最近はやたらネタバレ禁止が流行っていて、結末に近いところまで書いたら必ずネタバレありを銘打たないといけないのだが、昨年、話題になった「ぼくのエリ 200歳の少女」はネタバレが必要な映画だなあと思った(というわけで、のっけからネタバレありです)。
映画を見た人ならご存知のように、あの映画は重要なシーンに修正(ボカシとか傷とかいう)がある。これは、邦題のエリという「200歳の少女」(この副題がまた、映画の内容と違うというので批判が出ているのだが)が、実は、去勢された少年であることを示すシーンで、私が映画を見たときはこのことを知らなかったので、意味がわからなかった。ただ、エリというのは日本語だと女性の名前だが、欧米ではEliは男性の名前だということは知っていて、だから、エリが書いた手紙にEliと書いてあるのを見て、変だなあ、とか、エリを演じる少女が妙にひげが濃いように見えたり、少女らしくない感じがあるのも気になった。ただ、エリが、「私は女の子じゃない」と言っているのは、「人間の女の子じゃない」という程度にしかとらなかった。
その後、検索をして、問題の修正されたシーンに、実は、去勢手術の痕が映っていたとわかり、しかも、原作を読めばエリの去勢の過去について詳しく書いてあるとわかった。
この映画は原作を読んでから見るか、読まずに見るかで、だいぶ印象が変わるらしい。たとえば、エリの父親のような初老の男性は、原作ではペドフィル(幼児性愛者)で、エリのからだが目当てでエリに尽くしているらしいのだが、映画ではこの人物にはペドフィルの要素はまったくない。監督も、最近のテレビドラマなどがやたらペドフィルを取り入れるのをよく思っていないと発言していて、そういう要素を取り去ったのは事実のようだ。映画ではこの人物にはそういう下心はまったく感じられず、女王様であるエリに従う下僕のように見える。彼はエリの正体がばれないために、いざとなったら自分の顔を潰してしまう覚悟を決めていて、最後も、エリに自分の血を与えて死んでいく。彼は淑女を守り、淑女のために死ぬ中世の騎士のようだ。
原作では、彼は中年になってからエリと生活を共にするようになった人物なので、少年の頃にエリにひかれ、自分だけが年をとりながらエリに仕えてきたということではないのだけれど、映画だけ見ると、彼もまた、主人公の少年のような時代があって、ここまで来たのではないか、だから、主人公の少年もいずれはあの男と同じ運命になるのではないか、と思わせる。監督は、そうとってもいいし、少年もエリと同じ種族になって永遠に生きると思ってもいい、と、開かれた結末であることを述べている。
原作は未読なので、なんともいえないのだけれど、ネットの検索などで知るところによると、かなり通俗的でエログロの多い小説らしい。長いので、脇役の人物についても詳しく描かれ、そういう点では面白いのだろうが、映画はそういう部分をそぎ落とし、人物についても、結末についても、観客が好きなように考えることができるようになっている。原作はこうだから、絶対こう解釈しなければいけない、ということはまったくないだろう。実際、原作よりも映画の方が芸術的に優れているという意見も目にした。
この映画はほんとうに、考えれば考えるほど疑問がわいてくる。エリは初老の男を下僕扱いで、血を取ってこれないと、なんとかしてよ!と怒鳴ったりする。あの少年も何十年もたつと、エリにこういう扱いを受けるのかなあ、これが腐れ縁というやつか、と思いもすれば、あの男と少年はエリにとって違うのだ、という意見にも、そうかもしれない、とも思うが、たとえ原作とは違っていても、あの男にもエリを慕う少年の時代があった方がいい、と私は思う。エリは生きるために奉仕者を取替え続けるのではなく、さまざまな同伴者とそのときそのときの生を生きているというふうに考えたい。
最後に、吸血鬼と同性愛は歴史が長く、古くはロジェ・ヴァディムが「血とバラ」として映画化したレ・ファニュの「吸血鬼カーミラ」が19世紀の小説。その後、日本では「ポーの一族」のような少女マンガがあり、また、20世紀後半のアメリカからはアン・ライスの「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」(原作邦題「夜明けのヴァンパイア」)のシリーズが出たのはご存知のとおりです。他にも、「ハンガー」とか、そっちの要素があった吸血鬼ものがありました。同人時代には私も書いていましたよ、そういうの(なつかしい)。
追記 例の修正のシーンは、日本の映倫が自主規制したもののようで、当然のごとく、非難ごうごうです。ただでさえ、日本は自主規制の修正が多く、東京国際映画祭のようなときだけ、海外を考慮して修正なし、でも、その後の一般公開は修正、というケースもあり、常に批判の種になっています。この映画も、欧米ではもちろん、無修正。実際、性器もヘアも映ってないし、性交とも無縁なシーンで、勘ぐれば、例の東京都の青少年健全育成条例を考えてじゃないかと思ってしまう。その条例では、映画と小説は規制外なのだが、そんなこと関係なく自主規制をする文化が日本に根強くあるということ、そして、漫画やアニメのファンが、映画は映倫がしっかりしているからいいとか、事実誤認の発言をしていることに非常な危惧を感じます。