アカデミー賞の候補にもなっていたポール・トーマス・アンダーソン監督の新作「ファントム・スレッド」。古風な映画、という噂は聞いていましたが、要するに、次の2点で表せる映画。
1 これってモラハラ映画でないの? 主人公の男女2人は気が強いからいいけど、配偶者などからモラハラ受けてトラウマになっている人にはお勧めできない。
2 元ネタは「レベッカ」と「ジェーン・エア」。どちらもジョーン・フォンテーン主演で映画化されていて、監督がフォンテーンについて言及している。
1950年代のロンドン。貴族や王族のドレスをデザインする仕立て屋レイノルズ(ダニエル・デイ・ルイス)は立ち寄ったレストランで働くウェイトレスのアルマ(ヴィッキー・クリープス)に出会う。その場でアルマをナンパし、夕食を共にし、自宅に招いてドレスを着せたり採寸したりする。
レイノルズにとってはアルマは仕立て屋としての霊感に役立つミューズだったわけですが、でもね、普通に考えて、いきなりナンパされて行っちゃって大丈夫なのかな、と思ってしまいます。相手が有名な仕立て屋とわかってるならともかく。現実だったらヤバイよ、ヤバイ。
全体にストーリーは現実とは少々かけ離れた内容なので、まあいいのかもしれませんが。
アルマはしだいにレイノルズを愛するようになるのですが、レイノルズは自分のライフスタイルを神経質なまでに守りたい男で、それが少しでも乱されると耐えられないタイプ。なので、彼を愛するアルマが2人だけのディナーをセッティングしても、それはレイノルズには耐えられない。そんな状況なわけだから、しつように愛を押し付けるアルマはなんだかストーカー女みたいだし、レイノルズも彼女の介入が嫌なら追い出せばいいのにそれはできない。ある種、共依存のような関係で、互いに自分のやり方を押し付けるような、相手を支配しようとするような関係になる。
これは本当に支配の物語で、特にストーカー女のアルマが自分のライフスタイルを守りたいレイノルズをなんとしてでも支配下に置こうとする話、なんですね。
前半、アルマが大きな音をたてて食事をしているのにレイノルズが腹を立てるシーンがありますが、後半、アルマが支配的になると、彼女はわざと大きな音を立てたりする。相手のいやがることをわざとやるという、モラハラです。
自分のライフスタイルを守りたいためにアルマにきつく当たるレイノルズの態度もモラハラかもしれませんが、この映画ではアルマのストーカーぶりやモラハラぶりが際立つ。普通、ストーカーやモラハラは男が加害者で女が被害者の場合が多いのですが、映画ではどうも女にそういう役割を振る傾向があって、個人的にはそこは引っかかるところです。男の都合でものごとが見られている、という感じを強く受けます。
それはともかく、この映画は明らかにダフネ・デュ・モーリアの小説とそれを映画化したヒッチコックの映画「レベッカ」のパロディ(?)です。
レイノルズはマンダレイの主人、アルマはその新妻(小説では語り手「私」で、名前がない)、レイノルズの姉シリル(レスリー・マンヴィル)が怖い家政婦、そして亡き妻レベッカに相当するのはレイノルズの母。
「レベッカ」の新妻は何も知らない善良な女性で、結婚してマンダレイの屋敷に来てから亡き妻レベッカのことを知り、原作では夫がレベッカを殺したことを知って(映画では事故になっていた)、それでも夫と秘密を共有しながら生きていく、という話ですが、アルマはそんな善良な女性ではなく、母の髪の毛を上着の芯に入れて生きているレイノルズを支配することで最終的にレイノルズとの愛を確かなものにする、という話。人物の構成は「レベッカ」と対になるけれど、「レベッカ」のヒロインとは違って、アルマは夫を支配することで人間関係を乗り切っていく。
この、夫を支配することで乗り切っていく、というのがシャーロット・ブロンテの小説で何度も映画化されている「ジェーン・エア」です。この小説は「レベッカ」の元ネタという説もあります。
「ジェーン・エア」は裕福なロチェスターの家に家庭教師として来たジェーンがロチェスターと恋に落ち、結婚しようとしたときに彼に妻がいることが発覚(妻は発狂して屋根裏部屋に閉じ込められている)。結婚はとりやめになり、それでも愛人になってほしいというロチェスターを断って、ジェーンは旅に出る。その後、ロチェスターの屋敷が火事になり、妻は焼死、彼女を救おうとしたロチェスターは身障者になってしまう。それを知ったジェーンはロチェスターのもとに戻り、彼と結婚するのですが、ここでロチェスターとジェーンの立場が逆転するわけです。最初はロチェスターの方がジェーンを支配できる立場だったのが、最後はジェーンがロチェスターを支配する立場になる。もちろん、ジェーンは支配的な女性ではなく、「レベッカ」のヒロイン同様善良な女性ですが、男に支配されない自立した女であり、ロチェスターより強い立場になって初めて彼を受け入れる、というふうになっているのです(これは「ジェーン・エア」論ではよく言われている)。
そう考えると、「ファントム・スレッド」は人物関係は「レベッカ」、結末は「ジェーン・エア」で、この2作はヒロインが善良だけど、「ファントム・スレッド」はヒロインがストーカー的でモラハラで、という意地悪な見方になっているわけです。
「レベッカ:も「ジェーン・エア」も作者は女性。それを男のアンダーソンが男の見方で描いた女の話。だからナンパにアルマが簡単についていくし、男性の方が多いはずのストーカーやモラハラを女のアルマがする、というふうになっているのだな。
女は怖い、と言いたい男にはそれなりにいい映画かもしれないけど、女の立場からするといろいろ突っ込みたいところのある映画。