今日はすぐ日が暮れてしまって、あまり写真は撮れなかったのですが、これはお寺の猫たち。門が開いているときと、閉じているときがあって、閉じた門のすぐそばに猫がいたので、パチリ。
いつものコースから墓地に入ると、早速、ヒナと呼ばれる白猫が餌をねだりに。月曜は雨がパラパラ降って、餌くれる人が少なかったのか、やたら猫が餌をほしがります。このときは本田と呼ばれているらしい猫や、新参の黒猫たちもいましたが、シャムくんはいなかった。
テリトリーを移動。途中、民家の窓のところに猫が。
別テリトリーでも猫は餌ほしがるので、しかたないから近くの店に行って買ってきたら、今度はぜんぜんほしがらない。どうやら、買いに行っている間に誰かが来て餌をあげたようでした。
それからまた、シャムくんのテリトリーへ戻ったら、今度はシャムくんがいて、なんと、私から餌を食べた! 近づくとすぐ逃げるので、なかなか近づけないシャムくんですが、このときはほんとに至近距離。でも、そのあとはまた逃げてしまう。シャムくんと一緒の黒猫の方は、体を摺り寄せてきて、こっちはもうぜんぜん馴れた感じ。もう暗くて写真が撮れなくて残念。
そして、帰りは久々に夕焼けだんだん。下の白猫はそれぞれ別の猫です。フラッシュ使っても驚きもしない猫たち。
2011年6月28日火曜日
2011年6月27日月曜日
だからどうした?
アカデミー賞最有力といわれながら、「英国王のスピーチ」に負けたデイヴィッド・フィンチャー監督の「ソーシャルネットワーク」をDVDで見た。
感想はひとこと。
だからどうした?
フェイスブックの創始者が実際はどういう人だったかは知らないし、最後の字幕にあるように、かなりのフィクションになっているのは明らかなようだけど、そのフィクションが、どうにも面白くない。
ハーバード大学の学生マークは女子大生にふられ、腹いせにハッキングした女子学生の写真を集めて、どっちが好きかコンテストを始め、それがきっかけでフェイスブックを創設、これが大ヒット、という話。
まあ、それはいいんですけどね。いかにも頭はいいけど心がガキな名門大学の学生って感じで。自分をふった女子からは、「あなたがもてないのはオタクだからじゃない、いやなやつだからよ」と言われたのがきっかけなんですが、確かにいやなやつです。自分が名門のハーバードで、女子大生がそれよりはレベルの低いボストン大学だからとばかにし、女子大生がドイツ系だからだとかなんとか言い、彼自身もWASPじゃないわけですが、まあ、WASPのお金持ちのハーバード大生なら、頭で思っても口には出さないよね(彼にフェイスブックのアイデアを持ちかける学生がこの毛並みのよいタイプで、そういう比較はよく出てますが、いかにも紋切り型)。
とにかく、そういう天才だけどいやなやつ、マークがたまたま考えたアイデアが大成功したという話なんですが、どこが面白いんだ? 最後に、訴訟で大金払って和解に応じることにした主人公が、「あなたはいやなやつじゃない、そのふりをしているだけ」と言われて、最初に女子大生に言われたこととここが呼応するわけですが、あまりに予定調和なんで、げんなりします。
この映画を見て、なんかすごいとか思っちゃう人って、要するに、こういう世界に疎い人なんでしょうか。あるいは、若者をばかにしているとか?
マークも他人をばかにしているけど、マークをこういうふうに描いたり、ネットの世界をこんな程度の話にしたりする人も、若者やネットをばかにしているんじゃないだろうか。
私は「英国王のスピーチ」も保守的な面があると批判的なことを書きましたが、それでも、オスカーはこっちへ行ってよかったと本気で思います。「ベンジャミン・バトン」といい、この映画といい、フィンチャーは世間受けする普通の監督に成り下がったように思います。
追記 映画館で見たら、DVDで見るよりはよく見えただろうとは思うけど、それでも、基本的なところは変わらない気がする。
「英国王のスピーチ」関連記事
http://sabreclub4.blogspot.com/2010/12/blog-post_25.html
http://sabreclub4.blogspot.com/2010/12/blog-post_27.html
感想はひとこと。
だからどうした?
フェイスブックの創始者が実際はどういう人だったかは知らないし、最後の字幕にあるように、かなりのフィクションになっているのは明らかなようだけど、そのフィクションが、どうにも面白くない。
ハーバード大学の学生マークは女子大生にふられ、腹いせにハッキングした女子学生の写真を集めて、どっちが好きかコンテストを始め、それがきっかけでフェイスブックを創設、これが大ヒット、という話。
まあ、それはいいんですけどね。いかにも頭はいいけど心がガキな名門大学の学生って感じで。自分をふった女子からは、「あなたがもてないのはオタクだからじゃない、いやなやつだからよ」と言われたのがきっかけなんですが、確かにいやなやつです。自分が名門のハーバードで、女子大生がそれよりはレベルの低いボストン大学だからとばかにし、女子大生がドイツ系だからだとかなんとか言い、彼自身もWASPじゃないわけですが、まあ、WASPのお金持ちのハーバード大生なら、頭で思っても口には出さないよね(彼にフェイスブックのアイデアを持ちかける学生がこの毛並みのよいタイプで、そういう比較はよく出てますが、いかにも紋切り型)。
とにかく、そういう天才だけどいやなやつ、マークがたまたま考えたアイデアが大成功したという話なんですが、どこが面白いんだ? 最後に、訴訟で大金払って和解に応じることにした主人公が、「あなたはいやなやつじゃない、そのふりをしているだけ」と言われて、最初に女子大生に言われたこととここが呼応するわけですが、あまりに予定調和なんで、げんなりします。
この映画を見て、なんかすごいとか思っちゃう人って、要するに、こういう世界に疎い人なんでしょうか。あるいは、若者をばかにしているとか?
マークも他人をばかにしているけど、マークをこういうふうに描いたり、ネットの世界をこんな程度の話にしたりする人も、若者やネットをばかにしているんじゃないだろうか。
私は「英国王のスピーチ」も保守的な面があると批判的なことを書きましたが、それでも、オスカーはこっちへ行ってよかったと本気で思います。「ベンジャミン・バトン」といい、この映画といい、フィンチャーは世間受けする普通の監督に成り下がったように思います。
追記 映画館で見たら、DVDで見るよりはよく見えただろうとは思うけど、それでも、基本的なところは変わらない気がする。
「英国王のスピーチ」関連記事
http://sabreclub4.blogspot.com/2010/12/blog-post_25.html
http://sabreclub4.blogspot.com/2010/12/blog-post_27.html
2011年6月25日土曜日
覇権争い
昨日までは猛烈な暑さで、風も強かったので、これは台風かな、と思ったら、やはり台風、来ますね。今日は気温も下がってしのぎやすくなりましたが、時々、雨がザーッと降ってきたりもするなか、1週間ぶりに猫スポットへ。
墓地入り口あたりで覇権争い(?)している猫たち。首輪をつけているのは前からいる飼い猫で、黒トラの方が新参の感じ。
このところ、ここへ来ると必ず会えるシャム猫。
こういう動きの写真も撮れるようになりました。
カラスをにらんでいるシャムくん。
追いかけてなおもにらむ。
そのあと、先住猫たちのいるところへ行くと、長老格(?)の黒茶猫が寄ってきました。
おまえ、生意気だぞ、って感じで
追い立てられてしまいます。この黒茶猫は私によくなついています。手前はヒナと呼ばれる白猫。
この2匹も覇権争いっぽい。
別のテリトリー。この3匹は仲良し。
今日はどの猫もさわると毛が大量に抜けて、上から下まで服が毛だらけになってしまいました。抱っこも何もしていないのに。外用ベープはだんだん効かなくなっていて、そろそろ取替えどきかも。
墓地入り口あたりで覇権争い(?)している猫たち。首輪をつけているのは前からいる飼い猫で、黒トラの方が新参の感じ。
このところ、ここへ来ると必ず会えるシャム猫。
こういう動きの写真も撮れるようになりました。
カラスをにらんでいるシャムくん。
追いかけてなおもにらむ。
そのあと、先住猫たちのいるところへ行くと、長老格(?)の黒茶猫が寄ってきました。
おまえ、生意気だぞ、って感じで
追い立てられてしまいます。この黒茶猫は私によくなついています。手前はヒナと呼ばれる白猫。
この2匹も覇権争いっぽい。
別のテリトリー。この3匹は仲良し。
今日はどの猫もさわると毛が大量に抜けて、上から下まで服が毛だらけになってしまいました。抱っこも何もしていないのに。外用ベープはだんだん効かなくなっていて、そろそろ取替えどきかも。
2011年6月24日金曜日
久しぶりの試写室
引越があったこともあって、1ヶ月ぶりに試写室へ行った。まずは「僕のエリ、200歳の少女」(関連記事http://sabreclub4.blogspot.com/2011/03/blog-post_05.html)のアメリカでのリメイク、「モールス」。それから、ドイツ映画「ヒマラヤ 運命の山」。どちらも六本木。
しかし、試写室が節電で冷房の設定温度を高くしていて、かなり蒸し暑い。2時間我慢しているのがけっこうつらい。終わって外へ出ると、外の方が気温は高いのだが、風があるので気持ちがいい。こんな状態だと、試写室から足が遠のきそうだ。映画館はどうなのだろう。
で、「モールス」ですが、オリジナルのスウェーデン映画とほとんどそっくりなリメイク。アメリカ的にして派手に、とか、そういうのはまったくない。が、それだけに、オリジナルの雰囲気のよさ、美しさが思い出されて、リメイクはかなり苦しい。オリジナルに忠実に、まじめにリメイクしているのが逆に、オリジナルに比べて劣ると思わせてしまう。
なんといっても、主役の少年少女がオリジナルの方が断然よかった。リメイクの子役も健闘してるけど、オリジナルにあった神秘的な感じがない。それに、主人公に対するいじめがオリジナルの方が相当陰湿だったけど、リメイクはそれほどでないので、クライマックスの印象も違ってきてしまう。いじめに関する感性が、オリジナルに比べてリメイクはあまり深刻でない感じがする。
ヒロインの父親のような男については、オリジナルを見た人が感じたこと、つまり、この男もかつては少年で、みたいなところがリメイクでははっきり出ていた。原作小説ではこの男は比較的最近、少女と出会ったペドフィルらしいけど、オリジナルの映画ではいろいろ想像できるようになっていて、それがリメイクでは多くの人が想像したところにしてしまった感じがする。
また、例の、オリジナルの日本公開でのボカシのシーン、リメイクではそのシーンはなく、こっそり見ている少年の表情だけで表している。リメイクはオリジナルほどには少女の過去を重要視してないのかもしれない。
吸血鬼にされてしまった女性は、オリジナルの方が断然深みがある。リメイクではあまりに浅はかな描写。
ドイツ映画の「ヒマラヤ 運命の山」は、ヒマラヤの8000メートル級の山に登った兄弟の実話の映画化。登山の映画は多いけれど、ドイツの登山映画はやたら暗い。「アイガー氷壁」はナチスドイツがらみだったし、こちらは初登頂の名誉欲の醜い争いみたいなのが背後にある。考えてみたら、英米の登山映画「127時間」や「運命を分けたザイル」は初登頂とか世界初とかいう話ではなかったのだよね。だからさわやかだったのか。ドイツの方はそういう人間や社会の醜さが絡んでいるので、暗いのだな。
映像的には、雄大な自然とちっぽけな人間みたいな構図の絵がたくさんあって、「剣岳 点の記」をちょっと思い出させるところもありました。主人公が団体での登山がいやになって単独登山をするようになるのは「植村直己物語」と共通します。つか、最近、私もそういう気分になる出来事があったので、妙に共感しました。
追記(2011年8月23日)
以前、キネ旬のクロスレビューに「セックス・アンド・ザ・シティ」が出たとき、評者が誰一人オリジナルのテレビドラマを見ずに批判しているということを同誌で書いた人がいた。
そして今発売中のキネ旬に、今度は、「ぼくのエリ 200歳の少女」に言及せずに、「モールス」について書いている人が何人もいる。
クロスレビューでは、1人が、オリジナルを見ていないことを告白した上で書いているが、他の2人も見たのかどうか不明。そして、有名人が名を連ねた1ページ1作品の映画評コーナーで、映画評論家としても有名なM氏が「モールス」を取り上げ、そこで、過去のヴァンパイア映画に言及しているのだが、なぜか「ぼくのエリ」は名前も出てこない。この映画評を読むと、M氏は「ぼくのエリ」を見ていないのだろうと思う。
上で書いたように、「モールス」は「ぼくのエリ」をほとんどそっくりにリメイクした映画なので、オリジナルを見ずに書くと、実は「ぼくのエリ」の描写をリメイクがそのまま再現している部分であるにもかかわらず、そこが「モールス」の特徴、監督の特徴であるというふうになってしまう。
「ぼくのエリ」を愛する人は多い。そういう人たちに対して、プロがこういう文を書くのは失礼だと思うのは、私だけだろうか。
ハリウッド・リメイクの中には、オリジナルがあることを隠しているものもあるが、「モールス」はプレスシートなどにもリメイクであることがおおっぴらに書かれているので、言及しないのは配給元への気遣いということはないと思う。
また、クロスレビューは編集部が作品を指定するので、やむを得ない面もあるが、有名人の映画評は書き手が自由に作品を選べるのに、なぜ、と思うのです。
追記あります。http://sabreclub4.blogspot.com/2011/09/blog-post_121.html
しかし、試写室が節電で冷房の設定温度を高くしていて、かなり蒸し暑い。2時間我慢しているのがけっこうつらい。終わって外へ出ると、外の方が気温は高いのだが、風があるので気持ちがいい。こんな状態だと、試写室から足が遠のきそうだ。映画館はどうなのだろう。
で、「モールス」ですが、オリジナルのスウェーデン映画とほとんどそっくりなリメイク。アメリカ的にして派手に、とか、そういうのはまったくない。が、それだけに、オリジナルの雰囲気のよさ、美しさが思い出されて、リメイクはかなり苦しい。オリジナルに忠実に、まじめにリメイクしているのが逆に、オリジナルに比べて劣ると思わせてしまう。
なんといっても、主役の少年少女がオリジナルの方が断然よかった。リメイクの子役も健闘してるけど、オリジナルにあった神秘的な感じがない。それに、主人公に対するいじめがオリジナルの方が相当陰湿だったけど、リメイクはそれほどでないので、クライマックスの印象も違ってきてしまう。いじめに関する感性が、オリジナルに比べてリメイクはあまり深刻でない感じがする。
ヒロインの父親のような男については、オリジナルを見た人が感じたこと、つまり、この男もかつては少年で、みたいなところがリメイクでははっきり出ていた。原作小説ではこの男は比較的最近、少女と出会ったペドフィルらしいけど、オリジナルの映画ではいろいろ想像できるようになっていて、それがリメイクでは多くの人が想像したところにしてしまった感じがする。
また、例の、オリジナルの日本公開でのボカシのシーン、リメイクではそのシーンはなく、こっそり見ている少年の表情だけで表している。リメイクはオリジナルほどには少女の過去を重要視してないのかもしれない。
吸血鬼にされてしまった女性は、オリジナルの方が断然深みがある。リメイクではあまりに浅はかな描写。
ドイツ映画の「ヒマラヤ 運命の山」は、ヒマラヤの8000メートル級の山に登った兄弟の実話の映画化。登山の映画は多いけれど、ドイツの登山映画はやたら暗い。「アイガー氷壁」はナチスドイツがらみだったし、こちらは初登頂の名誉欲の醜い争いみたいなのが背後にある。考えてみたら、英米の登山映画「127時間」や「運命を分けたザイル」は初登頂とか世界初とかいう話ではなかったのだよね。だからさわやかだったのか。ドイツの方はそういう人間や社会の醜さが絡んでいるので、暗いのだな。
映像的には、雄大な自然とちっぽけな人間みたいな構図の絵がたくさんあって、「剣岳 点の記」をちょっと思い出させるところもありました。主人公が団体での登山がいやになって単独登山をするようになるのは「植村直己物語」と共通します。つか、最近、私もそういう気分になる出来事があったので、妙に共感しました。
追記(2011年8月23日)
以前、キネ旬のクロスレビューに「セックス・アンド・ザ・シティ」が出たとき、評者が誰一人オリジナルのテレビドラマを見ずに批判しているということを同誌で書いた人がいた。
そして今発売中のキネ旬に、今度は、「ぼくのエリ 200歳の少女」に言及せずに、「モールス」について書いている人が何人もいる。
クロスレビューでは、1人が、オリジナルを見ていないことを告白した上で書いているが、他の2人も見たのかどうか不明。そして、有名人が名を連ねた1ページ1作品の映画評コーナーで、映画評論家としても有名なM氏が「モールス」を取り上げ、そこで、過去のヴァンパイア映画に言及しているのだが、なぜか「ぼくのエリ」は名前も出てこない。この映画評を読むと、M氏は「ぼくのエリ」を見ていないのだろうと思う。
上で書いたように、「モールス」は「ぼくのエリ」をほとんどそっくりにリメイクした映画なので、オリジナルを見ずに書くと、実は「ぼくのエリ」の描写をリメイクがそのまま再現している部分であるにもかかわらず、そこが「モールス」の特徴、監督の特徴であるというふうになってしまう。
「ぼくのエリ」を愛する人は多い。そういう人たちに対して、プロがこういう文を書くのは失礼だと思うのは、私だけだろうか。
ハリウッド・リメイクの中には、オリジナルがあることを隠しているものもあるが、「モールス」はプレスシートなどにもリメイクであることがおおっぴらに書かれているので、言及しないのは配給元への気遣いということはないと思う。
また、クロスレビューは編集部が作品を指定するので、やむを得ない面もあるが、有名人の映画評は書き手が自由に作品を選べるのに、なぜ、と思うのです。
追記あります。http://sabreclub4.blogspot.com/2011/09/blog-post_121.html
2011年6月23日木曜日
自分には向かない職業
つくづく、産業翻訳は自分には向かない職業だと思った。
引越のとき、もしも産業翻訳をメインの仕事にしていたら、ネットにつながらなかったら仕事にならないので、きっとパニックだろうなあ、と思ったのだけど、たまーに産業翻訳やるだけの私はつくづくこの仕事に向かないと思い知るできごとがあった。
もともと、翻訳会社に登録はできても仕事はめったにない人間で、理由は、産業翻訳特有の専門分野の実績がない、ということだったけれど、最近、ワードなどのパソコン環境が、私は完全に浦島太郎なのだと気づいた。
なんたって、最後にxがつくファイルが開けないのだ。
実は、2002年に買ったパソコンについていたワードをいまだに使っているのだ。
ちょっとした仕事なら、事情を言って、古いワードに変換してもらって、仕事していたが、さすがにそれは無理なできごとが…。
しかもそれだけじゃない。産業翻訳をやってる人というのは、とにかくネットに通じているらしい。いろいろな手法を使って、いろいろなことができるらしい。私はせいぜい、ネットはメールと、調べたいものがあるときはぐぐって調べる程度。とにかく遅れているけど、今のように、非常勤講師と、たまに出版社の仕事くらいだと、遅れていてもたいして困らないのだ。
もっとも、人によっては、古いタイプでも翻訳の仕事をコンスタントに得ている人もいる。トラドスとかできなくても、トラドスを使わない会社でコンスタントに仕事ができている人とか。でも、そういう人は過去の実績が長く、その信頼性で、そういう地位を得ているのだ。
私は、翻訳はとにかくつまずきの連続で、小説の翻訳は仕事が続かず、最後に本が出たのは2002年。その後、書き下ろしノベライズをやったが、これも続かず、2007年が最後。その後はまったく仕事がなくなり、昨年、久々に映画書の翻訳が出たが、その後は何もなし。
昨年あたりは、あと1冊でいいから、小説の翻訳がしたい、と思って、それなりに努力してみたが、たった1冊さえもチャンスが与えられないきびしい現実を知った。産業翻訳は単価がどんどん下がり、上のような事情もあって、腰が引けるようになり、積極的に仕事を求めなくなった。
それでも、何かのおりに英文を翻訳する機会があったりすると、やっぱり翻訳がしたい! という強い気持ちに駆られる。自分で言うのもなんだが、私はかなりうまい方じゃないかと思うときもある(いつもではないが)。でも、上で書いた、パソコン環境を整えないとか、仕事をもらうための努力ができないとか、そういう、翻訳そのもの以外のところが自分は決定的にだめだと思う。そして、翻訳では、実は、そういう、翻訳そのもの以外のところが非常に重要だったりする。
じゃあ、趣味で翻訳を、と思ったこともあるが、それもだめだった。私は趣味では翻訳できない。だから報酬にはそこそここだわる。
結局、私は翻訳以外にできることがたくさんあるんだから、実りのない片思いはやめよう、という結論になるのだった。
でも、あと1冊、小説の翻訳が出せたらなあ。いや、それよりもっと大きな夢を持とう。
追記 産業翻訳に向かないな、と最初に思ったのは、やはり、翻訳会社から電話があってもすぐ対応できないからだった。つまり、講師しているときとか試写のときとかは携帯の電源を切っているわけで、常時自宅にいて翻訳している人のようには対応できない。会社も当然、すぐに対応できない人は避ける、というわけで、やっぱり産業翻訳は家にこもってる人じゃないとだめだな、と思った。
引越のとき、もしも産業翻訳をメインの仕事にしていたら、ネットにつながらなかったら仕事にならないので、きっとパニックだろうなあ、と思ったのだけど、たまーに産業翻訳やるだけの私はつくづくこの仕事に向かないと思い知るできごとがあった。
もともと、翻訳会社に登録はできても仕事はめったにない人間で、理由は、産業翻訳特有の専門分野の実績がない、ということだったけれど、最近、ワードなどのパソコン環境が、私は完全に浦島太郎なのだと気づいた。
なんたって、最後にxがつくファイルが開けないのだ。
実は、2002年に買ったパソコンについていたワードをいまだに使っているのだ。
ちょっとした仕事なら、事情を言って、古いワードに変換してもらって、仕事していたが、さすがにそれは無理なできごとが…。
しかもそれだけじゃない。産業翻訳をやってる人というのは、とにかくネットに通じているらしい。いろいろな手法を使って、いろいろなことができるらしい。私はせいぜい、ネットはメールと、調べたいものがあるときはぐぐって調べる程度。とにかく遅れているけど、今のように、非常勤講師と、たまに出版社の仕事くらいだと、遅れていてもたいして困らないのだ。
もっとも、人によっては、古いタイプでも翻訳の仕事をコンスタントに得ている人もいる。トラドスとかできなくても、トラドスを使わない会社でコンスタントに仕事ができている人とか。でも、そういう人は過去の実績が長く、その信頼性で、そういう地位を得ているのだ。
私は、翻訳はとにかくつまずきの連続で、小説の翻訳は仕事が続かず、最後に本が出たのは2002年。その後、書き下ろしノベライズをやったが、これも続かず、2007年が最後。その後はまったく仕事がなくなり、昨年、久々に映画書の翻訳が出たが、その後は何もなし。
昨年あたりは、あと1冊でいいから、小説の翻訳がしたい、と思って、それなりに努力してみたが、たった1冊さえもチャンスが与えられないきびしい現実を知った。産業翻訳は単価がどんどん下がり、上のような事情もあって、腰が引けるようになり、積極的に仕事を求めなくなった。
それでも、何かのおりに英文を翻訳する機会があったりすると、やっぱり翻訳がしたい! という強い気持ちに駆られる。自分で言うのもなんだが、私はかなりうまい方じゃないかと思うときもある(いつもではないが)。でも、上で書いた、パソコン環境を整えないとか、仕事をもらうための努力ができないとか、そういう、翻訳そのもの以外のところが自分は決定的にだめだと思う。そして、翻訳では、実は、そういう、翻訳そのもの以外のところが非常に重要だったりする。
じゃあ、趣味で翻訳を、と思ったこともあるが、それもだめだった。私は趣味では翻訳できない。だから報酬にはそこそここだわる。
結局、私は翻訳以外にできることがたくさんあるんだから、実りのない片思いはやめよう、という結論になるのだった。
でも、あと1冊、小説の翻訳が出せたらなあ。いや、それよりもっと大きな夢を持とう。
追記 産業翻訳に向かないな、と最初に思ったのは、やはり、翻訳会社から電話があってもすぐ対応できないからだった。つまり、講師しているときとか試写のときとかは携帯の電源を切っているわけで、常時自宅にいて翻訳している人のようには対応できない。会社も当然、すぐに対応できない人は避ける、というわけで、やっぱり産業翻訳は家にこもってる人じゃないとだめだな、と思った。
2011年6月21日火曜日
カメラ目線
だいぶ人になれたようなシャムくん。この日は猫愛好家の方が何人もいて、観光客っぽい人たちも来ていました。
シャムくん、けっこうカメラ目線が多い。
シャムくんと一緒にいる黒猫。
こちらは古株。人様の家の敷地に入っている。
別のエリアへ。
低地ではあじさいはすでに満開。
シャムくん、けっこうカメラ目線が多い。
シャムくんと一緒にいる黒猫。
こちらは古株。人様の家の敷地に入っている。
別のエリアへ。
低地ではあじさいはすでに満開。
栃木市観光
栃木県は日光しか行ったことのない私、しかも最近は霧降アリーナへの往復だけという、さびしい栃木県体験。で、先日、栃木市の太平山というところへ行ってきました。
ここは今、ちょうどあじさい祭りなのですが、今年は気温が低いため、あまり咲いていませんでした。
最初に行ったのは、今昔物語や雨月物語にも出てくるという怪談の場所の多い大中寺。怪談の場所に立て札が立っています。
この階段の上にも立て札が。
お寺の建物。
あじさい祭りのメインの場所へ、ハイキングコースを徒歩で移動。
メインの場所の六角堂。
あじさいはぽつぽつとしか咲いていません。山の上へ行くほど咲いていない。
こんな感じです。
あじさいの山を登る細い道の途中にある洞窟。奥に祭られているものがありました。
上に行くほど咲いていないので、途中の茶屋でかき氷を食べて帰りました。今年初のかき氷。氷が細かくておいしかったです(手動で作る)。
あじさい祭りのメインの方は、栃木駅からバスで行けます。多分、来週以降が見ごろ。山に登る坂道は写真を撮りませんでしたが(人が多い)、あそこが満開になったらすばらしいだろうと思います。
ここは今、ちょうどあじさい祭りなのですが、今年は気温が低いため、あまり咲いていませんでした。
最初に行ったのは、今昔物語や雨月物語にも出てくるという怪談の場所の多い大中寺。怪談の場所に立て札が立っています。
この階段の上にも立て札が。
お寺の建物。
あじさい祭りのメインの場所へ、ハイキングコースを徒歩で移動。
メインの場所の六角堂。
あじさいはぽつぽつとしか咲いていません。山の上へ行くほど咲いていない。
こんな感じです。
あじさいの山を登る細い道の途中にある洞窟。奥に祭られているものがありました。
上に行くほど咲いていないので、途中の茶屋でかき氷を食べて帰りました。今年初のかき氷。氷が細かくておいしかったです(手動で作る)。
あじさい祭りのメインの方は、栃木駅からバスで行けます。多分、来週以降が見ごろ。山に登る坂道は写真を撮りませんでしたが(人が多い)、あそこが満開になったらすばらしいだろうと思います。
2011年6月19日日曜日
白猫
シャムくんのそばにいた白猫。たぶん、私が最初に出会ったのは、2010年1月15日です。現在、その白猫のいるテリトリーに、この子がいたのだ。
そのあと、まったく姿を見ていなくて、同じ年の8月に再会。その後は何度も写真を撮っています。以下は秋から年末までの写真。この頃には今一緒にいる猫とすでにコンビだった。
最初に見たときは別の猫と一緒でしたけどね(最初の2枚の写真、後ろに猫がいる)。
そのあと、まったく姿を見ていなくて、同じ年の8月に再会。その後は何度も写真を撮っています。以下は秋から年末までの写真。この頃には今一緒にいる猫とすでにコンビだった。
最初に見たときは別の猫と一緒でしたけどね(最初の2枚の写真、後ろに猫がいる)。
2011年6月14日火曜日
シャムくんと再会
3月11日の地震の翌日かその翌日、猫スポットで初めて見たシャムの子猫。ぼやぼやの写真を1枚撮ったところで逃げられてしまい、その後、なかなか再会できませんでした。猫愛好家のブログには写真がアップされていて、人にもかなりなれた様子なのがわかりましたが、どうしても会えない。
そしてついに、日曜日の夕方、姿を見ることができました。愛好家の方々が数人いて、そこに集まった猫たちの中にいたのですが、カメラを持っていなかったので、遠くから携帯で撮影。豆粒みたいにしか写りませんでしたが、それでも3ヶ月ぶりの再会。
翌月曜日。普通は2日続けては行かないのですが、前日、カメラを持っていなかったのが悔やまれて、カメラを持って夕方に出かけました。坂をあがっていくと、やがていつもの飼い猫に遭遇。
あじさいの季節です。
そして、シャムくんのいるテリトリー。愛好家さんたちにはヒナと呼ばれているらしい白猫。道のど真ん中に寝てましたが、カメラを向けられてのびをしています。
その奥にいた猫。前は近寄るとすぐ逃げたが、この日は逃げなかった。
これも前に写真アップしたことのある黒猫。
そして、シャムくんに遭遇。
ねずみのおもちゃと戯れている様子。さっきの白猫がちょっかい出しに来る。
鋭い目つき。
ごろんごろんしながら遊んでいます。
面白いポーズをしてくれる。
見てるとあきない子です。この子に注目していたら、ほかの猫がこっちも向いて、みたいに寄ってくるのが面白い。一番最初の飼い猫もここまでついてきました。この日は愛好家の方は誰もいなくて、猫と私だけでした。
別のテリトリーへ。ミケが舌ぺろん。
3年前の今頃はしょっちゅう一緒にじゃれあっていたトラ猫たち。兄と妹だという話です。
しょっちゅうケガをしている黒猫。
この日はエサやりの人があまり来なかったのか、次々と猫が来てエサをねだるので、途中で近くの店に買いに行ったくらいでした。
そしてついに、日曜日の夕方、姿を見ることができました。愛好家の方々が数人いて、そこに集まった猫たちの中にいたのですが、カメラを持っていなかったので、遠くから携帯で撮影。豆粒みたいにしか写りませんでしたが、それでも3ヶ月ぶりの再会。
翌月曜日。普通は2日続けては行かないのですが、前日、カメラを持っていなかったのが悔やまれて、カメラを持って夕方に出かけました。坂をあがっていくと、やがていつもの飼い猫に遭遇。
あじさいの季節です。
そして、シャムくんのいるテリトリー。愛好家さんたちにはヒナと呼ばれているらしい白猫。道のど真ん中に寝てましたが、カメラを向けられてのびをしています。
その奥にいた猫。前は近寄るとすぐ逃げたが、この日は逃げなかった。
これも前に写真アップしたことのある黒猫。
そして、シャムくんに遭遇。
ねずみのおもちゃと戯れている様子。さっきの白猫がちょっかい出しに来る。
鋭い目つき。
ごろんごろんしながら遊んでいます。
面白いポーズをしてくれる。
見てるとあきない子です。この子に注目していたら、ほかの猫がこっちも向いて、みたいに寄ってくるのが面白い。一番最初の飼い猫もここまでついてきました。この日は愛好家の方は誰もいなくて、猫と私だけでした。
別のテリトリーへ。ミケが舌ぺろん。
3年前の今頃はしょっちゅう一緒にじゃれあっていたトラ猫たち。兄と妹だという話です。
しょっちゅうケガをしている黒猫。
この日はエサやりの人があまり来なかったのか、次々と猫が来てエサをねだるので、途中で近くの店に買いに行ったくらいでした。
登録:
投稿 (Atom)