http://bookjapan.jp/search/review/201102/shindou_junko/20110209.html
マイケル・フレインの戯曲「コペンハーゲン」についてです。
(リンク切れのため、次のサイトでお読みください。http://sabrearchives.blogspot.jp/2015/02/bookjapan_94.html)
正直、ハイゼンベルクについて、公の場所で文章を発表できる日が来るとは思いませんでした。書評の中で書いたように、私がハイゼンベルクと不確定性原理に出会ったのは1970年代末。あの頃はみすず書房からハイゼンベルクの著書の翻訳がたくさん出ていたものです(今は、大書店へ行っても「部分と全体」すら置いてないのに驚く)。
もともと理科、特に物理が大の苦手だった文系人間なので、別にそれで何かするという気持ちはなく、年がすぎ、やがて、書評の冒頭にある1994年が訪れます。その年、読んだ分厚い2冊の本、ハイゼンベルクの伝記とノンフィクションは、あまりにも面白く、しかも深く考えさせるものだったので、私は大量の文章をワープロ専用機でしたためました。ウィンドウズ95が登場する前の時代、パソコンは一般にはまだ普及していませんでした。そのとき書いた文章はフロッピーディスクに保存されていますが、ワープロ専用機はすでになく、フロッピーも古い2DDというやつで、あ、いまやフロッピー自体が過去の遺物か。とにかく、それを読み返そうと思ったら大変な手間が必要なので、ほとんどあきらめているのですが、当時も(すでに映画評論家になっていた)私がこのようなテーマについて書くチャンスはありませんでした。
ただ、伝記はまだ翻訳が出ていなかったので、自分が訳したい、とひそかに思ってはいましたが、量子力学についての難解な解説や数式が多いのでとても無理とあきらめていたところ、ある出版社の編集者から、そういう部分を省略して出せないかと言われました。しかし、この伝記では物理学の部分は他の部分と切り離すことができない重要なものだということは、理系の苦手な私にもわかりました。やがて、この伝記は、数名の物理学者たちの共訳として、白揚社から世に出ました(店頭で手にとってみたものの、中は読んでいません)。
その後、私はまたハイゼンベルクから離れ、フレインの劇が日本で上演されたときも興味を持たず、劇書房から戯曲の翻訳が出たのも知らず、そしてあの2冊の分厚い本を読んでから16年がたって、劇書房の翻訳を再刊したハヤカワ演劇文庫にめぐりあったのです。
ハイゼンベルクのあの部分をドラマ化するという点については、私はかなりの危惧があり、疑心暗鬼で読み始めたのですが、ページをめくってすぐに、これがあの分厚い2冊の本がもとになっているとわかりました。あとはもう、著者と私の共通体験です。そして、一読者で終わった私に比べ、こんなすばらしい劇を生み出した著者に、ひたすら畏敬の念を抱きました。
フレインの劇のおかげで、私は94年にフロッピーディスクに記録した大量の文章の一端を公にすることができました。もちろん、主役はフレインの劇であり、他のすべてはこの劇を生かすための助演者のつもりです。
最後に、パワーズの「なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか」は94年に福武書店から単行本で、翌95年にベネッセ(福武書店を吸収)から文庫で出版されましたが、フレインの劇にあわせて再刊されたことはないようです。フレインの劇の最重要参考書はこの本だというのに。不備なところのある翻訳なので、できれば完訳にして再刊してほしいです。一方、ハイゼンベルクの「部分と全体」は、劇のおかげで一時、よく売れたそうで、それは喜ばしいことです。