アクセス数が激減しているのをいいことに、次々更新しております。
風邪もようやく治りかかり、腕もそこそこ回復したので、先週は試写を何本も見たのですが、どれも見ごたえがあってよかったです。
で、まだ感想をアップしていない2本について。
まず、ノルウェー映画「孤島の王」。20世紀初頭、ノルウェーの孤島の少年院で起こった反乱事件をもとにしたフィクションです。たくましい船乗りの少年が罪を犯して、この孤島の少年院に送られてくるところから映画は始まります。本来なら刑務所に入るべきところを院長が少年院行きに変えたとのことで、その罪とは殺人では、と思われるところがありますが、詳しいことは描かれません。
この少年と強い絆で結ばれるのが、あと少しで出所できる模範的なリーダー格の少年。彼は11歳のときに教会の献金箱から金を盗んだとして6年間ここにいる、ということになっています。
この種の、刑務所や少年院が舞台で、そこにいる受刑者や少年が主人公の場合、彼らの罪については語られないか、同情を誘う罪になっていたりするのですが、これもそのとおりで、少年たちの罪についてはまったくといってもいいほど明らかにはされません。ただ、この時代には、今だったら執行猶予、起訴猶予になるような罪でも刑務所や少年院に長く入れられたのではないかという気はします。19世紀にはパンを盗んだだけで流刑とかあったようだし、特に子供が罪を犯すのは社会に原因がある場合も多かったと思われます。
主人公の少年は常に脱獄を考えるような反抗的な少年ですが、模範的な少年に、3本の銛を撃たれても1日生き延びた鯨の話をします。主人公は読み書きができないので、この物語を模範少年に口伝えで書いてもらいます。その中で、自分は船長、きみは甲板長だ、と言います。
一方、少年院の院長は、孤島の少年院を船にたとえ、同じ船に乗り組んでいるというようなことを言います。この院長を演じるのが、「奇跡の海」などでおなじみ、ハリウッド映画でも活躍するステラン・スカルスガルド、この映画では唯一、日本でも知られている俳優です。
この院長の下で、少年たちを管理している寮長が、実はある少年に性的虐待を加えている、ということが映画の中心になっていきます。少年たちはみな性的虐待のことを知っているのに黙っています。しかし、主人公の少年に「おまえは自分が出所することしか考えていない」と言われた模範少年がついに院長に直訴。そのあとの院長の描写が見ごたえがあるというか、世界的に知られる名優を使っただけのことはあるところです。
この院長は決して悪人ではなく、むしろ善人なのです。だから、少年たちも、院長なら正しいことをしてくれると期待しています。しかし、寮長は院長の弱みを握っていて、結局、院長は保身のために嘘をついてしまうのです。
このあたりの展開と、少年たちの怒りの結果は、ここでネタバレしない方がいい、予備知識なしで、少年たちの気持ちになって見てほしいと思います。
また、日本の学校で生徒の自殺があったとき、校長が調べもせずに「いじめはなかった」と言ってしまう心理も、ここを見るとわかる気がします。現実に立ち向かうというのは、大人にとってもむずかしい、いや、大人だからむずかしいのでしょうか。
ラストは、模範少年が大人になって、少年院のある島へ戻ってくるシーンです。そこで、実はこの模範少年こそ「白鯨」の語り手イシュマエルであったことがわかります。映画は船乗りの少年が島に来るところから始まりますが、最後は模範少年の視点で終わるのです。3本の銛を撃たれても1日生き延びた鯨の寓話の意味も、ここでわかります。鯨が誰なのか、エイハブ船長が誰なのか。
2人の少年を演じる若い俳優がすばらしく、冬のノルウェーの白い風景の中で繰り広げられるドラマは、ある種の寓話や伝説のような雰囲気をかもし出しています。個人的には、これはとても好きなタイプの映画です。北欧映画の透き通った、ひんやりとした静けさの中のドラマ。スウェーデン映画の「ぼくのエリ」や「ミレニアム」第1作、「インソムニア」のオリジナルのノルウェー映画「不眠症」と共通する雰囲気。クライマックスには「不眠症」と「インソムニア」に似たショットもありました。
もう1本はケン・ローチの新作「ルート・アイリッシュ」。イラク戦争には正規軍のほかに、金で雇われた民間兵が派遣されていて、その兵士を派遣する、いわば兵士派遣会社みたいなのがあって、軍隊経験のある貧しいイギリス人たちが大金がもらえるというので、会社にリクルートされて民間兵としてイラクへ行き、戦死したり、負傷して障害者になったりしているという現実。そして、その民間兵はイラクでどんなひどいことをしても罪に問われないという現実。この2つの現実を、ローチが突きつけています。
舞台はローチ映画ではおなじみのイングランド北部、その代表的な町の1つリバプールで、主人公は民間兵として高い報酬を得て、現在は会社を興し、高層ビルに自宅を兼ねたオフィスを構えている、という設定。しかし、彼と同じように民間兵になった人の中には、負傷して障害者になってしまった者もいる。そして、彼の親友がイラクで死亡するのだが、親友が民間兵によるイラクの民間人虐殺を訴えようとしていたとわかり、仲間によって殺されたのではないかと思う主人公が調査を始めると、という物語。
イラクの民間兵とその派遣会社の問題、戦争が民営化されている問題、民間兵による残虐行為が野放しになっている問題など、ローチらしい問題提議がなされているのですが、それでも印象に残るのは、イギリスの貧しい人たちが金のために民間兵になっていること、そして、学歴もなく貧しい主人公も民間兵として稼いだ金で立派な高層ビルの一室に住んでいるという、この貧富の差、社会の不平等の生む現実です。主人公が住む高層ビルの窓から見える風景が、先日見た「SHAME」の成功した主人公が住む高層ビルの窓からの風景によく似ているのも皮肉です。どちらも海が見えるのですが、リバプールとニューヨークは大西洋の東と西なわけです。
映画はミステリー仕立てで、どんでん返しもあるので(というより、主人公がもっとよく考えるべきなのだが、この心理がイラクでの民間人虐殺につながるのだろう)、エンターテインメント的な面白さもあります。ローチは「この自由な世界で」では、イギリスの貧しい女性が不法移民で儲けて成功しようとする話を描きましたが、貧しい人の中に加害者と被害者がいるという図式はこの映画にも透けて見えます。それはイギリスの貧しい男たちがイラクで加害者になるという図式でもあるでしょう。
ただ、こういう話は結末のつけ方がむずかしい。「この自由な世界で」と同じく、この映画の結末もなんとも暗いものです。何も解決しないまま、世界は悪くなる一方であることを示唆するような結末です。