仕事帰りに金曜が初日の「怪物はささやく」を見てきた。
木曜も仕事帰りに映画を見たので、2日連続。木曜は川崎のチネチッタで「君の名は。」(これで18回目)。チネチッタは音響がすばらしいと聞いていたが、確かにこれまでで一番音がいい。これまであまりよく聞こえなかった音がいろいろ耳に入ってくる。また、冷房が効いてなくて少し暑かったのだけど、エアコンの音がないので、無音のシーンはほんとにしーんとして無音状態。無音をこれほど意識したのは初めてだった。
川崎は生まれてから10歳まで住んだ場所で、駅前のデパートさいか屋の食堂でお子様ランチをよく食べたものだが、そのさいか屋のすぐそばがチネチッタだった。さいか屋は2年前に閉店、昨年建物を解体したが、その後、同じ場所で規模を縮小して営業しているらしい。時間がなかったので見ることができなかったけれど。川崎駅に降り立ったのも数十年ぶりだったので、昔の面影はいっさいなかった。
さて、「怪物はささやく」は「永遠のこどもたち」のJ・A・バヨナ監督の作品。「永遠のこどもたち」は好きな映画なのでぜひ見たいと思ったが、情報を知ったときは公開までかなり間があった。それで原作を先に読んだ。
これが正解で、原作を読んでネタバレ部分がわかっていると、怪物の話す物語の意味がツーカーでわかる。
原作を読んでいたときは話がどうなるのかわからなかったので、怪物の話す物語の意味がわからないまま読み進めていたのが正直なところ。
後半は主人公の少年コナーの抱える苦悩と罪の意識が明らかになり、このあたりは緻密で奥深い内容になっていて、原作小説への高い評価もよくわかる。
以下、ネタバレなのですが、
コナーは重い病(おそらく末期ガン)で死にかかっている母親と暮らしている。父は離婚してアメリカで再婚相手と暮らしているので、母の死後、父親のもとに行くのはむずかしい。なので祖母が引き取る予定だが、コナーは祖母のところで暮らしたくない。
一方、コナーは崖っぷちから落ちる母の手を放してしまう悪夢を何度も見ていて、それは母を失いたくないという思いからなのだが、心の底では実は、母の死を待つのが苦しくて、早く終わってほしいと思っている。これがコナーの罪の意識になっている。
コナーの家の窓から見えるイチイの木は木の怪物となってコナーの前に現れ、3つの物語を話し、その後、コナーに真実の物語を話せと言う。そこで上に書いたようなコナーの心の底にある真実が暴露され、そのことによって、コナーは母の死を受け入れられるようになる。
原作小説はモノクロの凝った挿絵がページ全体に描かれていて、この挿絵も高い評価を得ているのだが、映画は水彩画をモチーフにした絵が何度か登場する。
まず、メインタイトルが美しい。それから、怪物の話す物語がこのメインタイトルと同じ水彩画のモチーフのアニメで描かれる。原作のモノクロの挿絵に比べ、明るい印象。そして、この水彩画が最後に意味を持ってくるのがニクイ。
原作者が脚本を書いているだけあって、映画はほぼ原作に忠実なのだが、幼馴染の少女が出てこないとか、母親の病が知れ渡ったために学校の人々の少年に対する態度が腫れ物に触るようになったとかいった描写はカットされている。いじめだけが残って、少し物足りない。怪物の3番目の話の透明人間は少年のそういう状態をさしていると思うのだが。
怪物の話す最初の物語は、原作を読んだときは意味がわからなかったのだが、映画を見ると、これは王子がコナー、魔女が祖母だとわかる。王子は魔女を滅ぼすために恋人を殺し、それを魔女のしわざだと言って魔女を追い出すが、母の死を待つのが終わってほしいという気持ちが恋人殺しに相当するし、祖母を嫌っているのが魔女を嫌う王子と重なる。魔女は悪くない、という怪物の意味もそこから理解できる。恋人を殺した王子が幸せに生きると言う怪物の言葉もそうだ。
2番目の物語は薬剤師を疎んじていた牧師が、2人の娘が重い病にかかったので薬剤師に薬を頼むが、牧師は信念を捨てたと言われ、薬はもらえず、娘たちは死んでしまう。これも母を病気で失うコナーが信念を捨てた牧師に重なるのだろう。
最初の話も2番目の話も、コナーの罪の意識を反映している。
以下が一番のネタバレ、原作と違うところです。
上に書いたことは原作を読めばわかるネタバレなのですが、これから書くのは映画オリジナルのネタバレ。
ご注意ください。一応、色を変えます。
原作は母の死を受け入れたところで終わるが、映画はオリジナルの後日談がついている。
母の死後、コナーは祖母の家に引っ越してくる。彼の部屋はかつて、母が住んでいた部屋だった。
そこには母の描いた画集がある。
開いてみると、なんと、怪物が話した最初の物語がそこに絵で描かれているのだ。
水彩画ふうのアニメと同じ絵である。
そして、木の怪物の肩に少女時代の母と思われる女の子が載っている。
部屋には母の少女時代の写真もあるが、その写真を見ると、どうやら祖父はリーアム・ニーソンだ。ニーソンはこの映画では木の怪物を演じている。
つまり、怪物の話した物語は祖父が母に話した物語ではないのか(「ひるね姫」っぽいけど)。
映画のはじめの方で、祖母が祖父の映写機で古い「キング・コング」の映画をコナーに見せるシーンがある。母の画集にもキング・コングの絵がある。怪物は少年を救いに来た祖父だったのか。
水彩画ふうの絵が最後に意味を持ってくる、と書いたのは、このことです。