人を見る目がないので、人間関係で失敗が多い私だが、かつて、この人は絶対、将来テレビに出て有名になる、と思い、本当にそうなった人がいる。
それは1981年か82年だと思うが、当時、イギリスの小説家トマス・ハーディを研究する大学院生だった私は、同じくハーディの詩を研究していた同期の院生とハーディ学会に出かけた。若い大学院生の研究発表のあと、ハーディの小説「ダーバヴィル家のテス」のシンポジウムがあり、そこにパネラーとして出ていたのが、あの田嶋陽子・法政大学教授(当時)。マジメな話をする他のパネラーの中にあって、田嶋教授はとにかく声がでかく、話すこともアカデミックではなく、ひたすらフェミニズムなのだが、その話しぶりが面白くて、聴衆を笑わせていた。
同席した院の友人は、「あの人の話はおもしろおかしく人を笑わせるだけ、研究の中身がない、でも、有名大学の教授だからあれでもなんとかなっている」ときびしかった。しかし、私は、あの教授は将来、必ずテレビで有名になり、人気タレントになる、と確信した。
それから10年近くたって、本当に、田嶋陽子氏はテレビの人気タレントになった。その男性をびびらせる舌鋒は、欲求不満を抱えていた女性からは絶大な支持を得た。その後、大学教授をやめて政治家になり、最近は政治的発言でネトウヨの攻撃も受けているようだ(5年前からテレビが見られない状態なので、最近はよく知らないけど)。
田嶋氏は30年前からすでにタレントであり、研究者としてどうとかなどどうでもよく、とにかくテレビタレント向きの人気者だということはその当時から明らかだった。
「有名になる人や活躍する人は実力があるわけじゃない、人気があるだけなのよ、人気者にならないとだめなのよ」と歌うミュージカルがあるらしい。
この歌詞のことを書いていたブログの主は、1日の訪問者数が数千人という人気者で、6月には大手出版社から初の著書を出版予定。その本の担当編集者のブログを見ると、この著者を売り出そうと、シンポジウムを開いたり、準備にぬかりがない。スタイリストが計算して作ったと思われる若手キャリアウーマンの肖像写真、「大型新人」という言葉。そして、アマゾンなどで二転三転する著書のタイトルと内容説明。最終的に決まったと思われるタイトルは、それ以前のタイトルよりずっと読者をひきつけるものになっている。
かくして人気者は作られる。いや、この人自身が前から人気者だったので、出版社はそれに乗ったのだが、いずれ、テレビに出るほどの人気タレント(?)になるかもしれない(田嶋教授と違って、ジツブツを拝んだことがないので、テレビのタレント性については確信がもてないが)。
この人が自分のブログで、上の歌詞について書いたのは、自分がこういうふうに売り出されるのは実力ではなく、人気ではないかと危惧してのことだろう。
彼女は経済のスペシャリストなので、正直、彼女が優秀なのかどうかは私にはわからない。彼女のブログを初めて読んだのは、英語教育についての記事が検索に引っかかってきたときだったが、英語教育の現場を知らない人の意見で、あまり感心しなかった。しかし、経済に関する記事は非常に意欲的で、私にはよくわからないというか、言ってることはわかるけど、それが日本や世界の経済にどういう影響を与えるのかがわからないので、なんともいえないのだが、あれだけの人に支持されているということは、経済の最先端にいるビジネスマンには役に立つのだろう。
すでにネット上ではバッシングの書き込みもあるこの「大型新人」。コメント欄できついことを書かれても、相手を尊重して上手に受け答えするだけの懐の深さもある。この人がネットの外でどう発展するのか、しないのか、なんとなく注目している(でも、経済のことはやっぱりわかりません)。