2012年12月31日月曜日

年内最後のプール

風邪と目の充血で2週間、プールに行けませんでしたが、大雨の12月30日、今年最後のプールへ行ってきました。
ところは夢の島体育館。駅から徒歩15分、道路も階段も川や滝のようで、しかも体育館の目の前の通路によけることのできない深い水溜りが! 体育館に入ったときは靴もジーンズもずぶぬれ。とりあえず、靴にティッシュを詰め込み、ジーンズは更衣室のドライヤーで乾かせばいいや、と思ってプールへ。
数年前から公営プールはコースの団体貸切をめいっぱい入れるようになってしまい、特にこの夢の島体育館はほとんどの時間、多くのコースが貸切になっているので、一般人は狭いところで何人もが泳ぐことになり、ふだんは行くこともなくなりましたが、年末年始はここしかやってないので、この時期だけは行きます。
ただ、さすがに30日とあって、貸切コースは多くても一般人は少なく、そこそこよく泳げました。7時になると団体はすべて帰ったので、全コース一般用になり、それをねらうように家族連れが入ってきました。予定表を見ると、正月も貸切コースが1日中びっしりですね。さすがに元旦と2日は少なめでしたが、それでも貸切が入っている。
最寄り駅の新木場はコミックマーケットの客やディズニーランドの客の乗換駅なので、年末は夜になってもけっこう混むのですが、さすがに大雨のせいか、去年の暮れよりはかなり人が少なかったです。カラコロを持った人は全然見当たらなかったなあ。
帰るころには雨もやみ、恒例の駅前のシャノアールで軽食を食べて帰りました。来年は巳年ということで、隣の辰巳駅ではお正月にイベントがあるようです。

2012年12月27日木曜日

Every cloud has a silver lining.

今年最後の試写を見に行っての帰り、六本木のウェンディーズに立ち寄って、ハンバーガーとチリを食べていたとき、若い女性たちが入ってきて、「あと1日だねえ」。
そうです。世間の皆様はまだ冬休みじゃない。私はもう冬休み。風邪だ、目の充血だ、とヒイヒイ言ってますが、世間様よりずっと楽しています(その分、収入悪いけど)。
もっとも、冬休みとはいっても、年明けの期末試験や来年度の授業の準備があり、完全に休みではありませんが。
そういえば、行きつけのプールも今日が今年最後だったはず。まだ目が赤いので、プールは無理。治ったら、年末年始にもやっているプールへ行こう。

というわけで、今日の試写は「世界にひとつのプレイブック」。
アカデミー賞にノミネートされた「ザ・ファイター」の監督の新作で、前作同様、いがみあっているけど強い絆で結ばれた家族が描かれています。原作があるそうだけど、まるで前作の続きのよう。今回もスポーツがからんでいて、舞台となるフィラデルフィアのアメフト・チーム、イーグルスが重要な要素に(アメフトシーンはほとんどないというか、全然ない?)。
主人公は妻の不倫相手をボコボコにして、躁鬱症と診断され、精神病院に入ったあと、退院してくるのだけど、妻には近づいてはならないという禁止令が出ている。でも、主人公は妻とよりを戻したくて未練たらたら。そんな彼が知り合ったのが、夫を亡くした若い未亡人。心に傷を持つ2人がけんかしながらしだいに仲良くなり、という話。
この映画、主人公は不倫相手をボコボコにして当然、仕事はクビ。その父親も失業中で、チーズステーキの店を始めるためにアメフトチームで賭けをしている。そして、主人公が知り合う女性も失業中と、失業中の人ばかりなのだが、彼らが住んでいるのはフィラデルフィアの郊外の中流の人たちが住む地域。こんなに失業ばかりで大丈夫なのかな、と思うけど、なぜか、あまり心配はしていない人たち(金があるのか?)。この辺が、まあ、甘いといえば甘いのですが、主人公役のブラッドリー・クーパー、ヒロイン役のジェニファー・ローレンス(役には若すぎるのだが、大人びた感じで出ています)、そしてなにより父親役のロバート・デ・ニーロがうまくて、話に乗せられてしまいます。最後もうまくいきすぎなんだけどね。
原題は"Silver Linings Playbook"で、silver liningsというのは"Every cloud has a silver lining"=どの雲にも銀の裏地がある、つまり、雲の後ろには必ず太陽があるということわざからですが(ジェニファー・ローレンスのヒロインが何度も"silver lining"と言っています)、これ、実は私の大好きなことわざです。
トロント映画祭で観客賞をとったとかで、アカデミー賞最有力と言われていますが、どうでしょうか(「スラムドッグ$ミリオネア」と「英国王のスピーチ」がトロントで観客賞を受賞)。個人的には「ザ・ファイター」に作品賞とってほしかったのですが、この映画は「ザ・ファイター」よりは落ちる感じがするけど(あくまで私の感じ)、対抗馬しだいでしょうか。
(今検索したら、「silver liningのliningは線を引くという意味です」なんて書いてある英語解説のサイトがあってびっくり。liningとは、服の裏地のことですよ。雲を布にたとえているのです。)

追記 そうそう、字幕で、タンパベイを「レイズ」と訳してたんだけど、「レイズ」はNFLじゃないよね、「バッカニアーズ」じゃなかったけ?と思ったら、やっぱりバッカニアーズでした。「レイズ」はMLBか。たぶん、もう気がついていて、直す予定だろうと思うけど。こういうのはわかる人は「タンパベイ」あるいは「タンパ」でわかるので、せりふどおり「タンパベイ」か「タンパ」にしとけばいいのだけど(バッカニアーズでは字数が多い)。わからない人はどう訳したってわからないです。

電気ひざ掛け

冬休みに入ったのをいいことに、次々更新中。
さて、冬の暖房は電気ストーブだけでがんばってきた私ですが、今年はネットで紹介されていた電機ひざ掛けを買ってみました。関西の某メーカーの製品で、値段が安いので大人気のようですが、ワタクシ的にはちと失敗、いや、大いに失敗だったかも。
アマゾンのカスタマーレビューでも、一部、不満が書かれていますが、その最大の難点は、
1 臭いがきつい。
2 繊維が抜ける。
2日間、使ってみたのですが、とにかく臭いがきつい。そして、細かい繊維が抜けて、静電気で舞うようで、のどがおかしくなった。
というわけで、3日目は電気でないひざ掛けにしました。確かに暖かくないけど、臭いと静電気で舞う繊維はやはりいやだ。一応、繊維防止に100均の布団袋に入れてみたのだけど、臭いとのどのおかしさは消えませんでした(ひざ掛けの繊維は舞わなくても、ほかのほこりなどが舞うようだ)。
あと、やっぱり、電磁波ですかね、私の苦手な。
今夜は寒いので、電気ストーブは800ワットにしていますが、これなら電気ひざ掛けはいりません。電気ストーブ400ワットと電気ひざ掛けで電気代節約と思ったのだけど、ほんとに寒くなるとこれではだめです。
ところで、このひざ掛けを知ったのは、ビジネス書で人気の某有名エッセイストのブログでしたが、よく考えてみたら、本を何冊も出している有名人がこんな安物を使うわけないのですよね。ブログには、「いつも使っています」と書いてますが、実際はこんなもの使ってないに違いない、アフィリエイトで儲ける手段なのだろう、と思いました。(人気エッセイストがアフィリエイトで小遣い稼ぐのだろうか、という疑問はあるが……でも、「自分はブログで月収20万」とか書いているビジネス系の人気ライターがいたので、有名人だとアフィリエイトでも相当稼げるのだろう。私は通販じゃなくて、店で現物を見て買ったので、アフィリエイトには協力してませんが。)

2012年12月26日水曜日

天使の分け前

目の充血が治らないので、プールは我慢していますが、映画は我慢していません。
で、今日はケン・ローチの新作「天使の分け前」。
例によって、イギリス・スコットランドの貧しい若者たちの話です。幼い頃から暴力が支配する世界で育ち、少年院にも入っていた経験のある若者が、親の代から犬猿の仲という相手とけんかして過剰に暴力をふるい、刑務所行きにはならなかったが、社会奉仕を義務付けられ、ある親方のところで働く、という物語。
若者には恋人がいて、子供が生まれる。真人間になろうと決意するも、就職もままならない。恋人の父親は若者と同じような境遇の出身で、今は金持ちになり、中流の地域に引っ越しているが、娘がつきあっているその若者の行く末がわかっているので、なんとか別れさせようとする。あるときは暴力を使い、あるときは金で別れさせようとする。そんな窮地に陥った若者を助けるのが親方。彼は同じように罪を犯して社会奉仕している若者たちをウィスキーの蒸留所の見学に連れていく。
ケン・ローチというと、イギリスの貧困や移民問題などを辛口で描く作家で、見ていてつらいものが多いのだが、この映画はコメディタッチで明るい。後半はウィスキーで起死回生をはかる若者たちの冒険になっていき、最後もすてきだ。「天使の分け前」とは、樽で熟成されるウィスキーは毎年2パーセントずつ蒸発していき、それは天使の分け前と呼ばれている、ということ。主人公はその天使の分け前を掠め取り、なんとか自分たちの生きる元手にしようとしている。そして、「天使の分け前」という言葉がなんともうれしい言葉として出てくる結末近くのシーン(これはネタバレなしで)。
イギリス映画にはケン・ローチやマイク・リーのような庶民や貧しい人々を主役にした名作を作る監督がいて、彼ら以外にもそういった良質の映画を作る監督が何人もいる。若者の失業者が100万人を超えたという国で、貧しい若者や子供を主人公にしたシビアな映画、あるいは心あたたまる映画が次々と生まれているのだが、こうした映画は公開当時は話題になっても、いつのまにかレンタル店の片隅に追いやられ、セルDVDの売り場ではめったに見ることもなくなる。DVD売り場で現代のイギリス事情を描く映画を探しても、上流中流の人々を描く文芸大作か、昔の名画くらいしかないのが残念だ。
それはともかく、この「天使の分け前」はほのぼのとして楽しい映画。ウィスキーが醸造されるスコットランドの風光明媚な場所も登場し、いつものイギリス貧困層の映画とは違う雰囲気もある。

ライフ・オブ・パイ

相変わらず風邪気味ですが、左目の充血がいっこうに治らず、それどころか右も赤くなってきました。プールで泳ぎすぎて充血したときは、翌日にはすっかり治っていたのですが、これは風邪が治るまで治らないのだろうか。とにかく、水泳は当分お預け。
そして、クリスマスの25日は「ライフ・オブ・パイ」の試写会。せっかく試写状いただいたのに、今日見ないともう行ける日がないかもしれない、でも、3Dか、目の調子が悪いのに3Dなんか見て大丈夫だろうか、と不安に思いつつ、一応、行ってみました。
3Dは何年か前にジム・キャリーの「クリスマス・キャロル」を見て以来です。あのときは90分くらいの短い映画なのに、ものすごく目が疲れた。3D用のメガネが重くてつらかった。ところが、今度の映画は2時間以上ある。しょうがない、つらくなったら目をつぶってしまおう、と思っていましたが…。

全然大丈夫でした!

まず、メガネが重くない。しかも、近眼用のメガネの上にしっかり固定されて、ずり落ちてこない。そして、「ライフ・オブ・パイ」の3Dは、飛び出してくるタイプではないのです。いかにも3Dだぞ、3Dだぞ、というところがない。気にしていないと3Dだということを忘れる(片目をつぶると3Dでなくなります)。でもやっぱり、2Dとは違う映像の美しさが感じられます。
これまでの3Dは、「アバター」を除くと、2Dで見ても、ああ、ここが飛び出してくるんだな、とわかるような映像のつくりになっていましたが、この映画はそういう感じではありません。インド人の少年がトラと漂流する話だけど、トラが飛び出してきても、3Dでトラが飛び出してくる感じはありません。そういうこれ見よがしなところがなく、逆に、静かな海の水面の広がりをあらわすようなシーンに3Dの不思議な美しさがあるというか。うーん、これは必見。
これまで3Dの映画はとことん避けていて、見たい映画は2Dの映画館へ行ったくらいでしたが、これは思いがけないすばらしい3D体験でした。
映画は世界中でヒット、絶賛されていて、確かに2時間7分、まったく飽きません。インドで動物園を経営する両親がアメリカに移住を決意、動物と家族で日本の船に乗り、太平洋を進む途中、船が難破。16歳のインド人の少年パイだけが救命ボートに乗れて助かりますが、そこへ逃げてきたトラが! というわけで、飢えと乾きと海の脅威に悩まされながら、少年がいかにしてトラに食われずに生き抜いていくか、というお話。まあ、とにかく映像がきれい。そして、少年とトラだけの海のシーンばかりなのに、少年がトラをかわしたり、ならしたりしながら生きていくエピソードの数々が生き生きとして面白いです。トラはCGですが、なんだか、猫スポットで会う猫と表情が似ていて、奇妙な気分になりました。
鏡のような海と、ラスト近くに少年がたどり着く島の描写がこの世のものとは思えないような(実際、この世にはありえない風景なのだが)幻想的な美しさです。
1つ苦言を言うとしたら、久しぶりに外国映画の中の感じの悪い日本人を見たことかな。船が日本の船だったということで、日本人が調査に来るのですが、この日本人が、あまり感じよくない描かれ方です。最近は日本人は感じ悪く描かれたり、あまりにも変だったりということが減っているのですが、この映画の日本人は頭が悪すぎで、非常に感じが悪い。これは原作者の感覚なのか、監督(台湾出身のアン・リー)の感覚なのか、知りたいところです。もっとも、主人公とその家族のインド人たちも、インド人から見たら変なのかもしれませんが。あ、あと、ジェラール・ドバルデューのフランス人コック(チョイ役)がものすごく感じ悪かったですね。そういう視点の映画なのかもしれないですね。

2012年12月23日日曜日

冬の上野公園(携帯写真)

秋の緑化フェアの上野公園の写真を以前にアップしましたが、それもとうに終わり、ある冬の日の上野公園。携帯で撮った写真です。
不忍池の向こうにスカイツリーが。クリックするとよく見えると思います。

池のカモメたち。

池で見られる鳥たちの掲示の上にとまるカモメ。全然人を怖がらず、カメラを持った人が次々やってきて写真を撮っていました。

つり禁止、東京都。手書きなのがなんともいえない。

緑化フェアで切り取られたハス。遠くに日暮里駅前の高層マンションが見える。

こちらは不忍通りの高層マンション。

緑化フェアで切り取られたハスのところを泳ぐカモ。

こちらはまったく別の場所の白い椿。雨上がりで、雨滴がついていますが、見えるかどうか?



風邪気味、今度は左目が充血してしまい、涙と目やにが止まりません。以前、プールで泳ぎすぎたときによくこの症状が出たので、その後はあまり長い時間泳がないようにしていますが、最近はプールも週に1回に減っています。が、今回はプールと関係なく充血したので、せっかく冬休みでプールに行けるのに、自粛。冬休みに入ってどっと疲れが出て、休めってことかな?

2012年12月22日土曜日

風邪気味2

お食事中の方、注意。

昨日の夜中、吐き気がして目が覚めた直後、やってしまいました。
風邪気味なので、ティッシュの箱をすぐそばに置いてあったので、すぐにふき取り、しかも、おなかの中には焼酎と麦茶しか入ってなかったので、シーツにしみができた程度ですみました。
そのあと、とにかくまた眠り、そして目が覚めると、別におなかの具合は悪くなく、食事も普通にできるので、問題なかったのですが(考えてみたら、昨日は昼間から胸焼けがしていたので、風邪の影響だと思う)、しみのついたシーツをどうするかが問題。
実は2日前にコインランドリーで洗濯したばかりで、まだ洗濯物がたまってない。しかも外は雨。コインランドリーの乾燥機は当然、混んでいるはず。シーツだけ洗濯して、乾燥機のたくさんあるランドリーへ行って、というのも大変だなあ、と思い、洗面器でシーツの汚れたところだけ洗い始めたのですが、やはり手では限界が。
しょうがないので、雨の中、コインランドリーへ。幸い、雨で洗濯する人が少ないのか、洗濯機も乾燥機もあいていたので、無事、洗濯は終了(シーツだけではもったいないので、そろそろ洗濯しようと思っていたものをかき集めて行った)。終わるころには雨もやみ、日がさしてきました。
お酒はそんなに飲んだわけではないし、何も食べていないのだから、寝酒をやった程度なんですが、何も食べてないのがよかったのか、悪かったのか。

昨日は、週に7コマも授業があると、授業の準備が大変で、ほかのことが何もできない、ほかの人はどうして10コマ以上できるのだろう、と書きましたが、実は、私もかつては週に7コマやっていたのです。ただ、すべて英語の授業だったので、同じテキストを複数の授業で使えるし、学生に問題をやらせてチェックするだけなので、授業の準備はわりと簡単でした。週に10コマ以上やっている先生たちは、おそらく、そういった授業をいくつもやっているのだと思います。
が、今は、文学や映画の授業が多く、とにかく準備が大変。まあ、自分で望んでやらせてもらっているものばかりなので、文句はいえないのですが。
週に7コマ、英語の授業をしていた頃は、翻訳の仕事もあったし、執筆の仕事もあったしで、授業は生活費の確保、翻訳と執筆で好きなことをする、と割り切れました。しかし、出版の世界も氷河期に入り、大学の方も非常勤の仕事を手に入れるのがむずかしい時代になりと、どこもかしこも不景気で、仕事は減る一方、収入も減る一方です。
仕事探しが氷河期、というのはどの業界でも同じだと思いますが、学生も就職活動が大変なようです(これは教師をしていると現実の問題としてよくわかる)。求人はあるといわれていますが、人が不足している企業はいわゆるブラック企業が多く、社員がどんどんやめていくので求人が多いとか。そういうところを避けると就職できず、そういうところに入ると過労死とか早期離職とかになってしまうらしい。
じゃあ、学生に人気の一流企業はゆったりとしたペースで仕事ができるのか、と思うと疑問でもあります。なぜなら、その人気一流企業の上位に、かつて、過労で自殺した社員を出した有名広告代理店があるからです。その会社は社員の自殺以後、待遇がよくなったので、人気企業なのでしょうか、それとも、単に有名で一流で見栄えがいい企業だから相変わらず人気があるのでしょうか。
その広告代理店の社員が過労で自殺したとき、その就労状況が報道され、それを見た零細広告代理店の友人が言っていました。
「広告代理店の社員はどこもみんなこのくらい仕事をしている。でも、適当にサボったり休んだりしているから過労で自殺までは行かない。この人はまじめで、適当にサボったり休んだりできない人だったのではないか」
もうあれから20年くらいはたっているはずですが、かつての日本の会社員は、拘束時間は長いけれど、その間に休んでいる時間が多い、といわれていました。しかし、今、ブラックと呼ばれている企業は、拘束時間が長く、しかもその間に休めないみたいなのです。
拘束時間は長いけれど、適度に休めるので、やっていける、というのはある種の日本的なのんびりした働き方だった気がしますが、今は、休んだりサボったりすることを許さない風潮があります。仕事の現場だけでなく、教育の現場でも。そして、そこでは人がサボったり休んだりしないように、常にお互いを監視するような体制になっています。拘束時間が短ければ、それでもいいでしょう。でも、拘束時間は相変わらず長く、サビ残の山だったりするわけですから、日本全体がブラック企業化し、お互いが監視しあうファシズムの世界みたいになっていくのかなあ、と、最近、思い始めています。

風邪気味

水曜夜に、突然、寒気がして、風邪の症状があったので、こりゃ風邪だ、と思い、すぐ寝たら、翌朝にはかなり回復していたので、とりあえず元気です。が、風邪の症状はまだある。
今週で大学の非常勤の授業が終わり、冬休みなのですが、金曜が最後の授業だったので、風邪でダウンなんてことになったらこれができなくなるので、ちと不安でしたが、とりあえず、金曜の授業も終わり、しばらくは冬休みです。
非常勤講師というのは、要するに時給いくらのアルバイトで、しかも薄給。1週間に90分授業3コマの1ヶ月の給料が都心のワンルームのマンションの家賃に相当するくらいなので、まともに生活しようと思ったら週に10コマ以上は必要ですが、私は6コマしかないので、収入の半分は家賃に消えるという生活。で、9月から臨時で1コマ増えたのだけど、7コマになったらもう忙しくて、ほかのことが何もできなくなった(1回の授業の準備に非常に多くの時間がかかるため)。なんで世間の人は、ほかの先生は、週に10コマ以上、多い人は15コマとかやって大丈夫なのであろうか、と考えてしまいました。
私の場合、原稿料収入が激減したのが大きいです。これはなんとかしなければ。非常勤講師業っていうのは、結局、大学産業のブラック企業みたいなもんです。

映画もあまり見られなくなっていた今年の後半、先日、ミヒャエル・ハネケ監督の新作「愛、アムール」を見てきました。
老いた妻が半身麻痺になり、それを介護する老いた夫。施設に入れた方が、という娘の提案を拒否し、自宅介護を続ける夫。自宅介護より施設での介護が当たり前のヨーロッパで、それでも自宅での介護を続け、周囲から孤立しても夫婦の絆を大切にする夫の姿が描かれています。
最後は、日本でも時々ニュースになる、介護疲れの悲劇のようなものなのですが、日本は自宅介護が原則なので、これは自宅介護に頼る社会への批判になるところですが、ヨーロッパでは施設に入れるのが当たり前だとすると、また違った見方になるのでしょう。
枕を押しつけて死なせるのって、「カッコーの巣の上で」と、シドニー・ルメットの遺作と、そしてこの映画になるのか、と。
鳩が2回も部屋に入ってきたって、それは奥さんの魂でしょう。

週に7コマ授業をした9月からの4ヶ月。なんだか、本当の自分が死んでしまったような気がしました。なんで、世間の先生たちは、週に10コマとか、それ以上できるのだろう。

2012年12月15日土曜日

ピアフといえば「私は後悔しない」

だよね。
と、「エディット・ピアフ 愛の讃歌」を見て思いました。
この映画、前から、見なければ、見なければと思いつつ、なかなか機会がなく、このたびやっとDVDで鑑賞。マリオン・コティヤールのそっくりさんぶりがとにかくすごく、これでアカデミー賞受賞だったのか、と納得しました。その後のハリウッド映画の彼女とは別人だものね。
ピアフの伝記映画といえば、はるか昔の70年代前半、「愛の讃歌」というフランス映画があって、わりと好きな映画でしたが、あれは美化された伝記だったのか、と思いました。
今回の映画はピアフの人生の影の部分ばかりを描いているので、見ていてつらいものがあります。昔の映画のピアフは、姿も美化されていましたが、コティヤールのピアフは前かがみであごを突き出して、ちょっとカエルのようで、年よりずっと老けてしまった女性で、しかし、鬼気迫るものがあります。私はピアフは詳しくないですが、それでも、声とかしゃべり方とかそっくり!と思えました。
さて、「私は後悔しない」です。日本では「水に流して」という題になってますが、意味が違うだろ!と突っ込みたくなります。「インセプション」で使われていたのはまさにこのエディット・ピアフの「私は後悔しない」です。
日本ではエディット・ピアフというと、まずは「愛の讃歌」、次が「ばら色の人生」ですが、70年代の古い伝記映画「愛の讃歌」を見て、ピアフは「愛の讃歌」ではなく、なによりも「私は後悔しない」なのだ、と強く思いました。そして、今回の伝記映画も、やはり、クライマックスは「私は後悔しない」でした。オランピア劇場での歌が彼女の最後の輝きだからでしょうが、やっぱり、ピアフは「私は後悔しない」だよね、という思いを新たにしたのです。
DVDには予告編が数本入っていましたが、フランスの予告編は2つとも「私は後悔しない」、それに「ミロール」がちょっと、でしたが、日本の予告編はどれも「愛の讃歌」、それに「ばら色の人生」がちょっと、でした。日本とフランスの違い、でしょう。昔のピアフの伝記映画を見たときも、ピアフは「私は後悔しない」なんだ、日本とフランスでは違うんだ、と、まだ10代でしたが、思ったものです。
もっとも、日本でも、シャンソンの熱心なファンは、「私は後悔しない」かもしれませんね。いい歌です。

2012年12月11日火曜日

「ナチュラル」とバッファロー

だいぶ前に買ってあった、「ナチュラル」と「ザ・シークレット・サービス」の2枚組DVDのうち、「ナチュラル」を見ました。もちろん、初めてではなく、初公開時に試写室で見ています(もう映画雑誌に書いていたのだ)。
この2枚組はなぜか1000円だったので、こりゃお買い得、と思って買ってしまったのですが、上に書いたように「ナチュラル」は初公開時に見ているし、「ザ・シークレット・サービス」も確かレンタルDVDで見ていたので、買ったはいいが積んどく状態でした。
ところが先日、なぜか突然、「ナチュラル」見たくなって、見たのですが、初公開時に見たときはかなりいい映画だと思ったのに、今見るとそれほどでもないのでがっかりでした。
初公開時は監督のバリー・レヴィンソンが「ダイナー」で登場した直後で、期待の監督であったのです。今になってみれば、彼は結局、「グッドモーニング・ベトナム」と「レインマン」だけの人であったと思いますが、当時は期待度高くて、出演者も魅力的だったので、実際よりもよい映画に思えたのでしょう。
もちろん、つまらない映画ではないし、初公開のときのいい印象がなければ、がっかりもしなかったのでしょうが、ファンタジーの仕掛けが中途半端なのと、グレン・クローズがミスキャストなのがきびしい。クローズは「ガープの世界」で映画デビューしてまだ間もないときで、「危険な情事」以後の怖い女、やり手の女のイメージがまだなかった頃ですが、これは明らかにクローズの役じゃない。彼女の演技力が無駄遣いされている。
この映画で一番おいしいのは、出番が少ないバーバラ・ハーシーで、初めて見たときも彼女が一番印象に残りました。有名スポーツ選手に銀の銃弾をお見舞いする女で、黒い衣装を着て、見るからに悪女、いわゆるブラックウィドウです。銀の銃弾というのは、たしか、狼男をやっつけるのに使う弾丸だと思いますが、そういうファンタジー的なところが最初から充満している映画で、そういう面は好きなのだけど、そのファンタジーがその後、あまりよい効果を上げていないのが残念なのです。
この黒衣の悪女に対するのが、白い衣装のクローズで、彼女の白い帽子に光が当たり、それを見たレッドフォードが復活するシーンは美しい。白い衣装のクローズは天使なのです。
一方、レッドフォードを陥れようとするキム・ベイシンガーは、ハーシーとクローズの中間的な女性で、だから、場面によって黒い衣装だったり白い衣装だったりします。この3人の女性の黒と白の衣装の対比は初公開時にも注目して見ていました(というか、私は昔からこういうところに注目する人間)。ベイシンガーは球団を陥れようとする側の人間ですが、彼女はレッドフォードに惹かれてもいて、だから中間的な女性なのです。が、このベイシンガーの中間的なところが消化不足なので困る。
そんなわけで、初公開時のいい印象が壊れちゃった、だから、昔見た映画をDVDで見るのはいやなんだよね、という感じになったのですが、最後に、エンドクレジットを見ていて、え、と思ったことが。
なんと、この映画、ニューヨーク州バッファローで撮影されていたのです! 映画の舞台はもちろん、バッファローではなく、主人公の所属する球団はニューヨーク市のチームなのですが、1920年代から30年代が舞台ということで、バッファローの現代っぽくない地域で撮影したのだと思います。エンドクレジットで、バッファロー市と市長に感謝する、とか書いてありましたね。「バッファロー66」とか、「ブルース・オールマイティ」とか、バッファローが舞台の映画はありましたが、「ナチュラル」がバッファローで撮影されていたとは知りませんでした。

2012年12月7日金曜日

紅葉

話題がないので、携帯で撮った写真。ちょっと古いですが。
今年は紅葉を見に行かなかったので、ほとんど写真はありませんが、下は某所の駅前の紅葉です。この場所は今はイルミネーションがいっぱいで、夜がきれい。

これは10月の緑化フェアの上野公園の噴水前から国立博物館方面を撮ったもの。手前の花が緑化フェア用です。この背後に以前アップした大根や稲があった。

某所の猫。頭隠して尻隠さず。

先月後半から一気に寒くなり、夏からいきなり冬に変わったようです。イルミネーションもあちこちで見られる今日この頃、今年もあとわずかとなりました。
今日から3日間、新横浜でホッケーの全日本選手権が行われていますが、私はパス。というのも、新横浜は毎週仕事で行く場所に近いので、土日もそこへ行くのはしんどい、土日くらい仕事忘れたい(でも、仕事の準備に土日がつぶれているので無理ですが)。というわけで、経過はネットでチェックですね。テレビはBSで録画放送するようです。

2012年11月30日金曜日

「故郷よ」

チェルノブイリ原発事故とその10年後を描く「故郷よ」を見た。
立ち入り制限区域でロケした初の劇映画で、撮影が終わって編集の最中に福島原発事故が起きるという、なんとも運命的なものを感じる映画だが、雪の積もったウクライナの風景が日本映画「希望の国」を連想させ、他人事とは思えない映画だった。
チェルノブイリ原発事故の当日、プリピャチで結婚式を挙げたヒロイン。しかし、事故の消火に向かった新婚の夫は放射能を大量に浴びて帰らぬ人となり、そして10年後、ヒロインは立ち入り制限区域のプリピャチでツアーガイドをしている。
事故の当日は荒れ模様で、黒い雨が降り、何も知らない人々はその雨を浴びてしまう。原発の技師は事故を知りながら、守秘義務のため、周囲の人には事故を知らすことができず、妻子を避難させ、その後は傘を大量に買って、雨にぬれる人に配っていく。彼はその後、姿を消し、幽霊のようにさまよって、プリピャチを訪ねようとしたり、人々の名前を聞いてまわったりする。
事故のとき、6歳だった技師の息子は、10年後、そのとき植えたりんごの木を探しに、立ち入り制限区域に帰る。彼は母親から、父親は死んだと聞かされているが、それを信じてはいない。
ツアーガイドをしているヒロインには2人の恋人がいる。彼女をここから連れ出そうとするフランス人の男と、地元で暮らす男。2人の男は、彼女の、ここから逃げ出したい気持ちと、ここにとどまりたい気持ちを象徴している。
立ち入り制限地域には老人たちが戻ってしまっているが、それだけでなく、一般人を対象としたツアーが行われ、ツアー客のために働く人たちがいる。その上、移民が勝手に住み着いていて、ヒロインが出て行くように言うと、男が銃を持ち出して彼女を追い返す。原発事故から10年もたつと、こんなことが起こるのか、と驚く。
スタッフと俳優が命がけで撮影したに違いないプリピャチの風景は美しい。「希望の国」の映像も美しかったが、この映画の立ち入り制限区域の映像を見ると、やはり本物のすごさが際立つ。でも、こんなところで撮影して、スタッフや俳優の健康に影響がないのだろうかと心配にもなる。
映画は事故で夫を失ったツアーガイドのヒロインと母親の物語と、事故後に失踪した技師とその息子の物語を並行して描く。母と娘の物語と、父と息子の物語だ。技師の父親が幼い息子にピアノを教えているシーンがある。10年後、息子がシューマンの「子供の情景」を弾くシーンがある。父親が教えていた曲である。息子がかつて通っていた学校、彼が住んでいた家、そして、彼が植えたりんごの木。一方、彼の父親は、幽霊のような姿であちこちを放浪している(彼は本当に幽霊なのではないかと思った)。
ツアーガイドのヒロインと、技師の息子、この2人の物語から浮かび上がってくるのは、帰ることのできない土地となったプリピャチに、帰りたい、帰れない、人々の心境である。そこには、禁止区域にとどまる人々を描いた「希望の国」とはまた違う方向性がある。私たちは福島を経験したばかりだが、チェルノブイリに対してはもう少し距離が置けるようになっている、そう感じさせる。でも、その距離は、福島を経験したからわかる部分が多い。
プレスシートの監督の言葉によれば、この映画は地元ウクライナでは複雑な受け取り方をされたらしい。四半世紀たっても、地元の人たちにとっては、受け入れるのがむずかしいのだろう。日本の私たちにとっては、2年足らず前の福島の物語よりも、この映画の方が冷静に受け止められるかもしれない。

試写室に行ったとき、宣伝の方から声をかけられた。年末公開の映画「最初の人間」について、私が書いた原作と映画の紹介を読んでくださったのだそうだ。おそらくBookJapanの書評だと思うが、このサイトは実はアクセス数があまり多くないのだけれど、少しでも役に立てたのならうれしい。文庫本も売れ行きがよいとのことで、映画もヒットしてほしいものだ。

2012年11月23日金曜日

雨の祝日

あいにくの雨の祝日。
2ヶ月くらいの間に携帯で撮った写真の整理をしました。

まず、上野公園で行われていた緑化フェア。昼間、デジカメで撮った写真はすでにアップしましたが、これは夜に通りかかったときに撮影したもの。こんな感じでライトアップがあったのです。

緑化フェアが終わった翌日、昼間に通りかかった上野公園。不忍池のところでもオブジェの展示があったようなのですが、ついに見に行かず。そして、終了翌日にはもう展示は撤去されて、このように、ハスが切り取られたあとが。バックは不忍通り沿いの高層マンション。

こちらは神社が見えます。ハスは根っこがあるのでまた生えてくるのだろう。

携帯ではおもに、夜に猫スポットに出かけたときに、撮影していますが、今の携帯はピント合わせの光が強いので、猫は正面から撮れません。これは、切り株に載って、街灯の光のシャワーを浴びる猫。

2012年11月22日木曜日

またまた書評です。

「日本人はなぜ「黒ブチ丸メガネ」なのか」(友利昴著、空想科学文庫)の書評を、BookJapanに掲載していただきました。
http://bookjapan.jp/search/review/201211/20121122
(リンク切れのため、次のサイトでお読みください。http://sabrearchives.blogspot.jp/2015/02/bookjapan.html

文章もイラストもとっても楽しい本でした。
しかし、この本に取り上げられているB級っぽい映画の数々は、私が見ようとさえ思わなかったものが多いのですが、へえ、そうだったのかあ、と感心することしきりでした。

2012年11月16日金曜日

31年ぶりの「秋のソナタ」

ソナタといえば、「冬のソナタ」ではなく「秋のソナタ」。イングマール・ベルイマン監督、イングリッド・バーグマン主演の1978年のスウェーデン映画。日本公開は31年前の1981年。場所は岩波ホール。もちろん、私は31年前にここで見ました。
その「秋のソナタ」がデジタルリマスターされてリバイバルされることになり、たまたま試写状が来たので、なつかしさから再見。31年前も見ごたえのある傑作だと思いましたが、年を経て、今だからわかることも多かったです。
31年前はまだ本当に若くて、バーグマン扮する母親はもちろん、リヴ・ウルマン演じる娘も年上でした。しかし、今見ると、ウルマン演じる娘エヴァは非常に子供っぽく、幼く見えます。
世界的なピアニストの母、シャルロッテはエゴが強く、自分勝手で、娘を愛さず、家も出てしまったという人物。娘エヴァは母に愛されたかった、でも、愛されなかった、という思いをずっと抱いている。エヴァは牧師と結婚し、息子をもうけたが、息子は4歳で死んでしまう。また、エヴァには脳性麻痺の妹がいて、エヴァ夫婦と同居している。あるとき、エヴァは恋人に死なれた母に手紙を書き、自分たちの住む牧師館に来るようにと誘う。やってきた母は、昔と変わらぬ自分勝手で思いやりのない人間だった。そんな母に、エヴァの怒りがついに爆発する。
最近、日本では、母が重すぎる、と悩む女性が問題になっているが、この映画の母娘はそういう、母が重い、というのとは違う気がした。シャルロッテは自分が一番大事で、家族はまったくどうでもいい人だ。脳性麻痺の次女については、会いたくないとさえ思っている。
一方、エヴァは、現在の私から見ると、親離れしていない女性に思えた。ウルマン演じるエヴァが幼く見えたのはそのせいだ。年の離れた夫はまるで父親のようで、エヴァは大人になりきれていないのだと感じた。
映画が進行する中で、エヴァは18歳のときに中絶手術を受けていたことがわかる。エヴァは生みたかったのだが、母親が中絶させたのである。そして、結婚した牧師との間にようやく息子ができると、今度は息子が死んでしまう。エヴァは2度も子供を失った。しかも、彼女と牧師の間にはなかなか子供ができず、養子も考えたというので、次の子供を授かる見込みはおそらくないのだろう。エヴァは最初は母によって、次は運命によって、自分が母になることを拒否されたのだ。
母に愛されない自分は母になれないと、エヴァは思ったのではないだろうか。
ラスト近く、牧師館そばの墓地で、エヴァが救いはあるのかと考えるシーンがある。ベルイマンといえば神の沈黙。神は救いを与えてくれるのか、という問いかけが、彼の作品の特徴としてよく言われていた。このシーンはまさに、ベルイマン的な神への問いかけだ。母親に強制されたからとはいえ、中絶という、神の意思に反することをしたエヴァに、はたして救いはあるのか。そして、息子が死んだのは中絶したことへの神の罰だと、エヴァは心のどこかで考えているのではないか。
そして、理解できない言葉を叫び続ける脳性麻痺の妹は、何を言おうとしているのか。
そんな娘たちを残して、母はまた演奏の旅に出る。離れていると家を思うが、家に帰ると、というようなことを彼女は言うが、そのときの彼女の表情は娘たちと一緒のときよりもずっと溌剌としている。
映画の最初と最後は夫である牧師の語りである。彼は妻を愛している。その愛は、夫の愛というよりは、神の慈愛に近いのかもしれない。

2012年11月15日木曜日

「格差と序列の心理学」書評

BookJapanに、池上知子著「格差と序列の心理学」の書評を掲載していただきました。
社会心理学の専門書で、まったくの専門外ですが、現状を肯定したがる人間心理について、非常に興味深い内容でした。

http://bookjapan.jp/search/review/201211/20121115
(リンク切れのため、次のサイトでお読みください。http://sabrearchives.blogspot.jp/2015/02/bookjapan_27.html

BookJapanには9月に、アルベール・カミュ著「最初の人間」の書評を掲載していただきましたが、先月末に文庫が発売されました。映画は来月公開です。原作も映画もイチオシ。

2012年11月14日水曜日

ホッケーの話題

実は、ホッケーの話題が全然ありません。
NHLは労使交渉がうまくいかず、ロックアウトに入っております。
ロックアウトといえば、2004年にもありまして、またかよ、な感じ。2004年のときはサラリーキャップが最大の問題で、結局、1シーズンすべてキャンセルになり、その後、選手会がサラリーキャップを受け入れ、NHLが大きく変わったわけですが、今回はどういうところが問題なのかイマイチわからず、なんとなく、またもや1シーズン、キャンセルかなあ、という感じになってきています。
まあ、2004年のときは、サラリーキャップ導入がセイバーズのような弱小チームにとって死活問題だったので、私もこのブロガーで、この問題を扱ったブログを作ったりしましたが、とりあえず、この問題は解決したってことで、そのブログも消去しました。が、そのとき、ブロガーにアカウントを作ったので、現在、このブログもできているってことでは、ロックアウトのおかげでできたブログってことでもあるんですが。
そんなわけで、セイバーズについては、NHLロックアウトで試合なし。アジアリーグは通常通り、試合が行われています(中国の混乱で、試合が延期になったりしてますが)。
が、先日、日光で行われた五輪一次予選で、なんと、日本が、地元開催にもかかわらず、最終戦でイギリスに敗れて最終予選への切符を手にできなかったという、なにやってんじゃ、おまいら、な状況になっているのであります。
なんでも、地元開催なのでプレッシャーかかったって、あんたら、プロか?
NHKが放送までしたのにねえ。
で、こうなると、あとは、わがデレク・プラントがアシスタント・コーチをつとめるミネソタ大学ダルース校のブルドッグスに期待するしかないのでありますが、そのブルドッグス、なんと、開幕戦勝利したあと、勝ち星なし。なにやってんのじゃ?
ヘッドコーチとか、変わってないし、デレクもいるんですが。まあ、まだ始まって1ヶ月なんですけど、どうしちゃったんでしょう。

んなわけで、ホッケーの話題はむむむな状況ですが、セイバーズの本拠地で、セイバーズに所属した選手たちのプレートがレンガに飾られたそうです。その写真をアップしてくれた方がいて、デレクのプレートの写真も手に入れました。細かくて見づらいかもしれませんが、とりあえず、アップします。

2012年11月12日月曜日

文京区立鴎外記念館

というものがしばらく前から建設中だったのですが、11月1日、ついに開館。
たまたま通りかかったらカフェが見えたんで、のぞいてみました。
以前はここは鴎外図書館という建物でした。森鴎外の住居だった場所に立てられた図書館で、鴎外記念室もあって、そこで鴎外ゆかりの展示がいつも見られました。
鴎外が住んでいた家屋は焼失してしまったらしく、下のような普通のコンクリートの建物ですが、イチョウの大木のあるあたりがちょっと日本庭園風で、好きだったのですが、

記念館に建て替えられたら、こうなってしまった。これは裏路地から入る門ですが、大通り沿いの正面の姿ははっきりいって、みにくい。なにか怪しげな建物にしか見えない。

中は今はやりのコンクリート打ちっぱなしというやつで、風情も何もありません。
裏路地から入るとすぐにカフェが見えます。下はカフェの中からの写真。
カフェはコーヒー、紅茶、ハーブティーがそれぞれ400円。お茶はポットで来ます。それにお菓子が少し売ってます。400円は高いのか、すいていました。私が鴎外に関する本など読んでいるうちに(カフェに本が何冊もある)、お客は私一人になっていました。そのうち、ここ、自動販売機を置いて、ただの休憩所になったりして。

ここは大通りから入ったところ。中は展示室、図書室(資料は少ない)などがあります。

以上、写真はすべて、鴎外記念館HPから拝借しました。
http://moriogai-kinenkan.jp/

まあ、正直、場所のむだだなあ、と感じましたね。図書館はすぐ近くに、前より大きな図書館ができていて、そっちの方が客が入ってます。記念館は1回来たらもういいって感じだし。展示室は入場料取っていたので、入りませんでした。

2012年11月2日金曜日

秋のバラ

今年も秋バラを見に、旧古河庭園へ行ってきました。
去年は11月末に行ったのですが、今年は1ヶ月近く早かったので、バラはあまり咲いてない。紅葉もない、で、かなりがっかりでした(そのかわり、すいていた)。

今年はこんな水のオブジェが洋館の前の花壇の前にありました。





「市民ケーン」ではありませんが、実は私はバラのつぼみが好き。特に開きかけたつぼみが好きです。洋館をバックに。



奥の日本庭園へも降りていきましたが、紅葉がないので見どころもなく、人もほとんどいません。鯉が口をバクバクあけて、えさをほしがっていました。

こちらはカラス。そのそばにわずかに紅葉が。

さきほどの水のオブジェの前のバラ。ここのバラは手入れが悪いのか、アップで撮ると悲惨なのが多い。

実は、入園したときは快晴でしたが、入って30分くらいで雲が出てきて、あっという間に曇ってしまった。



風が冷たく、アイスを食べる気分ではなかったが、このショットを撮りたくて買ったバラのアイス(250円)。このあと、寒さにふるえながらアイスを食べました。冬用にバラの羊羹(洋館のダジャレか)を売っていましたが、私は羊羹は苦手。

去年の11月末の旧古河庭園のバラその他はこちら。4つの記事に分けて写真を掲載しています。
http://sabreclub4.blogspot.jp/2011_11_01_archive.html

2012年10月27日土曜日

緑化フェア@上野公園

今週末で閉幕する東京都の緑化フェア。上野公園では噴水池のそばで大根やらお米やらを栽培しています。これまで通るのは夜ばかりだったので、農業がテーマらしいのはわかっていましたが、概要はよくわからず。そこで、金曜の夕方、まだ日があるうちに写真を撮ってきました。

まずは、噴水池の手前から国立博物館方面を。フェアに合わせて花が飾ってあります。

りんご。よく見ると、針金でつっている。

これもりんごらしい。

大根畑。

唐辛子。

カブ。

大根畑の真ん中に小道が。その向こうの建物は国立博物館。

女性が稲刈りをしてました。見ていた年配の方が、こんなところで作って闇米じゃないの?と冗談を言ってました。

大きな鏡です。撮ってる自分が映っている。


横から見ると。

コスプレした人がいた。

ここにもコスプレの人が。

これは以前、夜に通ったときに撮った写真。

おまけ。谷中の紅白彼岸花。

野菜や果物はよく盗まれないなあと思いましたが、都心のスモッグがたっぷりついたものは食べたくないでしょうね。
園内では東北の農産物の直売や、音楽の演奏、大道芸などもやっていました。不忍池でも何かオブジェの展示をやっているようですが、まだ見ていません。