「映画 聲の形」、「この世界の片隅に」、「虐殺器官」とアニメの試写状をいただいたのにスケジュールの関係で見に行けず、「聲の形」と「この世界の片隅に」は映画館で見たが、「虐殺器官」は原作の一番重要なところをカットしてしまったと聞いて見る気がなくなってしまった。あの部分があるから原作は名作なのに。
で、今度は「ひるね姫」の試写状が来たので、これは見てきた。
期待されているのか、大盛況。確かに面白い。
主人公は瀬戸大橋がそばに建つ岡山県倉敷市に住む高校三年生のココネという少女。生まれてすぐに母を亡くし、自動車修理工の父親と2人暮らし。いつでもどこでも寝てしまうココネは最近、奇妙な夢を見るようになる。それは父がかつて創作して話してくれたファンタジーの物語だった。
一方、父親は何かのトラブルを解決するために東京へ行く予定だったが、突然逮捕されてしまう。そしてココネのもとにも怪しい男たちがやってくる。
ココネの見る夢は実は現実とパラレルになっていて、現実の人物が夢にも出てくる。その夢の世界はSFファンタジーの世界で、魔法を使えるお姫様が襲ってくる巨大な鬼との戦いに挑む。一方、現実の世界では、ココネは怪しい男たちから逃げながら、幼馴染の大学生と一緒に父親逮捕の真相に迫る。
この映画は「君の名は。」と似ていると思われているようだが、確かに似ている部分がある。
夢と現実がパラレルになっていて、夢の世界と現実の世界が交互に現れる、というのは過去のファンタジー作品にもよくあったが、ここは「君の名は。」とは似ていない。
むしろ、夢の世界は巨大ロボットの戦闘ものになっていて、この手の戦闘ものに食傷ぎみの私はうーんという感じだったし、また、願えば叶うみたいな精神論が多いのもちょっとね、だった。ただ、この夢の世界の話はココネの過去と未来と事件の真相にかかわっていて、その謎解きとして見るととても面白い。
「君の名は。」と似ているのは主人公の設定だ。どちらも女性主人公は田舎の女子高生で、東京へのあこがれがある。母がいないのも同じ。そして、ここからはネタバレになるのだが、母がクライマックスで大きな役割を果たす。
「君の名は。」は主人公・三葉がどうやって父親を説得したのかがまったく描かれていないのが難点なのだが、それはおそらく死んだ母が関係していたのだろうと私は思ったし、新海監督ではない別人が書いたサイドストーリーではまさに母が町を救うためにすべて仕組んだということになっていた(新海監督自身の考えかどうかは不明)。
「ひるね姫」の方は父と母の関係が重要な要素になっていて、クライマックスでは死んだ母が大きな役割を果たす。
実は「ひるね姫」の作画スタッフには「君の名は。」のスタッフが2名入っていて、何らかの影響関係があったのかと思ってしまう。どっちかが真似をした、のではなくて、むしろ、偶然同じような構想を考えていたが、「君の名は。」は高校生男女のラブストーリーが中心なので、母の部分は意図的にカットしたのかもしれない。「ひるね姫」ではココネは恋愛をしていない。むしろ、こちらは家族愛、親子愛、夫婦愛といった愛の方が物語の中心になっている。ここは大きな違いだ。
「ひるね姫」は2020年の東京オリンピックの直前に設定され、スマホやタブレット、そして自動車の自動運転技術が登場する。でも、この映画の雰囲気はなぜか、1964年の東京五輪の時代をそこはかとなく感じさせるのだ。
裕福とはいえない町工場の修理工が天才的な技術者で、そこから自動運転の優れた技術が出てくるとか、ココネの家とその周辺の昭和な雰囲気とか、高度成長時代に向かっていたかつての日本を彷彿とさせる。場面が東京になったとき、登場するのは東京タワーで、スカイツリーではない。
そして、ラストに流れる60年代のヒット曲、「デイドリーム・ビリーバー」。私の世代にはなつかしいモンキーズの歌。
2020年の東京五輪に向かう今の時代は、60年代のような未来への希望がないと感じる。貧しい人は大学進学もむずかしく、貧しい人の中から才能のある人がどんどん出てきて日本を発展させるという空気がない。
父親の経営する大企業の古臭い体質に反感を覚え、町工場で新しい技術を追究する若い夫婦の姿が描かれるが、そういう未来への希望や可能性が今、あまり感じられない(大企業の取締役が黒いスーツの男性ばかり、というのは今もそうかもしれないが)。
新海監督は「君の名は。」で田舎が牧歌的な楽園ではなく、町長と土建屋の癒着などの問題があることを見せていた。東京は、逆にピカピカのあこがれの世界として描いていた。「ひるね姫」の神山監督の描く田舎は牧歌的な楽園に見える。このなつかしさが、2020年の東京五輪と一緒に出てくることへの違和感、夢の世界での願えば叶うの精神論が正直、喉につかえた魚の小骨のように気になるのだが、それでもよくできた面白い話であり、物語の中心にある家族愛には素直に感動できる。