2017年3月31日金曜日

「ムーンライト」+1(ネタバレあり)

アカデミー賞作品賞受賞の「ムーンライト」を初日に見てきた。
さすが作品賞受賞効果で、平日の昼間なのにけっこう入りがよかった。
映画はとてもよかった。「ラ・ラ・ランド」の面々が、「ムーンライト」好きだからあちらが作品賞でよかった、と言うのも納得。
物語は3部に分かれていて、主人公シャロンの幼い頃、高校時代、そして大人になってからが描かれる。
シャロンは黒人ばかりが住む南部の町に住んでいて、いじめにあっているのだが、その原因が彼がゲイであるからだということがだんだんわかってくる。麻薬密売地域にいた彼を保護したヤクの売人とその彼女がシャロンの保護者のようになる。シャロンの母は男関係が乱れていて、息子にとってはよい母ではない。一方、ヤクの売人の男は人間的には人格者で、ゲイを差別せず、シャロンの父親のような存在になる。
タイトルの「ムーンライト」はキューバ出身のこの男が幼い頃に老婆から聞いた、「月の光に照らされると黒人がブルーに見える」という言葉から来ている。この映画では黒人たちがお互いをニガーとかブラックと呼び、シャロンも途中からブラックと呼ばれるようになるが、月明かりの中でブルーに見えるというのがなんとも不思議な感触。
高校生になったシャロンは今度は不良からいじめにあう。同時に、ゲイとして愛を感じる相手にも出会うが、その結果は悲しい別れになる。
不良からボコボコにされたシャロンを、不良にいじめられた被害者としか見ない大人。シャロンの気持ちはもっと複雑で、そこにゲイの愛がからんでいることが周囲にはわからないし、シャロンも説明しない。しかし、このことがきっかけで、やせっぽちのおとなしいシャロンは別の人間へと変化する。
最後の大人になったシャロンは筋肉をきたえたマッチョマンになっている。幼い頃に出会ったヤクの売人(その後死んだことを暗示するせりふを母が言う)にどことなく似ている(彼も売人になっている)。高校時代に愛を感じた相手からの突然の電話、老いた母との再会、そして、その相手との再会で映画は幕を閉じる。
悪い母親だけどおまえを愛している、と言う母。結婚と離婚をし、子供もいる高校時代の相手は今は食堂を経営。その彼がある歌を聞いて突然、シャロンに会いたくなったという。
高校時代、不良に復讐し、警察に連行されるシャロンと、それを見つめる彼のシーンから何年もたっているが、2人の間には純な思いがあったとわかるラスト。
登場人物は黒人だけで、黒人社会の中のゲイ差別が描かれているが、それがテーマというわけではなく、むしろ、黒人社会の中のゲイの純粋な愛が描かれるラブストーリーだ。しかも、かなりプラトニック。
思えば「ブロークバック・マウンテン」が作品賞を受賞しなかったとき、ハリウッド人は保守的でゲイが嫌いと言われたが、ゲイの映画が受賞するにはまだ時代が追いついていなかったのだろう(個人的には受賞した「クラッシュ」の方が私は好きだったし、「クラッシュ」もいい映画だと思う)。それよりさらに前、黒人社会の中の女性差別を描いた「カラー・パープル」が作品賞を受賞しなかったとき(「愛と哀しみの果て」より明らかに優れていた)、いかにも賞ねらいのスピルバーグが嫌われたからと言われたが、実際は、黒人ばかりが登場する黒人社会内部の問題を描く映画が受賞するにはまだ時代が追いついていなかったのではないか。
「カラー・パープル」と、そして「ブロークバック・マウンテン」のリベンジが、ようやく「ムーンライト」によってなされた、時代がついに追いついたのだと思う。

で、せっかく出かけたついでにと、同じシネコンで「君の名は。」をまた見てきた。これで3度目。今回が一番泣けた。
毎回泣けるのは、三葉の組紐が瀧の手に渡るシーンなのだが、今回はこのあと、かたわれどきのシーンで、別れた2人がどんどん相手の記憶を失っていくシーン。瀧が「忘れちゃいけない人」と言ったときにどっと涙が。
この映画、シニアが泣いている、という話をよく聞くのだけど、年をとるほど忘れちゃいけない人、忘れてはいけないことが増えるんですよ。それを思い起こされるから泣くのだろう。
あのクライマックス、2人がどんどん相手の記憶を失っていく緊迫感が、彗星災害から町の人々を救おうとする2人の緊迫感と重なっている。転んで倒れた三葉が、瀧が手のひらに名前を書いたはずだと思って手を見ると、そこには「すきだ」と書かれている。名前を書いてくれないなんて、と思った三葉だが、その言葉に彼女と町の人を救いたいという瀧の思いを見て、彼女は勇気を奮い起こす。
忘れてはいけない。このテーマで見ると、クライマックスは納得のいくものになる。
今回気づいたのだが、彗星災害は2013年。高校生の瀧の世界は2016年。瀧が社会人になったときが彗星災害から8年なので2021年。そして2人が再会する桜の季節は翌年の2022年。
つまり、2人が町を救ったあとの時代は未来なのだ。
だから、私たちは今、まだ町を救おうとしているところだということで、救えるかどうかは今にかかっているということになる。
2人が町を救ったあとの未来はとても平和な世界だけれど、今このときにできることをしなければ、その後の世界があの結末のような平和な世界になるという保証はないということ。
やっぱり、深いですよ、「君の名は。」
あと、神木隆之介と上白石萌音は男女2人の主役両方を演じているわけだけど、三葉が瀧に入ったときの神木の演技がすばらしい。これまでは上白石の演じる三葉の心情表現に耳を奪われていたけど、神木の三葉演技はほんとうにすばらしい。心が女になった男をみごとに表現しています。