比べると焦げ付くし、きれいにするのも大変。テフロンって、ヤバイけど、確かに汚れは落ちやすかった。
ああ、そういう観点から見てはいけないのかね、この映画。
演出は、主人公の妻の描写がヒステリック女にしか見えないとか、その辺は問題ありだと思いますが、地道によくできた映画です。
でもって、キネ旬は「MINAMATA」についての言いがかりのような見解を結構載せてるのですが、もしも「MINAMATA」を、こむずかしげな監督論だけで特集したら問題になるよね。
そういう違いを感じちゃうんだよね。
まあ、それだけ、テフロン問題って、映画マスコミじゃどうでもいいことなのか。
まあいいけどさ。
星取り評の方がまともな意見が多かったです。
そして、「ディア・エヴァン・ハンセン」
ロッテントマトで批評家の評価がかなり悪かったので、見てなかったのだが、やっぱり気になる映画なので、遅ればせながら見に行った。
いい話なのだが、映画としてのまとまりが悪いので、冗漫な感じになっている。これではトマトで低評価なのも当然。
たぶん、舞台のミュージカルの方がずっと出来がいいのだろう。
自殺したコナーという少年について、親友だと誤解されたエヴァンが、幼い頃に父親は家族を捨て、母親は看護師としての仕事に忙しく、自分が顧みられていない。が、コナーの親友だったと勘違いしたコナーの両親(母親と義父)は彼を息子のように扱う。しかも、コナーの妹はエヴァンがひそかにあこがれていた少女で、エヴァンはどんどん嘘の罠にはまっていく。
アメリカの高校生は抗うつ薬を飲んでるとか、日本だとひきこもりや登校拒否になるところを、アメリカでは薬やセラピーでなんとかしようとしてるんだな、と思うが、一方、そういう悩みを持つ少女が募金で何かをやろうとしているとか、この辺が日本と違うな、と思った。
また、SNSでの拡散の影響の大きさ、怖さも描かれている。
結局、エヴァンは真実を話し、コナーについて調べるのだが、その結果、やたら人に突っかかるだけの迷惑男だったコナーが、実は違う面があったという映像が手に入る。そして、募金で再建されたコナーの好きだった果樹園が両親を救い、他の人々の希望にもなる、という結末なんだけど、
でも、結局、コナーのことは何もわからないんだよね。
いろいろ、いろいろ、いろいろ、たくさんあったけど、
エヴァンはコナーの愛読書、「猫のゆりかご」や「星の王子様」や「レディ・プレイヤー・ワン」や「依頼人」といった本を次々と読破して、ネットでコナーのことを知っている人を探して、あの映像と果樹園にたどり着くのだけど、でも、コナーのことは何もわからないまま終わる。
そのことを思うと、それまでのことがむなしくなってしまう。
エヴァンは木から落ちたのは、実は自殺未遂で、エヴァンが自分に書いた手紙がコナーの心に響いたのだということ、2人は似たもの同士だった、ということはわかるのだが、エヴァンの手紙を読んで、コナーが自殺を決意してしまったという面もあると思うのだが、どうなのだろう。
いろいろ考えさせる映画ではあった。