みんなが絶賛しているのに自分だけ絶賛できない映画、というのがたまにあって、賞レースで話題の「シェイプ・オブ・ウォーター」は久々そういう映画だった。
確かに映像と音楽は美しいし、古い時代の雰囲気もよく出ているが、一言で言うとこの映画、「大アマゾンの半魚人」をベースに大人の「ET」を作りました、という感じの作品。
声帯を傷つけられたために耳は聞こえるが言葉がしゃべれないヒロイン、イライザと、1960年代初頭にアメリカの宇宙開発研究のために運び込まれたアマゾンの半魚人が、手話を通してコミュニケーションし、2人は恋に落ち、男女の関係にまで発展する。ETと同じく、彼には傷を治す力もある。その間、半魚人を殺そうとする追っ手がいて、2人の別れのシーンで一緒に行こうとか行かないとかの手話の会話。まんま「ET」やんけ。
と書くとネタバレしたみたいですが、このあといろいろあるのでネタバレとまでは行ってません。
で、なんで絶賛できないかというと、理由は2つ。
1 猫が殺されるのだが、そのあとの主人公たちの態度が猫の命などとるに足らないといった感じであること。だいたい、半魚人はそれまでゆで卵を食べるシーンしかなかったけど、食べ物がゆで卵だけってコレステロールが、となるし、じゃあほかにどんなもの食べてたのか全然わからないし、で、半魚人は猫を食べるの? それが本能だからしかたないの?
猫好きとしては納得できない! 半魚人はそのあと反省したみだいだけど、死んだ猫のこと誰も悲しまない。ううう、猫を殺しさえしなければこんなツッコミを入れずにすむのに。
半魚人の命は大事だけど猫の命はとるに足らないということですね、ハイ。
まあ、どこかで命の線引きはしないといけないので、そういう考えがあってもいいですが、半魚人の命を救わなければ私たちは人間じゃない、とイライザに言わせるのだけど、半魚人は知性があって人間と対等かそれ以上の存在だから、なんですね。うーん、うーん、どうも引っかかる。
口直しに「空海」また見たくなったわ。
2 メタファーが浅くて表面的ではないか?
1はもっぱら猫好きの不満ですが、2は作品のテーマに関わる重要なことなので、詳しく書きます。
この映画で半魚人を助けようとする人は孤独なマイノリティという共通点がある。
政府の研究所の清掃員のイライザ(サリー・ホーキンズ)は声が出せず、生まれてすぐに捨てられ、天涯孤独な身。同僚の黒人女性(オクタヴィア・スペンサー)は生まれてすぐに母が死に、きょうだいがいない。夫がいるが、今は冷めた関係。彼女もまた天涯孤独。
イライザと仲のよい隣人の初老の男(リチャード・ジェンキンズ)は売れなくなった画家で、なおかつ隠れゲイである。彼はそれでも画家としてゲイとして社会に受け入れられるという望みを持っていたが、どちらも裏切られ、イライザの半魚人救出に加わる。
そして、研究所の科学者は実はソ連のスパイで、研究所が肺の機能を調べるために半魚人の生体解剖をしようとしていることを知り、ソ連の情報部からは半魚人を殺せという指令を受ける。イライザ同様、半魚人を人間と同じように考えている彼はイライザに協力する。この過程で科学者はソ連の情報部にとって自分はただのコマにすぎないと感じ、彼もまた孤独を自覚する。
これらの孤独なマイノリティ、孤独な孤立者たちが半魚人を助けて逃がそうとするのだが、ここにもう1人、別のタイプの人間がいる。マイケル・シャノン演じる研究所の管理者で、刑務所や収容所の残酷な看守の系列にあたる人物。見るからに悪役で、正直、シャノンとしては「ノクターナル・アニマルズ」の演技に比べると一本調子。彼は白人であり男であり、妻と子供がいるヘテロという点で、マジョリティ中のマジョリティである。彼は明らかに女性や黒人を見下していて、妻がいるのにイライザに手を出そうとする。悪のマジョリティの典型。
で、この人物がまるで深みのないただの悪役なんだが、半魚人が逃げ出したあと、上司の将軍にきびしく責任を追及され、まるでロボットのような殺人マシンのような人物になってしまう。
というか、この人物、半魚人に指を食いちぎられてから狂気に陥っていくみたいにも見えるんだが、最後は将軍の言葉に操られるロボットになってしまっている。
孤独なマイノリティである最初の4人に比べて、この人物は孤独にならない。マジョリティであり、そしてロボットになってしまうから孤独にならないのだが、この辺の対比がどうも深みがなく、それでメタファーが浅くて表面的だと感じるのだ。孤独なマイノリティたちも画一的に見える。
また、1960年代初頭の米ソ冷戦という時代もメタファーとして浅い感じがする。特にこの時代にする必然性が感じられず、描き方も単純で、米ソの軍や情報部を冷酷な悪役にしているが、薄っぺらすぎる。
出演者の中ではサリー・ホーキンズがすばらしいが、他の俳優は彼らの実力から考えれば特にすごくない、普通の演技だと思う。ただ、ホーキンズだけはすばらしく、結局、上に書いたいろいろなメタファーは実はどうでもよくて、中心は抑圧された孤独な男女の恋の物語、上に書いた要素はその恋を彩るための飾りと考えればいいのか、という感じもする。つまり、人間とか社会とか考えると底が浅い映画だけど、孤独なはみ出し者の男女の恋だけ見ていればよい映画なのかもしれない。