この映画、見に行く気がなかったのだけど、グレアム・スウィフトが原作で(読んでない)、コリン・ファース、オリヴィア・コールマン、グレンダ・ジャクソンが出ているし、MOVIX無料回だったから見に行くことにした。
正直、無料じゃなかったらかなり後悔しただろう。原作はたぶんいいのだろうと思うが。
ネットの評価を見ると、ロッテントマトが77%、10点満点の6.9点。日本の映画サイトの一般の評価も5点満点で3.5点前後と、同じような感じ。
80年代から2000年代前半くらいまではこの手のイギリス・アッパークラスものは必ずといっていいほど見ていたし、原稿依頼も多かった。しかし、その後、しだいに見なくなっていった。
なんでか。優れた映画がおそらく少なくなったのだ。
かつては原作にひけをとらない優れた映画化が多かったと思い知った。
この映画も原作はたぶん優れているのだろうけど、映画はダメ、と思わせられた。
脚本も演出も下手で、主人公の2人の男女、特に女優が裸でいるシーンが多くて、彼女の存在感で持っているみたいなところがある。ベテラン3人のオスカー俳優は存在感がない。久々のグレンダ・ジャクソンはがっかりレベル。
解説等にちらっと書かれている後半の事件は何かとか、映画の最初に言われる馬の4本足の3本は持ち主の家の兄弟だが、あと1本は誰かという問いとか、すぐに答えがわかってしまうので、謎も緊張感も意外性もない。
3つの時代が交錯するのも、ああ、「つぐない」はよかったなあと思うばかり。
第一次世界大戦で多くの若者が亡くなって、ここに登場するアッパークラスの2つの家の息子たちもほとんど死んでしまい、唯一生き残ったポールと、もう1つの家でメイドをするジェーンがひそかに恋に落ちているが、ポールには婚約者がいる、という設定。婚約者がいなくてもメイドと若旦那の結婚はむずかしいでしょう。18世紀に「パミラ」というメイドと若旦那が結婚する小説があったとはいえ。
ポールの両親とジェーンの雇い主夫妻ともう一つの家の人々が集まっている間にジェーンとポールがポールの家で密会するのだが、集まりにはポールの婚約者がいて、ポールは遅れていくことにしている。
この集まりと恋する2人のシーンが交互に出てくるが、どうも婚約者の方もポールを愛していないみたいだ。おそらく家の都合での結婚だろう。昔は身分の高い人はこれが普通。
ポールははやがて集まりに出かけ、ジェーンは裸で図書室を歩き回ったりケーキを食べたりして雇い主の家に戻ると、ポールが自動車事故で死んだとわかる。雇い主は自殺を疑っているようで遺書がないか調べるみたいなことを言うが(遺書とははっきり言ってないが)、結局何も見つからず、事故ということになる。
ジェーンが一人でポールの家にいるとき、電話がかかってくるが、当然とらない。それがジェーンの心に尾を引くシーンがあるが、この辺どうも演出が下手なので効果的でない。
ポールは婚約者と結婚するのがいやで自殺したのかもしらんが、ジェーンはこれを糧として作家になる。が、この作家になる過程の描写が下手で現実感がない。年をとって大作家になったシーンになるとますます実感がなくとってつけたよう。
「高慢と偏見」を見るとわかるように、イギリスのアッパークラスは財産は男子しか継げない。それも長男のみ。長男が死ぬと次男、となり、男子がいなければ親族の男子が継ぐ。ジェーンの雇い主の家は息子がみな死んでいて、この家は親族が継ぐことになるだろう。そして、唯一生き残った息子のポールが死んで、ポールの家も親族が継ぐことになる。
一方、孤児院育ちで(ジェーンという名は孤児院育ちのジェーン・エアを連想)、ロウワー・ミドルクラスのジェーンは作家として成功するから、アッパークラスの没落とロウワー&ワーキングクラスの勃興という時代の変化を示しているはずなんだが、それも演出が下手というか、監督、フランス人らしいけど、その辺わかってないか、さもなきゃどうでもいいかなんでしょうね。こういうところが決定的にダメ。
かつてのイギリス・アッパークラスものって、こういうところがしっかりしてたというか、アッパークラスへの批判がしっかりあった。ジョセフ・ロージーの「恋」とかジェームズ・アイヴォリーの「日の名残り」とかそういうのがしっかりあって、なおかつ映像が美しかったり、演技がすばらしかったり。
「ダウントン・アビー」とかはしっかりしてそうだが、あいにく見てない。
エンドロールを眺めていたら、エチケットコーチというのがあった。アッパークラスのエチケットを監修する人だろう。
とりあえず、原作を図書館に予約中なので、そちらに期待。