最近、映画はシネコンをハシゴしてかためて見るときもあれば、週に1本しか見ないときもあり、先週今週は週に1本。先週はマイケル・ムーアの「華氏119」の試写。今週は「カメラを止めるな!」3回目を上野のシネコンで。
「カメラを止めるな!」はTOHOシネマズでは本日25日(木)に終了と知り、あわてて3回目を見に行った。
これまでの2回は流山おおたかの森だったので、3回目もそうしようかと思ったが、時間とスクリーンの大きさで上野のTOHOシネマズへ。ここは去年の春のプレオープンに行って以来、久々だったが、流山のスクリーンよりも映像がきれいだったので、得した気分。流山のときは必ず隣に人がいたが、今回は平日の昼間ということもあって、両隣が2席ずつ空いていたので、思い切り笑えました(隣に人がいて、なおかつ、まわりから笑い声が聞こえないと笑いを押し殺してしまう)。帰りも映画について語り合う人たちの声を聞きながら帰る感じになり、それもよかった。
さすがに3回目ともなると、新しい発見は少ないのだが、エンドロールで本物のスタッフの仕事ぶりが映されるとき、30分以上カメラを持って走り回るカメラマンに給水しているシーンがあり、なるほど、と思った。マラソンランナーが走りながら給水するみたいだった。
この映画、ドラマの中で映画の撮影をする人、ドラマを撮影する人、それを撮影する本物のスタッフ、そして、エンドロールでスタッフの仕事ぶりを見せるためにさらに彼らを撮影するスタッフ、という具合に、4重の構造になっていることに気づいた。それをいかにもメタフィクションふうに高尚ぶってやるのではなく、単に面白くするためにやっている、というところがいさぎよくていい。この映画のよさは、そういう衒学的な深読みを無にしてしまうような、底抜けの面白さ、おかしさ、楽しさなのだ。
後半のネタバレのスタップスティックな笑いもすばらしいが、そこに家族愛やドラマを作るスタッフキャストのドラマを入れているのが好感度を上げている。
監督が生中継ワンカットのドラマを引き受けたのは、娘の好きな俳優が出演するからであり、その娘がもうすぐ一人暮らしを始めるので、さびしさから台本に幼い娘を肩車した写真を貼る。また、監督の妻も夫と同じ気持ちで、娘のために母子で撮影現場に行く。そのことがドラマ撮影のトラブルを救うことにつながるのだ。
テレビ業界で妥協を強いられている監督、妥協できない娘、女優になると我を忘れる母の親子3人がけっこう似た者同士だし(監督も本当は妥協したくない)、また、自分勝手なキャストの面々がドラマに夢中になるにつれてラストシーンに向かって結束していくシーンにはスポ根もののような面白さがある。
家族愛とか、こういう、どちらかというと手垢のついた要素を、面白い設定の中で、スタップスティックな笑いの中にはめ込むことで、奇想天外だけれど人の心に響く映画になっている。
それにしても、無名の俳優たちの生き生きとした表情や演技には驚かされる。
先週の試写「華氏119」は話題作なので、ネットでもいろいろ深い論議がされるのではないかと思うが、今のところ、なんだか他人事みたいな文章しか目に入ってこない。
私が書いてもたいしたことは書けないので、もっとちゃんとしたものが書ける人に語ってもらいたいと思うのだが(まあ、これからに期待)。
ムーアは前作「世界征服のススメ」ではかなり丸くなっていて、もう怒ることもないのかと思ったが、今回はかなり怒っている。というのも、彼の生まれ故郷、ミシガン州フリントの水質汚染問題を扱っているからで、日本でも水道民営化が言われているが、フリントのケースは民営化したらこうなる見本としても見られる。鉛による汚染により、大変な被害が出ているのにそれが隠蔽され、オバマ大統領が来るので改善を期待したが、オバマはなんと、水を飲むパフォーマンスをして、改善に手を貸さず。その上、人が逃げ出したフリントの地域で軍が事前予告もなく演習を始める。フリントは貧しい黒人が多く、逃げ出すこともできない人が多く、そういうところで軍事演習を勝手に始めるのだが、自国民に対してもこんなことをするのだから沖縄に対しても平気でひどいことをするわけだ。
と、ここだけでも水道民営化、米軍基地、といった日本の現在、あるいは未来の問題を想起させるのだけれど、先の大統領選挙に関しても、民主党のだめさかげんが日本の旧民主党あたりのだめさかげんに重なるのだ(日本の方はだめなのわかってるので、アメリカの民主党も日本と大差ないのか、と驚くのだが)。
バーニー・サンダースが党員の投票ではヒラリー・クリントンに勝っていたのに、民主党の特別な規定で全部ひっくり返され、ヒラリーに決まってしまったというのは知らなかった。民意が無視されたと感じた人々は投票に行かなかったというが、当たり前だ。
共和党の政治家も民主党の政治家も大企業から献金を受けていて、金持ち階級であり、貧しい庶民のことを本気で考えていない、とムーアは言う。
また、サンダースは若者に支持されていたのに、マスコミは「同世代の支持を受けている」と書き、あたかも高齢者だけに支持されているかのような誘導をしたとムーアは言うが、これも、沖縄の知事選で、デニー知事が若い人に支持されていないかのような伝え方をしていた印象があった。マスコミがおかしいのも、どうも日本だけじゃないらしい(日本よりはマシなんだろうけど)。
全体に、ムーアの主張は、トランプを選んでしまった人々を批判するよりはむしろ、そういう流れを作ってしまったことを反省する形になっている。ムーア自身、トランプとその周辺の人々と親しくしすぎたと反省している。また、マスコミがヘイトスピーチをする人々を出演させているのに抗議しなかった視聴者の責任についても言及しているが、このあたりも日本のことを言われているようだ。
というわけで、いちいち日本と比べて、日本のことも言われているような気がしてならなかった。
ムーアが期待するのは、労働者、庶民から政治家になろうとする人々、そして銃乱射事件の悲劇をきっかけに銃規制を訴える高校生たちだ。彼らの力強い言葉と表情に、未来への希望を託している。