流山おおたかの森で「スペンサー ダイアナの決意」を見たあと、東武線で2駅の柏で「ピアニストを撃て」を見た。
「スペンサー」は、映画が終わったあと、通路を歩くシニア夫婦が、「こんなつまらない映画を見たのは久しぶり」「ネタにもならない」と会話していたが、反論できない。
クリステン・スチュワートの演技は絶賛されているものの、映画自体は評判悪かったので、あまり期待はしていなかったが、予想以上のつまらなさ。
最初に、「真実の悲劇の寓話」という文字が出る。「寓話」ということは、これはフィクションってことで、「実話に基づく」でさえないのだとわかる。夫の不倫に悩んでいた時期のダイアナ元妃というのだけが実話で、あとは創作、と見ていいだろう。
邦題には「決意」という言葉があって、離婚の決意をする話みたいだけど、実際は離婚の決意には見えない。1991年のクリスマスが舞台で、翌年別居したらしいけれど、ヘレン・ミレン主演の「クイーン」のような、主人公が何かを悟り、決意するみたいなシーンはない。そのくせ最後に、仲のよいメイドの「あなたは私だけでなく、みんなに愛されています」というメッセージを出して、あの「クイーン」の結末みたいにしているのが大いに疑問。
タイトルがなんで「スペンサー」かというと、結婚前のダイアナ・スペンサーだった自由な時代をなつかしんでいるからなのだ。
エリザベス女王ご一行がダイアナの実家スペンサー家の近くの別邸でクリスマスをすごすのだが、このクリスマスのイベントが因習と伝統にがんじがらめにされたもので、暖房は入れない、最初に体重を計る、やたらしきたりが多くて、それに従っているかどうかをいちいち見張られている、といった不自由きわまりない世界で、もともと夫の不倫に悩んでいるダイアナがそれでさらに心を病んでいく、という物語。
しかもこれを仕切っている男がいやなやつで、ヘンリー八世の2番目の王妃で、処刑されたアン・ブーリンの伝記をわざわざダイアナに見えるように置いておく。アン・ブーリンはスペンサー家とつながりがある女性らしいのだが、ヘンリー八世はバチカンに逆らってまで最初の王妃と離婚してアンと結婚したのに、今度は別の女性が好きになってアンが邪魔になり、処刑してしまった、ということで、ダイアナは自分をアン・ブーリンになぞらえる。
ダイアナはかかしが着ていた父親の古着を別邸に持って行ったり、廃墟と化した実家の屋敷に忍び込んだりして、少女時代を回想する。つまり、結婚前に戻りたいわけで、だからタイトルは「スペンサー」なのだが、(ネタバレ)最後、キジ撃ちに駆り出された息子2人とともに別邸を出ていき、ケンタッキーフライドチキンを電話で注文したときに名前を聞かれて「スペンサー」と答え、息子2人とチキンを食べるという結末が、私にはインチキ臭く感じるのだ。
ダイアナは王室に合わなかったが、それでも彼女は貴族の令嬢であり、庶民ではなかった。それをまるでダイアナは庶民だから王室に合わなかった、みたいになっているのだ。
ダイアナが妄想にとらわれたり幻覚を見たりするシーンが多いが、それでダイアナという人間を十分に描いているとはとても思えない。スチュワートは熱演しているけれど、そのファッションや髪型、表情などがどうも生身の人間というよりはグラビアアイドルみたいで、彼女の苦悩もグラビア写真にしか見えなくなる。
夫チャールズも(ネタバレ)最後は実はいい人だとわかったり、仲のよいメイドがダイアナに恋心を抱いていると告白したりとか、周囲の人物もまったく深堀されておらず、ダイアナと他の人との葛藤とかが具体的に描かれていないのだ。だからダイアナが勝手に一人で妄想しているだけに見えてしまう。
しかしまあ、死人に口なしだけど、こういうふうに描かれたらダイアナはどう思うだろう、という気はする。チャールズとかエリザベス女王とか、無難な描き方で、特に悪役になってないのは本人に遠慮してだろうし、悪役になってる仕切り役の男とかは架空の人物だろうしね。
通路に出たら、ちょうど「君の名は。」が始まるところだった。ここのIMAXはまだ見てない。グッズ売り場に寄ってみると、「君の名は。」と「天気の子」のグッズがいろいろあった。UC松戸はクリアファイルくらいしかなかったのに、さすがTOHO。
そして、柏のキネマ旬報シアターで「ピアニストを撃て」。
この映画、トリュフォーの未見作品の中では一番気になっていた。でも、見てみたら、あまり肌に合わなかった。最初のエピソードとか、普通の映画じゃあまりないような描写がいろいろあって、この辺がヌーヴェルヴァーグという感じはしたのだけど。男が女を殴るシーンがやたら多いのが気になった。ギャングと隣り合わせのような世界からクラシックのピアニストになった男が、結局、もとの世界に戻っている、みたいな感じはわかった。