今年もあと20時間余りかあ…。
で、写真で振り返る極私的2011年。
まずは1月。初めてUR賃貸に応募(はずれ)。ヌーヴェル赤羽台。おそらく二度と行くことはあるまいと思いつつ、写真を撮る。
3月11日の大地震。都心の墓地もこのとおり。
諸般の事情で、上野さくら祭りは中止。
4月。デレク・プラントがアシスタント・コーチをつとめるミネソタ大学ダルース校のホッケー部が初の全米チャンピオンに。
6月。念願の引越を果たす。屋上からスカイツリーの見えるマンション。
あとは写真はないのですが、
4月から某大学で映画の講義を始める。毎週2コマ分の講義の内容を作らないといけないので、とても大変だった。でも、とてもやりがいがあり、学生の反応もよかったので、一安心。来年はマンネリしないようにしなければ。
今年は翻訳を1字もしなかった。これはめずらしい。出版翻訳の仕事はめったにないが、それでも、なんだかんだで、細かい翻訳の仕事があった。その細かい仕事がまったくなかった。
3・11のあと、妙に吹っ切れたのが、翻訳の仕事へのこだわりだった。小説の翻訳がしたいといろいろがんばってみたが、現実はきびしく、それでも何とかならないかと、読書会に出てみたり、リーディングをさせてもらおうとしてみたりしていたが、3・11のあと、何か、未練が消えたような感じになった。
もう1つ、吹っ切れたのはデレクへの未練。デレクが日本を去ってから、ネットでデレクを追いかけ、時々、ファンレターやグリーティングカードを送っていたが、もちろん、反応はなく、それが未練を加速させたのだが、5月に全米チャンピオンおめでとうのメールを送ったら、すぐに返事が来た。うれしかった。釧路を去る前のクレインズの祝勝パーティで、デレクとろくに話せないまま、彼が帰国してしまったので、未練が残り続けていたのだけれど、メールが来たら、何かそれで吹っ切れてしまった。とりあえず、クリスマスカードは送ったけどね。応援はしてますよ、デレク。いつか、セイバーズのコーチになってくだされ!
そのセイバーズ、今季は全然だめだね。けが人多数もあるけど、リンディ・ラフHCがもう限界じゃないかと言われている。なにしろデレクが現役だったときからいるんだから。
そしてアジアリーグはクレインズが…。しかし、アジアリーグにも震災の影響は大きく出ています。
今年は新しく始まった映画の授業の準備で、映画があまり見られなかった。映画の授業をすると映画が見られないって、どうよ、と思いますが、けっこうそれが現実なのです。映画作りをしている人たちは映画があまり見られないといいますからね。映画評も、今年は古い映画の紹介記事が多かったです。その中で、「猿の惑星:創世記」など、じっくり書けた評論もありました。
というわけで、まだ大晦日は20時間以上あります。行きつけのプールが休みに入っているので年末年始もやっている新木場のプールへ行こうかと思っていたら、なんと、コミケが大晦日までやっているのだと。うーむ、去年もコミケ帰りのお客さんを横目で見ながらだったような気がする。まあ、明日は明日、目が覚めてから考えよう。