2019年3月29日金曜日

「ダンボ」&「僕たちのラストステージ」

1月末に天井の落下事故があり、点検のために約1か月休館したあと、今月はじめから一部のスクリーンで営業を開始したTOHOシネマズ日本橋に「ダンボ」を見に行った。
まだ閉鎖中のスクリーンはあるけれど、全体としては以前と同じ感じに見えた。ただ、上映作品が少ないので非常に閑散としていた。「ダンボ」もガラガラ。
まあ、「ダンボ」はティム・バートン監督、マイケル・キートン、ダニー・デヴィート出演という、往年の「バットマン・リターンズ」の監督と主演の2人なので見に行ったようなもので、ほとんど期待はしていなかったが、それでも少しは見どころがあるんじゃないかと思っていたけれど、全然なかった。
冬の「くるみ割り人形」もだけれど、ストーリーや脚本が最悪。それでも「くるみ割り人形」の方がヴィジュアルや音楽でまだ見どころがあったが、「ダンボ」はまったくだめ。
1919年、第一次世界大戦で片腕を失い、妻は病死で2人の子供が残されたサーカスの曲芸師がサーカスに戻って象の世話をすることになる。団長(デヴィート)が新しく買った象は妊娠中で、小象が人気者になることを期待していたが、耳が大きすぎてだめだと判断されてしまう。母象は売主に返されてしまい、その後、小象のダンボが大きな耳で飛べることがわかり、という出だし。
このあと、サーカスと提携してドリームランドというテーマパークを作った男(キートン)が悪役となるのだけれど、とにかくストーリーがよくこれでOK出たなというシロモノで、これじゃいくら工夫しても面白い映画になるわけないだろうと思う。
ヴィジュアル的にも魅力があまりないし、音楽がいいわけでもない。
特に実写のダンボがかわいくない。
リアルな象だからかわいくない、というのもあるが、動きや表情がかわいくないし、なにより、空を飛ぶダンボに爽快感がない。
なんでこんなに飛ぶシーンに爽快感がないのだろう、と思い、リチャード・ドナーの「スーパーマン」とか、サム・ライミの「スパイダーマン」とか、ジェームズ・キャメロンの「アバター」とか、宮崎駿のアニメとか、飛ぶシーンが魅力的だった映画がいくつも頭をよぎり、ティム・バートンの飛ぶシーンの下手さ、魅力のなさに唖然とする。
思えばティム・バートンは空を飛ぶシーンを魅力的に撮ることがなかった人だったなあと気づく。
バットマンがビルのてっぺんに立って下を見下ろすとか、シザーハンズが山の上の城にいるとか、高い場所にいる人を描くことはあったが、その場合でも決して主人公の視線で高いところからまわりを見ることはなかった。彼らは常に遠くから見られていただけだった。
ダンボも、ダンボ自身が空を飛ぶ爽快さとか楽しさを感じるようにはまったく描かれていない。普通なら、ダンボの視線で飛ぶ風景が描かれるのに。
ダンボがかわいくないのも、ダンボに感情移入させないからだ。
ただ、ティム・バートンの映画を思い起こしてみると、バートンは異形の人々に対する共感を強く描いていたが、彼らの中に入ってまわりを見ていたわけではなかった。バートンは基本的に外からしかキャラクターを見ないのだろう。
だから、耳が大きいので異形の存在にされるダンボの気持ちも、母への思いも、形だけしか描かれていないと感じる。でも、「シザーハンズ」や「バットマン・リターンズ」のような優れた作品では、外からしか描かなくても彼らへの共感は大いにかきたてられていた。「ダンボ」にはそれがない。
異形の存在に対するバートンの興味そのものが形骸化してしまったのだろうか。


と、かなりがっかりの「ダンボ」だったけれど、その前に試写で見た「僕たちのラストステージ」はよかった。
戦前に映画で絶大な人気を誇ったスタン・ローレルとオリヴァー・ハーディのコンビがすっかり落ち目になった頃の、1953年のイギリス巡業を描いた作品。
最初は狭いホールでも客は少なかったが、巡業を続けるうちに人気が沸騰、ソールドアウトが相次ぎ、ついにロンドンで広い劇場を満員にして公演ができるようになる。
その間、ローレルとハーディが仲良しコンビではなく、特にハーディはローレルを仕事仲間としか思っていないことなどから、2人の間にいさかいが起こる。2人の妻たちも相手の夫をよく思っていない。しかし、彼らのけんかも周囲にはコントに見えてしまうという見かけと現実の落差。
そんなとき、ハーディが倒れ、医者や妻から引退を勧告されたとき、ローレルとハーディはお互いがなくてはならない存在であることに気づく。
ローレルとハーディは、ローレルが脚本を書き、それを2人で演じるという形だったのだけれど、ローレルにとってはハーディの存在がコントを書く触媒になっていたことがわかる。なんとなくコント55号を思い出したが、ローレルとハーディを演じるスティーヴ・クーガンとジョン・C・ライリーの演技がすばらしく、テンポのよい演出もみごと。

2019年3月25日月曜日

ル・コルビュジエ展

月曜は美術館は普通は休みなのだけれど、今日25日は開館していた西洋美術館でル・コルビュジエ展を見る。閉館後に外から撮った写真。右側奥に彫刻が見える。

チラシなど。

西洋美術館はル・コルビュジエの建築なので、展示物だけでなく建物自体がル・コルビュジエの作品。いつもは企画展は地下で開催されるのだけれど、この企画展はル・コルビュジエの設計した美術館本館(いつもは常設展の場所)で開かれている。最初、いつものつもりで地下へ行こうとしたら閉鎖されていた。
展示物はル・コルビュジエと仲間たちの絵画が中心で、建築関係は少なかった。
絵画としてはそんなにすごくないというか、途中でピカソの絵が数点、展示されているのを見ると、才能の違いを感じてしまう。特にル・コルビュジエの絵は最初の方は、私でも描けそうな絵ばかりだったが、奥の方へ行くとよい絵が出てくる。
月曜だったせいか、あるいは題材が地味だからか、あまり混んでいなかった。
この本館はとても好きで、1階から入って、そこも展示室なのだけれど、スロープを上がって2階へ行くと本格的な展示室になる。ここをまわっていくと、最初に上がってきたところに出る。そこでもう一度まわって見ることが可能。ところどころに細い階段があったり(立ち入り禁止)、他の場所がのぞけたり、下を見下ろせたりと、本当によくできた設計で、外の光を取り入れる窓が目につく。今の美術館は窓もなく、エスカレーターで上がったり下りたりして、もう一度見ようと思うと逆走しないといけないが、この本館は何度でもぐるぐるとまわれるのだ。建築関係の展示は少なかったけれど、この美術館自体がすばらしい展示物なのだ。
そんなわけで、常設展の場所で企画展をやっているので、常設展はいつもよりずっと狭くなっていた。

上野公園はもう花見客でいっぱい。



ベローチェの猫ファイルは関東では一時在庫がまったくなくなっていたが、先週末におそらく最後の入荷が一部店舗であった。それで今日、ネットで在庫がありそうな店へ行って、まず秋葉原の某店で1枚もらい、そのあと上野でル・コルビュジエ展見たら御徒町近辺でもう1枚もらおうとしたら、御徒町近辺は全滅。それでまた秋葉原の某店に入ってもらった。たぶんこれが最後。

桜の開花

谷中の寺。今月中旬に撮った写真。まだ咲いているのはこれくらいだったが。


桜が次々と開花した先週末。上とは別の寺。

ソメイヨシノも。

最初の寺の枝垂桜。

夜。自宅近くで。


金曜は「ブラック・クランズマン」を見に行ったが、駅へ行く途中で満開に近いくらい開花している桜の木を見て驚いた。木によってはほとんど開花していないものもある。
「ブラック・クランズマン」はKKKの白人たちが黒人へのヘイトを煽るシーンと、ブラックパワーの黒人たちが白人への怒りを煽るシーンを交互に描き、最後にヘイト集団の車が反対派に突っ込んで白人女性が犠牲になる実際のニュース映像を流すなど、人種差別に加えてヘイトを煽ることへの批判がテーマになっている作品だった。最初と最後がなんだかマイケル・ムーアの映画みたいだなと思ったが、間のドラマはスパイク・リーらしいサスペンスとユーモアがまじった面白い映画。狭い集団でヘイトが煽られていく過程を描いているところが現代のインターネットに通じるところがあると指摘しているブログがあった。
そして日曜は23回目の「ボヘミアン・ラプソディ」。亀有で1か月ぶりの最大箱での上映だったので出かけた。

2019年3月22日金曜日

高須ごときで見るのをやめるな「翔んで埼玉」4回目

亀有で「翔んで埼玉」3回目を見たあと、やっぱり亀有じゃ盛り上がらないな、第一、客が少ない、もう一度さいたま新都心で見たい、と思ったとたん、例のナチス礼賛ホロコースト否定の高須院長が映画とまさかのコラボ。もう見に行く気になれない、と思ったのだけれど、なんであいつのせいで見るのをやめなきゃいけないんだ、という気持ちにだんだん変わっていき、春分の日にMOVIXさいたまに見に行こうと突然思い立った。
思い立ったのが春分の日になった直後で、サイトのスケジュールを見ると、すでに夕方の回まで最大箱が残りわずか。もういい席はない。夜の回とレイトは余裕ありだったので、夜の回を予約。翌朝にはその夜の回も残りわずかになり、夕方までは完売していた。さいたま恐るべし。
3月はじめにMOVIXさいたまに行ったときは夜まですべて完売だったけれど、さすがに少し人気が衰えたのか、夜の回はほとんど埋まってはいたけれど完売にはならなかった。ロビーも3月はじめのようにはごった返してはいなかったし、上映が終わったときの拍手もなかった。やっぱりちょっと熱が冷めてきているのかな?

で、MOVIXさいたまの壁一面はこのようになっております。

左右に縦長のバナー、その間に上のようなポスターが10枚並んでいますが、全体を撮ろうとするとかなり後ろに下がらねばならず、そうなると前を通る人が入ってしまうので、全体はあきらめて部分的に撮りました。
まず、一番右に二階堂ふみのバナー。

右から左にポスターが10枚続きます。もう薄暗くなっていて、バナーは光が足りなくてぼけてますが、こちらはバックライトがあるのできれいに撮れました。


「埼玉の皆様」がかぶってしまった。


一番左がGACKTのバナー。

右わきから全体を撮ってみました。

それでもこのときはまだ人が少なかったのですが、このあと前の回が終わって人がたくさん出てきて、すごい人だかりになってしまいました。みんな写真撮ってます。

そして映画を見終わり、「与野は引っ込んでろ」の与野を通り、大宮とけんかしていた浦和を通り、武蔵野線に乗りかえて、流山決戦の川を越えて帰宅したあと、ネットを見ていたらこんな記事が。

「な、な、なにこのコラボ……」心地よい自虐作『翔んで埼玉』が翔べなくなった日
https://bunshun.jp/articles/-/11120

例の高須院長のコラボについて書いている記事ですが、この方もコラボに衝撃を受けながら、でも、また映画を見に行ったのですね。
一部引用。

アカウントのツイートを遡ると、実は今回の企画のために作られたアカウントではなく、昨年の5月には東宝映画『のみとり侍』とのコラボ企画に使われていたことがわかる。映画『翔んで埼玉』の公開日は2019年2月22日で、高須クリニックのコラボについて最初にツイートされているのは3月13日だから、おそらくは初登場1位という予想を覆すヒットが話題になったあとに決まったコラボのために、以前別の映画でコラボした際に作ったアカウントを流用したのだろう。
(中略:ここで筆者は高須院長の過去の問題発言について解説)
映画『翔んで埼玉』の広報担当者(東映配給である)にしてみれば、去年同じように東宝さんとコラボした時は何も言われなかったじゃないですか、なんでうちだけという思いはあるだろう。そもそも高須クリニックのCMはTV雑誌問わず豊富な資金力で全面展開されているし、高須院長本人もテレビ番組に自ら出演している。ピーピー言ってる邦画、それも東映(ごめん)の広報担当者が担当者の一存で政治性を理由に断る方が困難なのかもしれない。法的に問題は何もなく、他社もみんなやってるのだ。少なくとも日本のメディアにおいては。

へえ、「のみとり侍」ともコラボしてたんだ。知らなかった。
つか、「のみとり侍」って爆死したよね。あの阿部寛が貴公子然として登場する「空海」(妖猫傳)の前に必ずこの映画の予告をやって、阿倍仲麻呂のイメージをだいなしにしてくれた映画だったから、爆死してざまあみろとしか思わなかったが。
まあ高須院長が乗ってもだめだったわけです。つか、あまりにもだめだったので、コラボしてたことも知られてなかった?

まあ、上の記事の筆者も書いているように、担当者が断れなかったってのもあるでしょうね。
あのコラボへの批判殺到の中で、映画を見ると高須院長に金が入るから見ない、というのがあったのですが、高須院長は金を出す側なので、映画を見ると院長に金が入るというのはないと思います。
それに、今回MOVIXさいたまへ行ったけど、別に高須クリニックのたの字もなかったし。
実際、お客さんの大部分は高須クリニックとのコラボのことなんか頭にないのではないかと思います。
高須クリニックとのコラボの与えた影響については、上の記事を読んでもらうとして、でも、上の記事でも書かれているけれど、コラボのあとに映画を見ても、映画自体は以前と変わっていない。映画が違って見えるなんてことはまったくない。
高須クリニックとのコラボなんて、「のみとり侍」とのコラボと同じで、いずれ消えてなくなる。映画は残る。差別を茶化すことで批判し、革命とか解放戦線とかいったなつかしい左翼用語をふりかざし、まるで国会を取り囲む市民のように、埼玉解放戦線と千葉解放戦線が都庁を取り囲む絵を作ってしまった映画。これを見るべき人が見なくなるのこそ、ああいう人たちの思うつぼ。
実際、左翼が注目しそうな映画だから高須とコラボしてカムフラージュしたんでは?といううがった見方も一部にはある(私もちょっとそう思った)。

ところで、上の記事の筆者のブログに、この映画の神奈川県の扱いに触れたものがあって、これも面白かった。
https://www.cinema2d.net/entry/2019/02/26/232341
私も、崎陽軒のシウマイは神奈川県知事の悪事がバレる証拠として使われているのに、よく許可したなあ、と感心していたけど、まあ、あれは都知事が崎陽軒のシウマイが好きで、それで神奈川県知事がお土産に持って行っただけで、崎陽軒は無関係なんだろう(でも金のひょうちゃんが入ってるから崎陽軒も仲間では、というツッコミはありうる)。
神奈川県に関しては、あの映画では知事だけが悪役で、神奈川県民は別ということなのでしょう。

もうひとつ、このブログでは「フォルトゥナの瞳」についても書いていて、こちらも興味深い。
https://www.cinema2d.net/entry/2019/03/17/090539
「フォルトゥナの瞳」は百田尚樹が原作だというだけで見る気をなくすのだが、この筆者は百田センセイに対しては批判的だけど、それでも見るし、原作も読む、というのがすごい。
原作にはヘイト色がまったくない、とか、百田センセイはウヨると受けるからウヨになったのでは、と書いていて、たぶんそうだと思うし、ウヨった方が稼げる時代になっているのは確かだ。

で、おまけ。
MOVIXさいたまのロビーには例のピエール瀧出演の「麻雀放浪記2020」の大きなバナーが飾ってある。それを見ていたお客さんたち。
「ピエール瀧の名前消してないね」
「ああいうことがあったからって、やめたりしなくてもいいよね」
そういうこと。
ちなみにこっちも東映。

2019年3月19日火曜日

猫めあてで「キャプテン・マーベル」

アメコミ映画化はまったくフォローしていないのでほとんど見ていない、特にマーベル・コミックの方は見てないのだけれど、「キャプテン・マーベル」は猫がかわいいというので見に行った。
いくら猫がかわいいといっても見に行くほどなのかは非常に疑問だったが、MOVIXの6回見たら1回無料の回だったし、アベンジャーズ以前の話ということで、まったくフォローしてなくても大丈夫だろうと思ったので見ることにした。
で、感想。

猫はあまり出てこない。
後半まあまあ出てくる。
猫はかわいい。
しかも笑わせてくれる。
ただ、SFの猫なのでただの猫ではない。でも、笑わせてくれる。
長い長いエンドロールのあとにも猫が出てくるので、猫めあての人は最後まで席を立たないように。

お話の方はとっちらかった感じで、脚本があまりうまくできていない感じがした。
途中で(以下ネタバレ)善人と悪人がチェンジしてしまうのだが、なんだかご都合主義っぽい。
キャプテン・マーベルはシン・ゴジラの第一形態、第二形態みたいにどんどん強くなっていく。
アクションはそこそこの出来。
全体として明るくて肩が凝らないし、笑いがあるのはよかった。
しかし、舞台となるのが1995年の地球で、まだDVDではないレンタルビデオ店が出てきて、「トゥルー・ライズ」とか「ライトスタッフ」が出てきたり、コンピューターがなつかしい時代のもので、データがなかなか出てこないとか、その辺はちょっと面白かったけれど、一時的なネタで終わってしまう。
いろいろ中途半端で物足りなく、猫、もっと出てきてほしかった。

2019年3月18日月曜日

猫クリアファイルのこととか

ベローチェの猫クリアファイル、もうほとんどの店で在庫がないのですが、時々一部店舗に大量入荷。しかし、山手線の西側や品川の方とか東京西部とか埼玉県とかに偏っていて、レシートあるのにもうもらえないかな、と思っていたら、今日、日本橋の某店に800枚以上の大量入荷。
ちょうど今日は東京駅付近に用事があり、帰りにてくてく歩いて日本橋方面に。この某店は一度も行ったことがなかったけれど、よく行っていたベローチェのわりと近く。
行ってみると、クリアファイル目当ての人が次々と来る。
ファイルをもらうと銀色の袋をバリバリと音を立てて開けるので、あ、またもらった人がいた、とわかる。近くの席の人ももらっている人が多い。
レシートは1杯分しかなかったので、アイスコーヒーを頼んでその場で1枚もらい、それだけで帰ろうと思っていたのだが、まわりが次々ともらっているのを見て、この店で在庫がなくなるともう二度ともらえないかも、と思い、結局、前のレシートを当日中に見せると100円引きになるのでそれでミルクを頼み、ついでにコーヒーゼリーを頼んで、また1枚ゲット。
自宅に帰って見たら、今月はじめに某店でもらったのと同じペアだった。
まとめて2枚もらうと1月と2月みたいに2か月続く絵柄のが来るのだが、今回は最初にもらってから二度目にもらうまでの間にかなりの人がもらっていたのに、それでも2か月続きのペアだった。
800枚以上入荷といっても、あの勢いでは今日中に半減してしまうのではないだろうか。
他の店も在庫があるとネットには書いてあったのになかったとか、ツイッターで書かれていて、どうも在庫状況が頼りにならないので、わざわざ遠方まで行ってももらうつもりはなかったけど、今回は近くに用事があり、なおかつ、今日入荷のようだったので、行ったのだった。
(翌日追記 この店、昨日の夜はまだ在庫840と書かれていたのに、今日はもう在庫なしになっていた。1日で840枚なくなるとは思えないので、1日でまた在庫を別の店舗に移すのだろうか。ちなみに、近くの別の店に今日は在庫がわずかだが出ている(昨日はなし)。)

例の「翔んで埼玉」と高須クリニックのコラボは本当に困るのだけど、映画を非難している人は意外に少なく、ピエール瀧の場合と同じく、作品に罪はないという考えの人が多いのだろうか。
しかし、ナチス崇拝ホロコースト否定の高須院長がなんで「埼玉」とコラボすることになったのか、そこがどうにも納得いかないのだが、もともと高須院長は東映やフジテレビと関係が深く、CM料などで経済的貢献をしていたのだろう。「埼玉」とはもともと無関係だったのだが、なぜ急に、3月中旬になってコラボしたのかと考えると、院長が映画を気に入って、コラボしたがったのかなと思った。
調べてみると、高須クリニックは東京、横浜、名古屋、大阪に院があり、東京はなんと港区赤坂。「埼玉」でいうと、白鵬堂学院のA組。差別のヒエラルキーの頂点なのだ。
ちなみにこの学園では港区が一番えらく、次が中央区や横浜。東京でも西葛西とか八王子とか田無とか狛江とか町田はディスられている。
高須院長は差別のヒエラルキーのトップとして、映画とコラボしたのだと考えるとわかりやすい。
一方、院長自身は愛知県の田舎の出身で、愛知県といえば、名古屋が埼玉と同じようにディスられている。その辺も院長の琴線に触れたのか?
まあとにかく高須院長が「埼玉」とコラボして、自分のクリニックの宣伝をするわけで、結局は金、なんだろうね。
院長は最近またアウシュヴィッツ博物館から日本語で抗議を受け、またまたナチス擁護をしまくっているようで、コラボよりこっちの方が話題になってしまっている。
なお、院長の息子はまともな人で、父親を批判しているが、映画についても「父を嫌いでも映画を見てください」と言っているとか。
しかし東映はピエール瀧出演の「麻雀放浪記2020」をそのまま公開することに決め、自粛しないことについて評価されていたのだが、今回の「埼玉」コラボの件で、東映は要するに話題になれば何でもいいんじゃないか、と言われている。百田尚樹原作の映画化で百田の名前をなるべく出さない東宝とは大違いで、まあ、東映らしいっちゃ東映らしいのかもしれない。

さて、このブログ、さーべる倶楽部はバッファロー・セイバースのブログとして始まり、その後は日本製紙クレインズも応援するブログになったのだけど、ライブドア、エキサイトを経てこのブロガーになる頃にはもうホッケーは見に行かなくなっていた。
最後に見たのは2010年の苫小牧でのアジアリーグ・ファイナルだったと思う。
セイバーズもチームがだいぶ変わり、今はどうなってるのかもわからない状態。ホッケーは完全に趣味の圏外になってしまった。
そんなわけで、日本製紙クレインズが廃部を発表したのも、最近まで知らなかったのだ。
昨年12月、たまたま駅へ行く途中にある自販機の電光掲示板で全日本選手権の結果を知り、その日の夜になつかしさからアジアリーグやクレインズのサイトをチェックしたが、そのときは応援団のサイトが1年以上更新していない以外は特に変わったところはなかった。
ところがそのすぐあと、クレインズの廃部が発表されたらしい。
具体的には2018年12月19日で、おりしも西武プリンスラビッツの廃部が発表されてからちょうど10年後だったのだとか。
その後、クレインズはアジアリーグのプレーオフでファイナルに進出、サハリン相手に3連敗で優勝は逃したが、最初の2試合を釧路で行うことができた。
それがついこの間の話で、廃部ということもあって、さまざまなメディアで取り上げられたらしいが、テレビはないし、スポーツニュースもネットで見てなかったので知らなかった。
なんでわかったかというと、なんとなく虫の知らせでクレインズのことが気になり、ネットで調べたら、ちょうどファイナルが終わって、その話題がいろいろ出ていたのだった。
クレインズ存続の署名が行われていたり、引き取り手を探したりはしているようだが、かなりむずかしそうだ。
私がクレインズを応援していたときから、日本製紙の釧路工場が閉鎖になってクレインズもなくなる、という噂は絶えなかった。それでもそう簡単にはなくならないと思っていたのだが。
釧路アイスアリーナの近くの日本製紙のリンクもすでに取り壊されているらしい。
検索していろいろ記事を読んだけれど、クレインズに一番近いところにいた人たちがネットで何も発信していないのが印象的だった。沈黙の重さを感じる。

2019年3月16日土曜日

ヤクとじいちゃん、スバル座の閉館、その他のこと(追記あり)

水曜日に「ROMA」をまた見に行ったのに続いて、木曜日は近場のシネコンで「ヤクとじいちゃん」もとい、「運び屋」と、「翔んで埼玉」の3回目を見る。

うーん、「運び屋」、マジで「ヤクとじいちゃん」でした。
イーストウッドの映画はもう以前のようなすごい傑作は期待できないのだけど、そこそこ楽しめる。今回はイーストウッド演じる時代遅れのじいちゃんのキャラクターが魅力だ。
物語は2005年から始まり、デイリリーの品評会で優勝したじいちゃんが、12年後、インターネットでの花の販売をやらなかったために土地も家も差し押さえられてしまう。家族をだいじにしていなかったので、妻や娘を訪ねても冷たくあしらわれる。そんなとき、彼に近づいてきたのがコカインの密売組織の男。じいちゃんは運ぶものがコカインとも知らずに運び屋の仕事を引き受ける。
何度か運び屋をするうちにじいちゃんもコカインに気づくのだが、運び屋をやめられない。
危ない場面もあるが、持ち前の気さくな態度で切り抜ける。
このじいちゃん、時代遅れで、携帯でメールも打てず、ニグロという言葉はとうの昔に不適切語になっているのにそれを知らずに使ってしまい、注意される。でも、もともと気さくで明るい性格で、ユーモアもあるじいちゃんなので、どこへ行っても人と仲良くなれる(家族からは疎まれているのに、他人には受けがいい、という人はいるものである)。
どんな人とも仲良くなれてしまうので、麻薬組織の下っ端たちはもちろん、メキシコにいるボスにまで気に入られ、ボスの邸宅に招かれて酒池肉林?
なーんか、いい思いしてるな、イーストウッド。
後半はちょっとコワモテな人たちも出て来るけれど、全体に麻薬組織の人たちもあんまり悪いやつじゃないみたいに描かれていて、一部シーンをのぞいてほのぼの路線。なので楽しく見られるのだけど、頭の片隅に、これでいいのか?という疑問も浮かぶ。
おりしもピエール瀧がコカイン使用で逮捕されて、映画やテレビに影響が出ているというニュースが伝わってきたところ。自粛についてはテレビはしかたないにしても、過去作の配信やDVDやCDまで自粛しなくてもいいと思うが、これから公開される映画については、撮り直すものと、そのまま公開するものがあるようだ。
で、運び屋のじいちゃんはコカインを吸ってみたりはしなかったように描かれているが、普通は運び屋やってたらコカインを吸ってみたりもしてしまうだろう。また、麻薬組織が行っている悪事もかなりひどいものなので、こういう面を見せないことで楽しいお話になっている、というのがやっぱり気になる。
ラスト、刑務所に入ったじいちゃんはそこでデイリリーを育てている。世間に疎い庭師のじいちゃんにとって、閉じられた場所の庭師暮らしが本来の姿のように見える。庭師には、世間から隔絶して自分だけの楽園に閉じこもる人のイメージがあるのだ。

3回目の「翔んで埼玉」。1回目は今回と同じMOVIX亀有だったが、そのときは2番目に大きい箱。その後、亀有は2週目と3週目の平日を最大箱にしたので、今回、3回目は最大箱での鑑賞となった。(なお、2回目は毎回満席で最後に拍手が起こる聖地・MOVIXさいたままで遠征し、ちょっとほかでは体験できないすばらしい雰囲気を味わった。)
1回目の亀有はほぼ満席、2回目のさいたまは完売だったけれど、今回の亀有はかなりお客さんが少なかった。でも、流山決戦での互いに芸能人の幕を上げて競うシーンでは、幕が上がると拍手が起こったのがよかった。さいたまのような最後の拍手はなかったけれど。お客さん少ないとはいえ、あちこちからくすくす笑いが聞こえ、終わったあとは「面白かった」という声もあり、みなさん楽しんだようです。
今回初めて気づいたのは、その流山決戦のシーンで、「埼玉は後悔しない、海がないから」というのぼりがあったこと。「後悔」は「航海」のシャレ。こういうこと、よく考えつくなあ、と感心。

そして、金曜日には、有楽町スバル座が53年の歴史に幕を閉じるというニュースが。今年10月に閉館するのだという。
私が初めてスバル座に行ったのは1971年、ビリー・ワイルダーの「シャーロック・ホームズの冒険」を見に行ったときで、スバル座のロゴ入りのパンフレットを持っている。その後も何度も出向いたけれど、印象に残っているのは「ボウイ&キーチ」。なんでかというと、始まってすぐにフィルムが溶けだしてしまったから。フィルムをつなげてまた上映を続けたけれど、真ん中が白くなってそれが広がって上映中断という経験はそれが最初で最後だった。また、1984年にヒッチコックの5作品がリバイバル上映されたときも通った。一番最近は2年前の「君の名は。」のときで、スクリーンの前の幕の開閉があったり、始まる前にブザーとおばさんの「ごゆるりと」というアナウンスがあったりと、昔のままだった。最後の回が終わったときのアナウンスと蛍の光も昔ながら。閉館さよなら上映とかあるのだろうか。あのおばさんのアナウンスについての裏話なども知りたいものだ。

追記
「翔んで埼玉」がホロコースト否定などの問題発言の多い高須院長の高須クリニックとコラボしているということを知り、好きな映画だけどもう二度と見に行かないかなと思った。
調べてみると3月13日にコラボが発表され、その後、CMも流されているという。
このせいで、見たかったけどもう見ない、とツイートする人が増えている。
「翔んで埼玉」は差別と闘う話なのに、なぜ、こういう人とコラボするのかわからない。
芸能人とのつきあいの多い人で、世間的な知名度も高いので、単純に宣伝してもらえればさらにヒットすると思ったのだろうか。
あるいは、作品のテーマなんか実はどうでもよかったのか。
せっかくよくできた作品で、大ヒットしているのに、なぜ、あとになってこんなことをするのかと思う。
ただ、この映画の紹介で、埼玉をディスって楽しむ映画のような紹介の仕方をしているところが目について気になってはいた。見れば、差別反対のテーマの作品だとわかるはずなのだが、差別を娯楽にしているような紹介の仕方がけっこうある。
だから、高須クリニックとのコラボも差別の娯楽化の一環であるかのような言い方をする人もいる。
あまりにも残念な出来事で言葉もないが、所詮はフジテレビの映画だから志が高く見えても本当は低かったのだとさえ思ってしまう。

2019年3月14日木曜日

「ROMA/ローマ」再見:完璧という名の欠点

先週土曜日に見たばかりの「ローマ」、あの音響と映像が気になって、また見に行った。
場所は前回と同じイオンシネマ幕張新都心。スクリーンは前回より大きい。が、広い分、音響が前回ほどすごくなかった。
それでも映像と音響のすばらしさは堪能できた。
映画館で見るとまったく退屈しない面白い映画で、周囲のお客さんも誰も寝ていないし退屈もしていないように感じるが、これを配信でノートパソコンの小さい画面で見たら、眠くなるかもしれないと思った。

二度目は映像に注目して見ていたが、主人公クレオの動きを横移動のカメラがとらえるシーンが多い。計算されたカメラワーク、計算された俳優の動きが手にとるようにわかる。すべてが監督の手の内にあり、まるで神の采配のようだ。音響ももちろん、計算され尽くしている。
この神の采配のような計算されつくした完璧な演出は、ストーリーやテーマやモチーフにも表れている。
クレオの前で裸で棒を振り回す武術を披露する恋人は、まさに竿を見せびらかしながら竿を振り回しているのであり、後半、クレオが逃げた恋人を探しあてたとき、彼は武術の先生や仲間と武術の練習をしている。そこで先生が目隠しをして片足で立つというむずかしいポーズを決めるが、他の人々はそれができず、クレオだけができる、というシーンがある。神の采配の調和を感じる。
そのあと、恋人はクレオを竿で脅して去ってしまうが、それからしばらくして、クレオがベビーベッドを買いに行ったときに恋人と仲間が銃を持って店に押し入るという場面に遭遇する。
ここはちょっと偶然がすぎると感じるのだが、恋人が竿のかわりに銃を持っているというのが象徴的で、竿も銃も男根のメタファーであるから、意図しているところは明らかだ。
また、大型車が狭いところに入ろうとして、ぶつかりながら入っていく、というシーンがあるが、ここも性交のメタファーと考えられる。
こんなふうにして、二度見るとさらに監督の意図が明らかになり、この映画が監督の意図どおりに、すべて完璧に作られていることに気づく。ここには偶然の面白さとか、偶然に見える面白さとか、どのようにでも解釈できるのでそれは観客に任されるという面白さが決定的に欠けている。
クレオが恋人に再会するシーンが偶然がすぎると感じるのは、こういう偶然の面白さが欠如しているので、都合よく再会させたと感じてしまうからだ。
それでもクライマックスの海のシーンでは、また泣けてしまった。
クレオと女主人の人生の危機が重なるように描かれ、2人がともに救われて新しい人生を歩むようになる、というストーリーの構図もまた、計算されつくした演出になっている。
「ローマ」に関しては、この計算されつくした完璧さをどう評価するかにかかっていると思う。
この完璧さをもって大絶賛するのもありだが、完璧すぎるのが欠点であり、偶発性を持つ映画に比べて深みがないという評価もありだと思う。
私は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は完璧な映画だと思っているが、この映画には解釈が観客に任されている部分が多く、演出やカメラワークも計算されたようには見えず(実際は計算されているのだが)、その分、偶発性の魅力に満ちているように思う。
言ってみれば、「ローマ」はほころびのまったくない映画であり、映画には魅力的なほころびがある方が面白いと私は思う。
それでも「ローマ」は魅力的で、あの世界にひたるためにまた映画館に行ってしまうかもしれない。
神の采配による完璧さの中にひたるのもまた楽しい体験であり、この映画の完璧さにはゆったりとした安心感がある。(裕福な家の家族とメイドの話であり、社会背景もあまり描かれていない、という意味では「万引き家族」のような深刻さがないのである。)

2019年3月13日水曜日

春が来た。

 近所の公園近くの梅の木にいたメジロ。


 公園の中。桜と菜の花とねぎと

 ブロッコリー。



 この鳥は?

こちらは都内。

こちらもメジロ?


去年は収入激減で、確定申告の計算が非常に楽だったので、2月上旬には下書きもすんでいたのだが、1か月放置していたので、最近になってあわてて清書して送った。
今週はコートがいらないくらいのあたたかさだけど、花粉症がひどい。

2019年3月10日日曜日

すごすぎる音響:映画館で見る「ROMA/ローマ」(ネタバレ注意)

Netflixの配信映画として話題になった「ROMA/ローマ」がついに日本でも映画館で公開。3月9日から全国のイオンシネマ48館で上映中!
詳しくはこちら。
https://www.aeoncinema.com/cinema2/all/movie/E0001408/index.html

早速、初日に幕張新都心のイオンシネマへ行ってきた。
ここは行きはよいよい帰りは怖いの場所で、行きは最寄駅の海浜幕張まで乗り換えなし。自宅から50分ほどで駅に到着。が、帰りは夜はうち方面の電車が1時間に2本とかそういう場所。上映終了時間を見て帰りの電車の時刻をチェックして行ったが、イオンが思ったより駅から遠く、間に合うか心配だった。でも、終了時間がネットに出ていた時刻より早かったので余裕で駅に着き、無事帰宅。

「ローマ」に関しては、Netflixがアメリカでちょっとだけ公開してアカデミー賞作品賞の候補にし、そのあとすぐに世界同時配信、映画館ではやらないとか、アカデミー賞のために映画の製作費の4倍近い宣伝費を使ったとか、配信の契約者を増やすための作品の囲い込みではないかと言われ、正直、映画を取り巻く状況にあまりよい印象を持たなかった。が、その後、世界中で劇場公開されていて、日本もいずれ公開されるとの情報があり、いつになるかな、と思っていたら、3月9日上映の映画の予約開始日の前日、3月6日に突然、イオンシネマで9日から上映とのニュースが流れた。
配給会社を通さず、Netflixとイオンの直接契約らしいが、とにかく劇場公開はめでたい。

「ローマ」については映像の美しさがいろいろ言われていたが、映画館で見て驚いたのはむしろ音響。サラウンドも重低音もすごすぎる。映画の中で地震が起きたときの重低音、クライマックスの海の波の重低音で、椅子と体が軽く揺れる。サラウンドは本当にすごいサラウンドで、音が360度から聞こえてきて、自分が映画の中にいるようだった。
今までも音がいいと言われる映画館、スクリーンを体験してきたのだが、今回が一番すごかった。別にドルビーアトモスだとかそういうのではないのに。
映像はもちろんすばらしくて、冒頭、床に水をまいて洗うシーンで、水面に空が反射して、そこを飛行機が横切るのが見える。ここが最後のエンドクレジット、空を見上げる映像と対比されている。モノクロの映像が美しい。
時代は1971年、メキシコの裕福な家で働く若いメイド、クレオと雇い主の家族をめぐる物語で、クレオは恋人の子供を身ごもるが、恋人は彼女を捨てて逃げてしまう。この恋人がクレオの前で素っ裸で棒を振り回し、最後に日本語で「ありがとうございました」と言うのだが、このシーンで彼がフリチンなのでR15の制限つきになっているらしい。で、このフリチン男とクレオが映画館に行き、クレオが妊娠のことを告げると、男はトイレに行きたくなったと言って出て行ってしまう。映画が終わり、エンドロールが流れ始めるとすぐに幕が閉まり、場内は明るくなり、みんな立って帰り始め、映画自体もエンドロールの途中でスパッと上映が終わってしまう。うーん、外国ではエンドロールは見ないと言われるが、幕まで閉めて上映自体も途中でやめちゃうのか。
そして男は戻ってこない。
クレオは雇い主である女主人に相談し、女主人は彼女を支援する。男を探し当てるが、男は逆ギレしてクレオを追い返す。一方、女主人も夫が愛人と逃げてしまい、4人の子供を抱えて、夫からの仕送りもなく、という状況。
最初にクレオが掃除していた床は車が入るところなのだが、女主人の夫がベルリオーズの「幻想交響曲」を大音量で鳴らしながらここに車を入れようとする。すごく狭いのでミラーがぶつかったりして、やり直して、今度は犬の糞をタイヤがひいてしまい、とか、この車が狭いところに入ろうとするというモチーフが何度か繰り返される。夫がいなくなったあと、妻が狭いところに車を無理に入れようとして車が傷つき、結局、大型の車を売って小型車に替えるとか、なかなか面白いモチーフ。
出産の近づいたクレオがベビーベッドを買いに行くと、外で暴動が起こり、銃を持った男たちが店に侵入してくるのだが、その1人が例のフリチン男っていうのはちょっと偶然がすぎるのじゃないだろうか? その男の銃に対し、クレオに付き添っていた老婦人(女主人の母親のようだ)がクレオの腹に手を当てて子供を守ろうとしているのが印象的。クレオの恋人も女主人の夫も許しがたい無責任男だが、そうした男たちに対し、母である女たちが連帯しているようにも見える描写だ。

以下、ネタバレなので注意してください。文字色を変えます。

ともあれ、その事件の直後、クレオは破水し、病院で出産するが、子供は死産。
夫と離婚することになった女主人は4人の子供とともに海へ行くことにし、クレオも誘う。
この海のクライマックスシーンがすばらしいのだが、映像もさることながら、迫りくる波を映画館中に響く重低音で表現した音響にやはり耳が行く。
女主人と子供2人が浜辺を離れたあと、残りの2人の子供が海の中で大波に襲われ、泳げないクレオが命がけで2人を救う。戻ってきた女主人たちとクレオたちが砂浜で抱き合う。
「子供が生まれてきてほしくなかった」と告白するクレオ。
「みんなあなたが大好きよ」と女主人。
ここで涙が出た。
自分を捨てた男の子供を本当はほしくなかったクレオ。それを隠していたが、女主人の子供たちを救ったあと、初めて本音を言った。死産した自分の子供のかわりに女主人の子供を救えたので、そのことが彼女自身を救ったのだろう。

そしてまたいつもと同じ日常が始まり、エンドクレジット(エンドロールではない)で空が映し出され、飛行機が何度か飛んでいく。さまざまな音があちこちから聞こえてくる。子供の声、犬の鳴き声、鳥の声、車の通る音のような重低音、歌も聞こえる。最後まで、音が観客を離さない。

「ローマ」が音響がこんなにすごい映画だなんて、想像していなかった。
映像もシネスコサイズなのでテレビ画面では狭いだろうが、それでも映像は、高画質の大画面テレビなどで見ればそれなりに堪能できるのではないかと思う。
でも、音響は、これは映画館にはかなわない。
音響に特化した映画館、上映会が最近流行っているのは、音響だけは逆立ちしても映画館にはかなわないからだ。
「ローマ」がこれほど音響に力を入れているということは、これは映画館で見るように作られているとしか思えない。配信であの音響は無理。
なのに配信映画として世に出した。もちろん、映画館でも上映するという条件が最初からあったのだろうが、Netflixでの配信を優先したのは確かだ。
「ローマ」を見たのは今回が初めてで、配信では見ていないのだけれど、映画館で見ると、これが映画だ、映画館でしか味わえない映画だ、と思ってしまう。
映画館でしか味わえない映画を作っておいて、あえて配信映画として世に出して、そのあと映画館で本当の「ローマ」を見てね、という確信犯なのか?
まあ、ちょっと音に力入れすぎという面もあるかもしれないが。
結論としては、映画館の「ローマ」は正真正銘の映画だが、配信された「ローマ」は劣化バージョンにならざるを得ない。「ローマ」自身がそれを証明してしまっているのではないか。
などということを考えた。
あの音を聴きに、もう一度、見に行きたい気がする。

今回幕張新都心を選んだのは、イオンシネマの中では一番近いということもあるけれど、海浜幕張へ行くのは実に30年近くぶりだということもあった。
30年近く前、当時、コミケが幕張メッセで行われていて、それで行ったのと、ほかには同じ幕張メッセの恐竜展に行った。恐竜展はあまり面白くなくて、隣でやっていた現代美術展が入場料が安いので入ってみたら、すごく面白かった、ということもあった。
当時、海浜幕張の駅の周辺はまだ何もなく、駅から離れたところに幕張メッセとマリンスタジアムがあるだけだった。幕張メッセでのコミケは短期間で終わり、また晴海に戻ったので、その後、海浜幕張へは一度も行っていなかった。
それから30年近くたち、駅のまわりには大きなビルがいくつもできていたが、千葉ロッテマリーンズのレプリカユニフォームを着た人やイベント帰りのような人が多く、なんだかすごくあわただしい、落ち着かない街だった。イオンの建物がやたら多い感じで、駅から離れると全然人がいなくなる。何もないところにあとから作った街なんだなあという感じ。競馬場や団地のある南船橋とはかなり雰囲気が違っていた。
幕張新都心へ行ったのにはもう1つ目的があって、例のシャノアール&ベローチェの猫クリアファイル、在庫切れで終了の店舗が増えているけれど、ここのベローチェはまだ在庫があるので、レシートもまたたまったので交換に行った。行ってみると、ベローチェはドリンクを売るブースがあるだけで、そのまわりにテーブルや椅子や長椅子のあるスペースがある。そのスペースはベローチェのドリンクを買わなくても座れる。
レシート3枚だったのでアイスティーを買って4枚にし、クリアファイル2枚と交換。すでに12種類コンプリートしているので、何が出てもかぶるわけだけど、なぜか、先日、神田でもらったのと同じペアが出た。
イオンシネマは実はあまり好きでなく、今回が4回目。4回とも違うイオン。幕張新都心のイオンシネマは今までに行った3つのイオンシネマよりよいのかな、という感じはした。着いたのが夕暮れ時だったので、イオンモールからは夕焼け空をバックに富士山が見えた。

2019年3月6日水曜日

コンプリートしました。

シャノアール&ベローチェの猫クリアファイル、ついにコンプリートしました。
一番最後になったこの4月の猫

もう出ないかと思っていましたが、出ました。
1枚だけもらってかぶるとすごくがっかりなので、2枚分のレシートをためて一度に2枚もらうようにしてましたが、2枚もらったうちの1枚がこれ。
出たのは神田店でしたが、この神田店、ずーっと昔に入ったことが何度かあって、かなり広い店だと思っていたのですが、行ってみるとすごく狭い。ベローチェは初期に開店した店はその後、閉店したり狭くなったりしている例はいくつか経験していたけれど、あの広い店がこんなに狭くなっていたのかと。あるいは、広い店はなくなって、その近くにこれができたのか、という感じもしないでもないのですが、ずっと昔に行ったベローチェが今どうなっているのか訪ねてみるのも悪くないなあ、と思ったのでした。
が、そこでもらった2枚のファイルのうち1枚がこれで、ついにコンプリート。もう無理してベローチェでドリンク飲む必要もなくなりました。

12種類のうち、9月が7枚も出てしまったのだけれど、6枚もらった時点で、これはもう使うしかないと思い、チケット入れとして常にバッグに入れておいたところ、その後は手に入らなかった3種類が次々と手に入りました。もらう場所を変更したというのもあるけれど、9月の猫が3種類をそろえてくれたのかもしれないな、と思います。
 

2019年3月4日月曜日

MOVIXさいたまで「翔んで埼玉」を見る。

先週土曜日にMOVIX亀有で見た「翔んで埼玉」。とても面白かったし、もう一度見たいなと思っていました。
すると、なんと、亀有は初週は最大箱が「アリータ」で、「埼玉」は2番箱だったのに、2週目は週末は「ドラえもん」最大箱だけど、月曜から木曜は「埼玉」を最大箱で上映。
えええ、それならもう少し待って、一番大きなスクリーンで音響もいい最大箱シアター10で見ればよかった、と地団太踏んだのです。
もう一度見たかったからまた行くかな、亀有、と思っていたところ、いや、この映画はリピートするなら絶対MOVIXさいたまで見るべき、と思い、スケジュールを調べると、今週末は夕方までは「ドラえもん」最大箱だけど、夜は「埼玉」が最大箱。定員500名を超す大きなキャパのスクリーン。しかもMOVIXさいたまは「埼玉」の聖地と言われ、満員の客席の盛り上がり方が違う、とのこと。
行くか、さいたま。

というわけで、日曜の夜の回に行ってきました。
見よ、この盛況ぶり。

完売5回のうち、最初の4回は2番箱。5回目が私の見た夜の回の最大箱。
「ドラえもん」は夕方まで最大箱でしたが、満席は出なかった模様。
「グリーン・ブック」もヒットしてますね。実は金曜に流山で見ました。
「埼玉」はここに限らずどこも盛況のようです。

しかし、さいたま新都心は遠い。映画の中で合戦の行われる流山を通って埼玉県に入り、その後もえんえんと埼玉県を電車で移動、途中で京浜東北線に乗り換えてさいたま新都心に着きます。
MOVIXさいたまは去年、3回ほど行きましたが、今回は夜の回だし、久しぶりに餃子の滿洲の餃子が食べたいと思い、京浜東北線で南下して蕨駅へ。文京区に住んで埼玉県の某私大で非常勤講師をしていたとき、帰りに蕨に寄ってよく餃子の滿洲の餃子定食を食べたのです。
しかし、文京区から引っ越してからは蕨に行くこともなく、そのうち埼玉県の私大もやめることになってしまい、もう4年くらい食べていませんでした。
餃子の滿洲は埼玉県を中心に展開していて、西武線沿線に多いので、行こうと思うとかなりな遠征になってしまいます。
そんなわけで、せっかくさいたま新都心へ行くのだから、蕨に寄って餃子を食べようと、餃子の滿洲へ。餃子定食、値上がってるなあ、と思いつつ食べました。
ここはまかない丼がおいしいのだけど、今回は餃子だけで。
そのあとは近くのシャノアールへ。蕨のシャノアール、前から入ってみたいと思いつつ、セルフサービスの店でないのでドリンクが同系列のベローチェより高いので、近くのサンマルクカフェの方に入っていたのでした。
が、今回は例の猫のクリアファイルをもらうという目的があったので、時間もあまりなかったけれど、アイスティーを飲んで少しくつろぎました。値段が高いだけあってベローチェよりおいしい。店内も落ち着くので、近くにあったら通うのに。
4杯分のレシートを出してファイルを2枚もらい、いよいよさいたま新都心へ。「ドラえもん」のピーク時間はすぎたとはいえ、「埼玉」の客500人ですから、シネコンのロビーはごった返していました。発券するのにも時間がかかるだろうと思い、早めに到着。発券機はすいていましたが、なかなか開場してくれない。やっと開場しても人が多くて入るのも大変。私のように県外から来ている人もけっこういるようで、ロビーで「埼玉県人じゃないとバレないようにしないと」と冗談を言い合っているグループもいました。
ああいう映画は二度目はそんなに面白くないのではないか、と思っていましたが、まったくそんなことはなく、ギャグがわかっていても笑えます。特に今回はご当地なので、笑いが亀有と全然違っていて、心置きなく笑える感じ。亀有(東京都)は都民と千葉県民と埼玉県民が見に来るので、なんとなく遠慮しながら笑う感じになるのですね。
亀有とさいたまで笑うツボが違うのも面白く、私自身も亀有モードとさいたまモードで変わっていました。「執事だから狛江か町田」というのは亀有で笑いが出てましたが、さいたまではしーんとなってました。
二度目に見て、これはやっぱりよくできた映画だと思いました。脚本がうまいし、役者もいいし、クラシックから埼玉がらみの歌までを使った音楽もいい。映像もスタイリッシュで、衣装もいい。歌舞伎と宝塚のような絵作りも決まっている。現代パートも面白い。今回は流山の合戦でのふなっしーやチーバくんなどもわかりました(画面の右端にいたのだ)。
小ネタもいろいろあるようで、また、いろいろな場所の映画館で見てみたいという、新しいタイプのリピーターも出ているようで、繰り返し見ても面白い映画だと思いました。
そして最後は場内から拍手。遠かったけど来てよかったMOVIXさいたま。

さて、シャノアールでもらったクリアファイルですが、2枚のうち1枚がなんとまたしても9月の木登り猫。もう、これで7枚目。なんでこればかり出るの?
12枚もらったところで9種類の絵柄が集まり、かぶった3枚がすべて9月だったのですが、その後もなぜか9月がよく来て、しかも13枚目以降はすべてかぶりで、新しい絵柄がまったく出なかったのです。
出ない絵柄は1月、3月、4月で、この3種類はもうないのだろうかと思ったくらい。
各店の在庫もどんどん減っていて、もう新しいのは手に入らないのか、となかばあきらめていましたが、先日、今まで行ったことのない店へ行ってもらってみたところ、ついに1月をゲット。そして今回のシャノアールでは、もう1枚が3月でした。これで手に入っていないのは4月だけになりました。
在庫の減り具合を見ると、残り1種類をゲットするのはかなりむずかしい気がしますが、ベローチェはよく行くからもう少しがんばってみるかな。

金曜日に流山で見た「グリーン・ブック」は、面白いし楽しいけど、あまり心に残らない、わりとすぐ忘れてしまう軽い映画でした。
黒人だけれどクラシックの教育を受け、雲の上の人のようになっているピアニストの孤独とか、南部の金持ち白人の偽善とか、粗野なイタリア系白人との友情とか、全部面白いのだけれど、深く考えるといろいろ問題が出てくるようなタイプの映画。でも、しゃかりきになって批判する気にもなれず、まあ、面白かったね、で終わってしまうのでした。
最近のアカデミー賞作品賞の中では際立って軽い映画で、それゆえに最近の重かったり奇抜だったりする作品賞受賞作よりも一般の観客には受け入れられやすいでしょう。