ツイッターを見ていると、役に立つこともあるけれど、頭を抱えてしまうことも多い。
ご本人は大変リベラルでまじめな方なんだけど、そのツイート、間違ってるよ、という場合のこと。
たとえば、ある博士課程在学中という文系の方は、集英社文庫の「日はまた昇る」を買って読み始めたが、新訳なのに訳が悪い、とツイートしている。
しかし、しかし、集英社文庫の「日はまた昇る」は古い翻訳の改訂新版、平たく言えば文字を大きくするとかそういうことをしただけのやつ。
新しい翻訳なら早川文庫や新潮文庫がある。1970年代の古い翻訳を「改訂新版」の文字で新訳と勘違いしたままのようである(教えてやる人はいないようだ)。
この人は「ディア・ハンター」をアメリカン・ニューシネマとか書いていて、映画や文学に関しては目をおおうものが多いのだが、それ以外だと役に立つツイートはある。一応、博士課程なんだから、勉強してほしい。
もう1つは、映画「未来を花束にして」にイチャモンつけているフェミニストの女性たちである。
もともとは、「サフラジェット」という原題を「未来を花束にして」というヤワな邦題にしたことと、ポスターがほんわかなものにされているという点で、去年からさかんに配給会社を批判していた。
確かに一理あるのだが、最近になって、日本のポスターはオリジナルのポスターをフォトショで変えて、「女性に投票権を」と書いたバッジを消してしまった、というツイッターがあった。
実は、この映画にはオリジナルのポスターが2種類あって、片方はハードなタイプ、もう片方はソフトなタイプ。日本が採用したのはソフトな方だった。
そのソフトな方には「女性に投票権を」というバッジはついていない。かわりに、ヒロインが仲間からもらう小さな勲章がついている。
2種類のポスターはこれ。
日本では下の方の女性たちの胸から上を採用している。キャリー・マリガンの勲章は消されているが、実はフランス版のポスターも同じように胸から上を採用し、勲章は消している。ただ、フランス版は一番下にフランス革命ふうの戦いの絵を入れていて、「レ・ミゼラブル」ふう。
女性たちの言い分にも一理あるし、配給会社がソフトムードを強調しすぎるきらいはあるのだが、それでもチラシを見れば女性参政権のための戦いの映画だということはわかる。
イチャモンばかりつけていると結局、映画のネガティヴ・キャンペーンになってしまうのだが、映画館に来てた人はごく普通の人たちで、男性もいたから、ツイッターごときはさほどの影響はないのかもしれない。
あ、あと、映画の最後に世界主要国の女性参政権獲得の年がずらっと出てくるのだが、なんと、日本は出てこない。
このことをなぜ誰も言わないのだろう?
2月8日追記
政治学者で著書もある木下ちがや氏が、上の日本版ポスターがバッジを消した、というツイートをリツイートしていた。
上に書いたように、日本版ポスターはバッジのあるポスターとは別の、バッジのないポスターを採用したのであり、間違った元ツイートに対してそれを指摘するツイートも出ている。
しかし、間違ったツイートはこのようにして名のある学者によってリツイートされ、それを誰かが拡散して、こうしてデマが拡散していくのだ。
木下氏はじめリベラルな人はデマの拡散に対して批判をしているが、自分自身が無知と善意からデマを拡散しても注意する人がいないとそのままになる。
私はツイッターをやっていないのでデマだと言えないのが残念だが、ツイッターをやるつもりもない。このデマが悪い影響を与えないことを祈るしかない。