以前、よい書評の条件でほめた某さんの新しい書評が書評サイトに掲載されたのですが、地雷を踏んだとしかいいようがありません。
アンドレ・ジッドの「狭き門」はわかる人はわかるが、わからない人には絶対わからない本です。
私が読んだのは中学生のときで、私はわかる派でしたが、なによあれ、と怒ってる友人もいました。
私の親の世代に聞いたら、やっぱり同じ、つまり、わかる人はわかる、わからない人はわからない、だったので、昔からそうなのだと思います。
そして、わからない人の感想が全然面白くない、というのは、アマゾンのこの本の読者評を読めばわかります。ただ、某さんの書評で一番よくないのは、ジッドの意図をまったく理解していない、それどころか、ジッドの意図を曲解して変な結論を出していることです。
普通だったら、他の人の書いたものについて、こういうマイナスの意見をブログに書いたりはしないのですが、よい書評の条件で取り上げてしまったので、責任を感じて、書いています。書評をする本の選択を間違えない、ということも、よい書評の条件です。自分の感想を客観的に見て判断する能力も重要です。
もっとも、若いうちは、すばらしいものを書いたかと思うと、次は地雷を踏む、ということの繰り返しがあるのはいたしかたないことでしょう。私くらいの年齢になると、ブログのような私的なところならともかく、公のところで発表する文章は絶対にあるレベルより上でなければならない、上でないのに、そのことに気づかずに発表してしまったら、赤っ恥、ですから。
追記
「狭き門」について、検索をしていたら、個人のブログにこんなにも美しく、深い文章を見つけた。
http://d.hatena.ne.jp/kakashishiki/20080422/p1