2017年2月9日木曜日

「はじまりへの旅」(ネタバレあり)

ヴィゴ・モーテンセンがアカデミー賞やゴールデングローブ賞などにノミネートされた「はじまりへの旅」。
ノーム・チョムスキーを崇拝し、文明生活を捨てて人里離れた山奥で6人の子供と暮らす男が主人公。子供にはサバイバル訓練をさせ、夜は大人の読むような古典や研究書を読ませる。幼い子供がジョージ・エリオット(19世紀イギリスの女性作家)の「ミドルマーチ」を読んで「面白い」と言っているのだが、あれは結婚に失敗した女性の哲学的思索や心理がえんえんと続く小説なんだが。
主人公には妻がいるが、双極性障害で3か月ほど前から入院中。その妻が自殺したと知った主人公と子供たちが、妻/母の遺言をかなえるため、彼女の両親が葬儀を行うニューメキシコへ出かける。彼女は仏教徒で、火葬を望んでいるのに、両親はキリスト教式の葬儀と埋葬をする予定だからだ。主人公は妻の父とは犬猿の仲である。
主人公は左翼思想にかぶれ、資本主義とキリスト教を唾棄すべきものと思っていて、子供たちも父の影響でそういう考えに染まっている。次男だけがそんな父に懐疑的。なんだか奥田英朗の「サウスバウンド」を思い出す。森田芳光が映画化した小説だ。元過激派の夫婦が左翼思想に凝り固まって、まわりからは変人と思われているが、息子がやっぱり親に懐疑的。
こちらの主人公たちは途中、主人公の妹夫妻を訪ねる。そこで、子供たちが現実社会とはまったくなじめないこと、本で学んだことしか知らないことが露呈する。その一方で、妹夫妻の子供に比べてはるかに高い知識を持っていることもわかる。
最後は主人公と子供たちが葬式に乗り込んでひと騒動、祖父母の側についてしまう次男、母の教育のおかげで一流大学に合格し、進学したい長男、そして、次男を取り戻そうとして起こった不慮の事故をきっかけに、主人公が変わらざるを得なくなる。
ヴィゴ・モーテンセンの演じる主人公は「サウスバウンド」の主人公を彷彿とさせる。ただ、「サウスバウンド」の主人公がどちらかというとコミカルであり、沖縄へ行ってからは英雄になってしまうのに対して、この映画の主人公はいかにもアメリカの男という感じだ。もちろん、コミカルな面もあるけれど、アメリカの開拓者の男の伝統を引いている。そして、現実と折り合いをつけていく結末も「サウスバウンド」とは大いに異なる。
「サウスバウンド」の夫婦が一枚岩なのに対し、この映画では実は夫と妻の間に意見の食い違いがあったことがしだいにわかってくる。また、山奥に住むことにしたのは妻の病を治すのが目的だったこともわかる。そして、主人公の妻は最終的には夫との人生を肯定していたこともわかる。
主人公を否定されるべき父として描き、最後に主人公が敗北する映画にすることもできただろうが、この映画はそうなっていない。彼がそうならなかったのは、要所要所に女性の理解があったからだろう。主人公の妻、妹、そして妻の母親。妹の夫がいくぶん主人公たちに理解がなさそうなのに比べ、妹は苦言を述べつつも理解者である。妻の両親は、父親の方は主人公を完全に拒否するが、母親は夫と娘婿の間でおろおろしつつ、主人公や子供たちにやさしく接する。主人公の妻が夫との人生を後悔していなかったことを告げるのは彼女だ(ちなみに、父親はフランク・ランジェラ、母親は「コンプライアンス」のアン・ダウド)。
アメリカ映画を見ていると、この手の理解ある女性がけっこう多くて、女性の画一的な描き方、と文句を言いたい気持ちもあるのだが、女性たちの導きで男性が変化していく映画でもある。
子供たちを演じる俳優もとてもいい。次男役は子役時代のリヴァー・フェニックスに似て、プレスにある「モスキート・コースト」の連想もわかる。長男役もよい味出しているし、幼い少女もかわいい。
思えばフェニックスの一家もこんな一家だったんだよなあ、確か、と思いつつ、長男の最後の決断、文明社会に復帰した一家の暮らしがハッピーエンドなのかどうか、ちと考えてしまうが、そういう面も含めてよくできた作品である。