2013年6月6日木曜日

ターニング・ポイントの年

振り返ってみると、私にはターニング・ポイントの年がいくつもあった。
まずは1976年。大学3年生だったが、私はその大学は第6志望で、なおかつ、専攻はその大学の第2志望だったという、本当なら浪人したいところだったが、すでに一浪だったので、やむなく入ったという大学だった。
実際、1975年には一時、登校拒否になっていたのである。
しかし、2年目の終わりに、私の英語力が認められることがあって、3年目は期待に満ちた年だった。そして、この年に出会ったのが、スタンリー・キューブリック監督の映画「バリー・リンドン」。魅せられた私は、それまではアメリカ文学志望だったのに、これでイギリス文学志望に変更。以後、ヴィクトリア朝からモダニズムのイギリス小説の研究者を志望することになる。
2年後に思いがけず、最高峰の大学院に入学。しかし、そこで今度はさまざまな差別に出会い、研究者への道を断念する事態になる。
そして1984年、「フランケンシュタイン」翻訳本の解説で評論家デビュー。その後、「キネマ旬報」に拾われ、映画評論家になり、また、雑誌その他で翻訳の仕事もできるようになった。
その後は無名ながらも編集者に恵まれ、好きなことを書いていたのだが、それも長続きせず、1990年になって、仕事を失う。しかし、私の書くものを気に入ってくれる人たちが援助してくれて、細々ながら評論家として生きながらえた90年代。
そして、1997年、大きなターニング・ポイントが来る。
その年の春、長年、収入の大きな要素を占めていたある短大の仕事がなくなり、これはなんとかしなければ、と思った私は、一念発起して、あちこちに電話。その結果、キネマ旬報に復帰できたばかりか、英米小説の翻訳の仕事をゲットしたのだった。
1997年は本当に大きなターニング・ポイントで、ここで得た仕事でしばらく食いつないでいた。
特にキネマ旬報での新たな編集者との出会いは貴重だった。
1997年に出会った、私がどうしても翻訳したいと思い、そして、多くの人の協力で翻訳することができた「テロリストのダンス」、それがきっかけで翻訳することができた数冊の作品。そして、97年から始まったキネ旬での新たな活動。これは本当に、大きなターニング・ポイントだった。
結局、翻訳の方は超氷河期のために、私が期待したような結果にはならなかったが、映画評の方はその後、10年以上にわたって、好きなことを書かせてもらえた。
あれから16年がたってしまい、97年のあと、ターニング・ポイントになる年がないまま、今に至っている。何かしなければ、と思いつつ、なかなか変化は来てくれないものです。

2013年6月5日水曜日

タイプライターの思い出

フランス映画「タイピスト!」を見てきました。
時は1959年、田舎娘ローズが保険会社の秘書の募集に応募。社長ルイは彼女が両手の人差し指2本だけですばやく正確にタイプを打つのを見て、彼女をタイピング・コンテストに出場させようと決意。10本指打法の特訓に加え、かつての恋人で今は親友の妻になっているピアノのうまい女性マリーにピアノを教えさせ、世界大会優勝をねらう、という物語。
若い頃はルイはさまざまなスポーツの選手だったが、ついにトップにはなれなかったという苦い思い出があり、ローズをチャンピオンにすることで自分のできなかったことを彼女に実現させようと思っている。また、ルイはかつてマリーと恋仲だったが、彼女に求婚せずに戦争へ行ってしまい、失意のマリーはノルマンディー作戦でフランスにやってきたアメリカ人と結婚してしまう。また、ルイは金儲けよりも正直であることを大切にするので、保険会社もそこそこの業績しか上げていない(でも、そのかわり、よい人間関係を築いている)。
このルイという人物は1番をめざすのが怖いタイプで、いつも2番でいいやと思ってしまう人なのだ。だからスポーツでもトップに立てず、マリーにも積極的になれず、ビジネスも人を出し抜いてまで成功しようとはしない。
そんなルイがタイピングの才能しかないドジな田舎娘ローズを、せめて自分の代わりにトップに立つ人にしようと、彼女を特訓する。ローズはこの上司ルイに恋をしてしまうが、彼はあくまでコーチの立場を貫き、彼女の思いを拒否してばかり。乙女心を理解しないルイにローズは怒りながらも、タイプの世界大会をめざす、という、昔のハリウッド映画によくあったような、男と女が本当は愛し合っているのにけんかばかりという楽しいスポ根コメディになっている。2人を取り巻く人々の人情がまたいい。
昔のタイプライターというのはキーが重くて、力を入れないと印字できないから、コンテストはまさに体力勝負。負けた女性たちが疲労困憊して、抱えられて去っていくシーンが何度も出てくる。ローズはまずノルマンディー地区のチャンピオンになり、続いて全仏大会でも優勝、そこでタイプライター会社と契約、いったんはルイの手を離れるが、ニューヨークの世界大会でハプニングが、という展開。ラブコメとスポ根と人情劇がうまく組み合わさった、よくできた作品です。けっこう感動もしてしまったのだけど、私くらいの世代には、タイプライターはリアルに存在していた物だったので、そっちの方の郷愁もいろいろとよみがえってきました。

私が学生時代はまだワープロ専用機もなくて、一応英文科だったから、卒論も修士論文も英語で書かねばならず、卒論は手書きでよかったのですが、修士論文はタイプで打たないといけなかった。そこで、当時はタイプライターといえば、日本ではオリベッティと決まっていて、私もオリベッティのタイプライターを買ったのです。当時はタイプライターは電動と手動があり(映画に出てくるのはすべて手動)、電動は力を入れなくても打てるのですが、高い。修士論文のあと、英語で論文書くかどうかもわからないので、一番安い手動を買いました。が、これが大変。まず、教則本で10本指打法を独学。なんとかキーの位置は覚えたものの、とてもすばやくは打てません。とにかく重いのですよ、キーが。映画を見てもらえばわかると思いますが、指でキーを打つと、先に文字がついた鉄の棒がインクリボンを紙の上でたたくのだけど、これがかなり力がいる。しかも、小指だと力が入らず、薄くなったり、二重になったりします。そしてもちろん、タイプミスが多い。ワープロと違って、タイプミスしたらその部分を白く塗って上から正しい文字を打つというのをするか、さもなきゃ最初から打ち直し(プロは打ち直しだろうな)。とにかく大変な世界でした。
その後、ワープロ専用機が登場し、英語ばかりか日本語が普通にキーボードで打てる時代になり、しかも、間違えても簡単に修正できるという、実にありがたい時代になったのですが、タイプライター時代に指の練習していたおかげで、キーボードはすぐにタッチタイピングで打てるようになりました。
タイプライターにはパイカとエリートというのがあったのですが、パイカとエリートって何のことかわかる人は今、どれだけいるのでしょうか。これは文字の大きさのことです。パイカの方が大きい。私のタイプライターはパイカでした。
ワープロ専用機を買ったとき、英語を打つときはパイカかエリートを選べるようになっていたのが、当時は感慨無量でした。
その後、さらに技術は進んでパソコンの時代になり、いまや文字の大きさはさまざまにできるので、パイカとエリートは完全に死語でしょうね。
映画も楽しかったですが、タイプライターについての思い出もよみがえったのでした。

2013年6月4日火曜日

表参道駅の壁はギャツビー一色だった。

昨日、表参道駅の改札を出たら、通路の壁がバズ・ラーマン監督の「華麗なるギャツビー」の広告で埋め尽くされていました。
6月14日公開とのことですが、この映画、2年前に某大学で野崎孝訳の「グレート・ギャツビー」と1974年の映画「華麗なるギャツビー」の比較みたいなのを3回にわたってやっていたときから存在を知っていて、レオナルド・ディカプリオがギャツビーだと知り、ひそかに期待していた作品でした。
しかし、RottenTomatoesを見ると、批評家の評価は芳しくなく、観客には一応受けているようです。3Dだというので、文芸映画というよりはアトラクション的なのかもしれません。
「華麗なるギャツビー」という邦題は、74年の映画化の邦題で初めて使われた言葉なので、74年版の配給会社CICに著作権があるのでは、と思うのですが、このCICはのちにUIPとなり、その後消滅したので、どうなのかなあ、と思っています。翻訳は映画に合わせて一時、「華麗なるギャツビー」になりましたが、その後はどの訳も「グレート・ギャツビー」です。村上春樹と関連づけられたりするとかえって映画に不利と判断して、「華麗なるギャツビー」を採用したのでしょうか。個人的には「華麗なるギャツビー」は74年版だけにしてほしかったです。
スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」は何度も映画化されていて、原作が出ですぐにサイレント映画になり、その後、トーキーになってからは49年に映画化。邦題は「暗黒街の巨頭」で、アラン・ラッドのギャツビー、ベティ・フィールドのデイジー、シェリー・ウィンタースのマートルと、ぜひ見たい!と思わせる顔ぶれなのですが、この映画、アメリカでもDVDやビデオになっていないらしいです。特にシェリー・ウィンタースは「陽の当たる場所」の貧しい女工だから、彼女のマートルはぜひ見たい。ウィルソン役のハワード・ダ・シルヴァが74年版にも出演しています。
その次がロバート・レッドフォード主演の74年版になるのですが、白い服を着たレッドフォードのギャツビーはひたすらデイジーを愛し続けるピュアな男で、暗黒街とつながりのあるダーティな面や凄みは表現できていませんでした。アメリカンドリームの美しい夢とダーティな現実の両面を持つギャツビーは表現できないのだろうか。レッドフォードだからだめだったのか、それとも、誰でもむずかしいのか、その辺がずっと疑問で、たとえば、49年版のアラン・ラッドなら、金髪の美青年ではあるけれど、西部劇やギャングものに主演するスターでもあったので、その2面性がもしかしたら表現できていたのかな、と思わなくもないのです。
74年版はもともと、スティーヴ・マックイーンのギャツビー、アリ・マッグローのデイジーで予定されていたそうで、マッグローは製作のトップにいたプロデューサー、ロバート・エヴァンスの妻だったのが、「ゲッタウェイ」でマックイーンと不倫し、夫と離婚したので、2人はキャンセルになったと、当時は言われていました。エヴァンスはマッグローに求婚したとき、ギャツビーがデイジーに求愛するシーンのようなことをして彼女の心をゲットしたようなので、まさに自分がギャツビーだったのでしょう。もっとも、マックイーンとマッグローのギャツビーとデイジーではちょっとイメージが違う気がしますが、ギャツビーの候補にはジャック・ニコルソンやウォーレン・ベイティもあがっていたそうで、マックイーンやニコルソンなら、凄みのあるギャツビーになったに違いありません(でも、夢を追い求めるピュアな男の面はだめだったかも)。
デイジー役にはマッグローのほかにいろいろな女優が候補になっていたけれど、最終的にミア・ファローに決定。公開当時に見たときは、とにかくレッドフォードとファローがだめ、そのかわり、ブルース・ダーンのトム、カレン・ブラックのマートルがとにかくすばらしく、スコット・ウィルソンやサム・ウォーターストンといった脇役も印象に残りました。しかし、のちにDVDで見直したときには、レッドフォードはだめだけど、ファローはよいと感じました。ファローのデイジーは、ギャツビーの見た理想のデイジーではなく、ギャツビーの愛に値しないデイジーとして描かれていたのだと思います。また、彼女のデイジーは野崎孝訳のデイジーとイメージがわりと合うのですね。野崎訳のデイジーは原文とは違うという意見もあるのですが(原文は読んでない)。ただ、公開時の私がファローに不満だったのは、ギャツビーの見た美しいデイジーの面をもっと出してほしかったのかもしれません。
その後、「ギャツビー」は2000年にテレビドラマ化されたのですが、私は見ていません(おっと、このドラマも「華麗なるギャツビー」でしたね。これはもう自由に使っていい邦題のようだ)。ディカプリオの「ギャツビー」はその次ということで、5番目の映画化です。
表参道駅の壁を埋め尽くした「ギャツビー」の広告では、ディカプリオは黒い服を着ています。レッドフォードの白に対し、黒。ディカプリオはジェームズ・キャグニーに似ていると、かなり以前から私は思っていた、ということは前にも書きましたが、ギャング役者キャグニーに似ているディカプリオならきっと暗黒街につながりのあるダーティな面や凄みを表現できるだろう、そして、美形のスターでもある彼なら、夢を追うピュアな男も演じられるだろう、というのが私の期待です。配給もワーナーなので、「暗黒街の巨頭」というタイトルでもよいかも、などとさえ思うのですが、デイジーはキャリー・マリガンか、他の役者もどうなんでしょうね、ブルース・ダーンやカレン・ブラックみたいな演技派はいるのかな、特に心配なのはニックだよ、と思う私は期待と不安が半々です。74年版のニック、サム・ウォーターストンはよかったね。

2013年6月3日月曜日

つまらない仕事の効用

つまらない仕事をすると、つまらなくない仕事のありがたさがわかるというものです。
つまらない映画を見ると、面白い映画のよさがわかるようなもの。
若い頃は、つまらない映画も見ないと面白い映画のよさがわからないからと思い、つまらない映画もけっこう見てました。
しかし、最近は、時間がもったいないと思うのか、つまらなそうな映画は避ける傾向が強いです。
仕事も、できるだけやりたい仕事だけやろうとしてきたので、つまらなくてなおかつ儲かりそうにない仕事は極力避けてきました。
が、つまらない仕事を避けて、それなりに面白い仕事ばかりになると、今度は、面白い仕事のありがたみがわからなくなってくるのです。
最近の私はちょっと、そういう状態でした。が、あるつまらない仕事(というか仕事の元になること)をやってみて、こういう仕事が生活の中心になったらたまらないな、と思ったのです。
そうなると、なんとなく飽きが来ていた、本来は面白い仕事を見直すきっかけになり、つまらない仕事も時にはやってみるものだな、と思いました。

梅雨入り

関東は早くも梅雨入りって、本当かいな? よく晴れてましたけど。
それはともかく、日曜の夜、ファミレスで夕食を食べようと、入ってすぐ注文を出したのに、待てど暮らせど料理が来ない。たしかに日曜の夜で混んでいて、店員は忙しそうであったけれど、どうも変。
私よりあとに入ってきた客にすでに料理が届いている。向かいの客なんか、私が注文してから10分くらいたって来たのに、もう料理が届いて、さっさと食べて出ていってしまった。
でも料理が違うからなのかなあ、と思うのだが、その後もあとから来た客にどんどん料理が届く。
そのうち、注文してから30分がたった。
私は1人だったので、さっさと食べて次の場所へ行きたかった。なので、これ以上は待てないと思い、黙って帰りました。
ファミレスって、注文してから何分くらい待つのが限度なのかな、と思い、ネットで調べたところ、多くのファミレスでは、20分以内に料理を出すことになっているそうです。確かに、これまでの経験でも、10分かそこらで料理が来ました。なので、30分以内に出る予定でいたのです。
そもそも、ベルを鳴らしたときからちょっと変だったのですが、ベルを鳴らしてもなかなか来ない。店員はそばにいるのにこっちに来ない。そのあと、さらにベルがいくつも鳴って、ようやくその店員が来たのですが、なんとなく変な感じはありました。
混んでいたとはいえ、30分も経過する頃にはしだいにすいてきて、暇そうな店員が数名、ちらほらと立っているのが見えました。
そこで店員を呼んで、料理はまだか、と聞くのが普通なのでしょうが、私はこの時点で聞いても、すぐに料理は出てこないと判断したのです。つまり、注文が厨房に届いていないので、30分経過の時点で言うと、そこから新たに注文と同じことになり、時間がなくなるのです。しかも、その時点で苦情を言ってキャンセルするのもまた面倒。
というわけで、黙って出ていったのですが、ペンがあれば、紙ナプキンに「30分待ちましたが、用事があるので帰ります」と書いておいたのですが。
とにかく、そのファミレスには二度と行かないと思います。
しかし、ネットで調べたら、ファミレスで2時間待ったとかあったのでびっくり。粘るつもりだった人はいいけどね。つか、粘るつもりでない人はファミレスでなくて定食屋に行けってことなのでしょうね。
次からは20分で黙って帰っていいよね。
やっぱり、料理が来ない、ということを店員にいちいち言うのが面倒というか、そこまでして食べたい料理じゃないですよ(だから定食屋か牛丼屋へ行けと)。