2023年5月23日火曜日

「ロング・グッドバイ」&「黒い瞳のブロンド」

 図書館から借りてきた2冊、レイモンド・チャンドラー作、村上春樹訳の「ロング・グッドバイ」とチャンドラー・エステイトお墨付きの続編「黒い瞳のブロンド」を読み終えた。(画像はアマゾンから)



順番としては、「ロング・グッドバイ」本文→「黒い瞳のブロンド」→「ロング・グッドバイ」解説の順で読んだ。

「ロング・グッドバイ」は清水俊二訳を若い頃に読んでいるはずなのだが、そして、ロバート・アルトマン監督の映画も見ているのだが(初公開時)、全然忘れてた。そんなに好きじゃなかったのかな。

村上訳が出たとき、長さがずいぶんと長くなっていたので、清水訳は一部省略されていたことがわかり、村上訳読んでみようかとずっと思っていたが、なかなか読まずに来て、なんで今頃読む気になったかというと、ベンジャミン・ブラック(ジョン・バンヴィルの別名)による続編「黒い瞳のブロンド」がリーアム・ニーソンで映画化されて、来月公開と知ったから。

ニーソン、100本目の映画ですってよ。先日、過去記事発掘してたとき、私がファンだった頃のニーソン、1990年前後の彼の記事の切り抜きが出てきて、あの頃のニーソンはよかったなあ、と感慨にふけったのですが、「黒い瞳のブロンド」映画化は実はトマトで批評家からも観客からも低い評価しか得られていないのです。「メモリー」は批評家の評価は低いけど観客の評価はそれなりに高いのに、これではだめかも、と思っているのですが、原作読んで、いよいよだめかも、と思いました。

なんかもう、けなすのも面倒なくらい、つまらない。読み終わって、「ロング・グッドバイ」の村上春樹の解説読んで、そうだよそうだよ、チャンドラーはそこがいいんだよ、でも、あの続編はそこがだめだよね、と、何度もうなずいたのです。

特に1950年代のハリウッド映画の固有名詞がたくさん出てくるのが、わざとらしくてダメ。映画に合わせて来月文庫化されるようですが、ポケミスの方、訳注で、ドリス・デイとロック・ハドソンが夫婦だったみたいなこと書いてあったけど、全然違うよ。ハドソンはゲイだったし、ドリス・デイは当時、メルチャーという人と円満な結婚生活を送っていて、60年代後半に夫と死別するまで一緒だったのよ。映画では3本で共演して、コンビではあったけれど。文庫化で、あるいはポケミスの増刷で直ったかもしれませんが。

村上訳は読んだときはハードボイルドっぽくないし、いろいろ違和感があったのですが、最近出た創元推理文庫版の訳をアマゾンで一部見たら、ミステリらしくて読みやすそうだけど、ハードボイルドっぽさはやはり感じなかった。結局、ハードボイルドは清水訳一択か?

「黒い瞳のブロンド」は小鷹信光なのでハードボイルド色はばっちりで、上の訳注以外はよいと思いました。ただ、もとがねえ。ニーソンの映画もあまり見たくなくなってしまった。第一、ニーソンがマーロウって合うのか? やるならもっと若い頃に(せめて50代)やってほしかったし。

どちらも内容に触れるとどうしてもネタバレになるので触れませんが、「ロング・グッドバイ」が「グレート・ギャツビー」だという村上の指摘はそのとおりだと思います。