2017年3月3日金曜日

「お嬢さん」(ネタバレあり)

サラ・ウォーターズの小説「荊の城」を映画化した韓国映画「お嬢さん」を見にTOHOシネマズ市川コルトンプラザへ。
ここは初めて行くシネコンですが、最寄駅は総武線本八幡。
実は高校大学時代、駅前の八幡スカラ座によく行っていたのです。
大学4年のときに転居し、以後は行っていないので、ほぼ40年ぶりの本八幡。とはいっても、当時は京成八幡から歩いていたので、本八幡駅に40年ぶりに降り立ったわけではないのですが。
八幡スカラ座はもう閉館していて、建物はまだ残っていましたが、パチンコ屋とレストランが入っているくらいな感じ。あそこの映画館は1階と2階があって、天井が高かったので、あそこを再利用はむずかしいだろうな。中どうなってるのか入ってみたかった。
市川コルトンプラザの方は駅から徒歩10分。無料シャトルバスもありますが、総武線の高架線の下を歩いて行きました。正直、地元の人じゃないとわかりづらい感じだし、細い道だから暗くなったら怖いなと思って、映画が終わってまだ明るいうちに駅まで戻りました。シネコンの入っているビル自体も狭くてあまり見るところなさそうだったので(ニトリがあったけど)。

さて、「お嬢さん」ですが、一応原作はだいぶ前に読んでいたので、展開に驚くとかそういうことはなかったですが、一番大きなどんでん返しがなくなっていたのと、日本統治下の朝鮮半島を舞台にして、日本の春画や春本を使った女性へのセクハラというか性的虐待が重要な要素になっているのが興味深かったです。北斎の有名な春画がある事件の種明かしになっていたり。
日本統治下の朝鮮半島が舞台ということで、日本人が悪役なのかな、日本の支配が描かれているのかな、と思ったら、これはちょっと違いました。
悪役はむしろ、日本人女性と結婚して地位と財産を得たい朝鮮人男性2人。
このうちの1人の性的虐待を受けるのが日本人女性2人。
そこに貧しい朝鮮人女性がからんでくる。
もちろん、日本人になりたがる朝鮮人男性たちの背後に日本の支配があることは確かなのですが、そこまでは言及していない映画のように思えます。
政治色とかそういうのは抜きにして、耽美的で面白い映画に仕上げた、という感じ。

原作を読んだ人は、あるいは原作者サラ・ウォーターズを知っている人はご存じのとおり、これは百合ものです。
日本人と結婚して日本人になった朝鮮人の叔父のもとで暮らす日本人のお嬢さんと、そこに雇われた貧しい朝鮮人の侍女が同性愛の関係になる。
第一部、第二部、第三部と、映画は三部構成で、第一部はなつかしのコリアン・エロスのような雰囲気。といってもコリアン・エロスって何?な人もいると思いますが、1990年代頃、韓国は性描写を厳しく規制していて、セックスシーンは肝心なところは見せない、隠すのが当然でした。が、その隠した婉曲な表現がかえってエロティックで魅力的だと、主にレンタルビデオ店でコリアン・エロスとして人気を得たのです。韓流ブームよりも前の話です。
それが第二部になると、「アデル ブルーは熱い色」を彷彿とさせる大胆な性描写に。
エグイというかグロイシーンもあるので、「アデル」のようには受け入れられないかもしれないけど、なかなか見応えのあるエロスですよ。
お嬢さんの叔父は日本の春画や春本を集めていて、それを最初は妻に朗読させ、妻が死ぬと姪に朗読させます。それを男たちが聞いてエロスにひたるという会合を開いていて、明らかに女性に対する性的虐待なわけです。それを知った朝鮮人侍女の怒りがすさまじい。
原作と違って、パク・チャヌク監督は女性2人の男たちへの復讐を最後に持ってきています。映画の方がフェミニズム的。
性的虐待の被害者が2人の日本人女性で、加害者が日本人になろうとする朝鮮人男性、という構図なのですが、日本人であるお嬢さんは日本語の春本を朗読させられたために日本語が嫌いになっているという設定もあり、また、朗読会に集まる男性たちがおそらく日本人であることなど、いろいろと深読みできそうな設定なのですが、その辺、ほかの人はどう考えるのか知りたいところ。今日が初日なので、これからさまざまな意見が出てくるのかもしれません(期待)。
なお、キネ旬の監督インタビューを読むと、監督は日本映画や日本文化に造詣が深く、かなり好きなようです。