2017年10月6日金曜日

「エルネスト」(ネタバレあり)

チェ・ゲバラとともにボリビアで戦い、命を落とした日系ボリビア人フレディ・前村・ウルタードの短い生涯を描く阪本順治監督の日本キューバ合作映画。
フレディもゲバラも1967年に相次いでボリビア軍に処刑されているので、没後50周年となるのが今年2017年。
こういう映画は批判しにくいのだけど、うーん、なにかだらだらとした展開で、メリハリもなく、監督はいったいどっちのエルネストを描きたいのかと思った。
エルネストはゲバラの名前であり、フレディはゲバラからエルネストという偽名を授かる。が、このシーン、別にゲバラが自分の名をフレディにあげたのではなく、いろいろある名前の中からエルネストを割り振った感じにも見える。フレディはゲバラ同様、医学の道をめざしているので、自分の名をあげたのかもしれないが、そのようには描かれていない。
フレディがボリビアからキューバに留学する前、1959年のゲバラの広島訪問から映画は始まる。当時はまだキューバ革命が起こったばかりで、日本ではこの革命がどういうものかもよくわからず、ゲバラもまったく無名で、取材に来たのは中国新聞の記者ただ一人。ゲバラは、過ちは繰り返しません、という碑銘になぜ主語がないのか、とか、これだけのことをされてなぜ日本人はアメリカに怒らないのか、などと質問する。
その後、キューバにソ連のミサイルが配備されてキューバ危機が起こり、ゲバラが広島を思い出すシーンも出てくる。
ちなみに、映画を見た10月6日、ノーベル平和賞がNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」に贈られた。今年の核兵器禁止条約成立に貢献した団体で、この条約の会議に日本が出席しなかった(条約を批准しなかった)こと、独自に参加した日本共産党が大きな役割を果たしたことがニュースになった。日本政府はこのノーベル平和賞受賞もガン無視の模様。広島を訪れたいというゲバラに対し、日本は訪問を認めようとしなかった、という背景がさりげなく映画に描かれているが、現実に比べて映画の表現は弱すぎないか?
余談だが、「エルネスト」を見たのは昨年、「この世界の片隅に」を見たのと同じスクリーンの同じ席だった。意識して予約したわけではないが、広島つながりで無意識のうちにその席を選んだのだろう。
この実話にもとづくゲバラの広島訪問はそれでも映画の中では光っている。が、主役であるもう1人のエルネスト、フレディの話になると、オダギリ・ジョーの好演をもってしても、話が全然面白くならないのだ。
フレディはボリビアでは裕福な家の子供だったようだが、貧しい親子のために食べ物や薬を持っていったり、キューバの大学生になってからは、妊娠して捨てられた女性とその子供のために尽くす。その一方でゲバラやカストロの影響を受ける。やがて医学を捨ててゲバラと共に戦いに出るのだが、この辺のドラマがどうもメリハリがなく、退屈で、飽きてしまう。途中で帰ってしまった老夫婦がいたが、ゲバラの時代に生きていたような年齢の人が退屈して帰ってしまうような映画を作ってはいけないのではないか。
フレディがボリビアの戦いに出かけ、そこで死ぬ、というのが予定調和的に描かれるだけで、そこに至る葛藤が何も描かれていない。
監督は本当はゲバラを描きたかったのではないか、とさえ思ってしまう。
あるいは、ゲバラやフレディに対して遠慮があるので、彼らを映画の人物として追究することができないでいるのか?
現代の老いた学友たちがフレディを語る結末のシーンはハリウッド映画で見たことのあるようなもので、せっかくご本人たちに来てもらったのに、胸に迫るものがない。
そして気になったのが、フレディがボリビア軍に処刑されるシーン(以下ネタバレ注意!)。





フレディが本名を名乗ると、ボリビア軍のある兵士がフレディに対して怒りをぶつける。彼はかつて、少年時代のフレディが食べ物や薬を持って行ってやった家の少年だったのだ。
裕福な家のフレディは善意から貧しい親子を助けようとしていたのだが、助けられたはずのその兵士は、金持ちが自分たちを憐れみに来ていた、としか思っていなかった。
そうなってしまった背景が、まったく描かれていない。
想像するに、おそらく、クーデターを起こした政府に批判的なのは裕福なインテリが多く、貧しい庶民は独裁政権側についたとか、そういう背景があるのではないか。
フレディをはじめとするボリビアからの留学生は裕福なインテリの人が多かったのではないか。その背後に、多くの貧しい人々がいた、ということを、フレディの最初のエピソードと最後のエピソードでわずかに描きながら、それ以上追究しないところに、この映画のもの足りなさ、他人事感があるように思えてならない。キューバとの合作ということで、いろいろ遠慮しなければならないところがあったのかもしれないが(?)。

追記
「エルネスト」を、ゲバラと共に戦った日系人がいた、ということを強調するのは、日本生まれのカズオ・イシグロがノーベル賞を受賞した、ということを強調してまるで日本のことみたいに言うのと同じで、それは最近はやりの日本スゲエでしかないのだが、「エルネスト」も宣伝はその種の日本スゲエになっているけれど、映画自体はそうではない。日系人であることを強調していない。そこはいいところかもしれない。ただ、ゲバラと広島、ゲバラと日本から、日系人フレディにつなげようとしてつながらないみたいな中途半端な感じはある。