木曜日は誘拐映画2本立て。
最初はローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズの1作の映画化で、リーアム・ニーソンがスカダーを演じる「誘拐の掟」。
私はリーアム・ニーソンをかなり早い時期に発見したと自負しているファンで、「ダークマン」の頃にコミケでファンブックを作って売っていたという実績もあるくらいだけれど、2000年代以降のアクション・スターになってからはあまりフォローしていない。私が好きだった彼とは違う彼になってしまったんだもん、という感じかな。
で、この映画もアクション・スターとしての彼の映画なので、まあ、そこそこかな、というか、猟奇殺人が目的のサイコキラーがついでに身代金を要求という設定にかなり無理を感じたのは私だけか?
このサイコキラーたちの描写がどうにも説得力がないので、とりあえず、脚本に破綻がないので見られるけれど、なんだか消化不良な出来栄え。
続いて見たのが、1983年にオランダで起きたハイネケン経営者誘拐事件の映画化「ハイネケン誘拐の代償」。こちらは「裏切りのサーカス」のトーマス・アルフレドソンの兄のダニエル・アルフレッドソン監督。スウェーデン版「ミレニアム」の2と3の監督でもあり、芸術的香りのあった1に対し、ダニエルの監督した2と3は完全な娯楽映画だったことからもわかるように、この映画も完全な娯楽映画で深みはない。
映画はイギリス出身の俳優が多く出演し、セリフも英語。誘拐されるハイネケンはアンソニー・ホプキンスで、彼が老獪な人物で、若い犯罪素人の誘拐犯を手玉に取るというので期待していたが、実際はホプキンスの演じるハイネケンは精神的に強いが、特別ユニークな人物ではなかった。
このハイネケンが言うせりふ、裕福とは大金を持つことと友人を多く持つことで、この2つは両立しない、という言葉は、実際に彼が言ったのかどうかはわからないけれど、なかなかに的を射ている。映画の初めの方で、誘拐犯の1人の親がかつてハイネケンの友人だったが、解雇されたにもかかわらずハイネケンを友人と思っているというシーンがあって、これがこのテーマの伏線にもなっている。
映画は90分余りと短いので、非常にテンポがよく、飽きない。深みはないが、よくできた映画だ。誘拐犯たちは世の中に不満を持っている普通の若者たちで、周到に準備して誘拐をするが、徐々に破綻が起こる。ただ、彼らが人を殺したり傷つけたりしないという方針を最後まで貫くので、ハイネケンにも誘拐犯にも寄り添える仕組みだ。
犯人側からだけ描いているので、不満は残るが、金に換えられないものがこの世にはある、というテーマは生きている。
なお、この題材はオランダでも映画になり、そこではルトガー・ハウアーがハイネケンを演じているのだそうだ。こんなに名優が演じるハイネケンて、どんな人だったんだろか。
実は私は若い頃はビールはハイネケンが好きだった。なので、ハイネケンがタイトルにあるこの映画にはかなり期待していたし、映画を見たらハイネケンが飲みたくなった。
そこで帰りにコンビニでハイネケンを買って飲んでみたのだが、あれ、こんな味だっけ?
うーん、発泡酒が出てからというもの、本物のビールを飲まなくなって、ビールの味を忘れてしまったのかな。でも、このハイネケンの味だったら、キリン一番搾りの方がいいかも。
日本のハイネケンはキリンが出しているので、本場のハイネケンは違うのだろうか。
などと、ほろ酔い気分でこの記事を書いています。