7月29日はゴッホの命日、とは知らず、モーリス・ピアラが1991年に監督した「ヴァン・ゴッホ」を見てきた。
ゴッホの映画といえば、やはり有名なのはハリウッド映画「炎の人ゴッホ」で、私が見たのは中学生のときのテレビ放送だから、カットされて吹き替えだったが、それでもカーク・ダグラスのゴッホとアンソニー・クインのゴーギャンの確執に焦点を当てたドラマは見ごたえがあった。
そのあとは1990年のロバート・アルトマン監督の「ゴッホ」で、こちらはゴッホと弟のテオに焦点が当てられた映画。兄の絵のすばらしさを認めながら、画商として絵を売りに出せないテオの苦悩が印象的だったと記憶している(もう20年以上前なので、あやふやな記憶ですが)。
その翌年、フランスのモーリス・ピアラが監督したこの「ヴァン・ゴッホ」は今回、日本初公開となる作品。ピアラ没後10周年に合わせた企画で、日本公開された「愛の記念に」、「悪魔の陽の下に」、ビデオ発売の「ポリス」と合わせて10月に公開だそうです。
ピアラはもともと画家で、ゴッホが最も好きな画家だったということなので、アルトマンの映画とは無関係に進められ、実現された映画なのだと思うが、この映画はゴッホの最後の2ヶ月間、オーヴェルですごした日々に焦点が当てられている。
中心となるのはオーヴェルの医師ガシェの娘マルグリットとゴッホの恋なのだが、これがまったくの創作らしい。この映画のゴッホはやたらと女性にもてて、知り合いの娼婦が何人もいたり、下宿屋の娘にも思いを寄せられたりと、こんなにもてるゴッホは初めてだが、クライマックスはムーラン・ルージュのようなダンスホール(ロートレックのような人物も登場)でのゴッホと弟テオの乱痴気騒ぎ。テオは奥さんと乳飲み子がいるのに女遊びし放題なのだが、史実ではテオは兄の死後、梅毒で亡くなったのだそうだ。
その前にゴッホとテオが言い争うシーンで、ゴッホが、シューベルトは晩年、病気になると人がみな離れていき、孤独に死んだ、というが、シューベルトも女遊びが多かった人で、死因は梅毒だったそうだ。
また、ガシェ医師の妻は夫から梅毒を移されて死んだということがマルグリットの口から語られるシーンもある。
そういう、これまでゴッホの話にはあまり出てこなかったような女性との性的関係や性病といったものがこの映画のモチーフになっているのは驚きだった。
ゴッホを演じるジャック・デュトロンはアルトマンの映画でゴッホを演じたティム・ロスにどこか似た風貌で、ある種のストイックさを感じさせる。女性と関係を持ってもどこか肉欲的なものからは無縁な印象がある。
結局、ゴッホはマルグリットからは「自分の絵のことしか頭にない人」といわれ、ガシェからは「娘の倍の年齢のくせに」といわれ、弟テオはこの映画では俗人で、兄の絵を理解しているのかどうかわからない。
そして7月29日、ゴッホはどこかで銃で腹を撃ち(あるいは誰かに撃たれ?)、下宿屋に戻ってきて横たわっているところを下宿屋の主人たちに発見される。
ゴッホの死については自殺説と事故説があるようで、2011年になって、ゴッホと一緒にいた少年たちが誤って銃でゴッホを撃ってしまい、ゴッホは少年をかばうために黙っていたのだ、という説が現れたそうな。
この映画は1991年なので、その説より20年も前だが、ピアラはこの映画ではゴッホ事故死説をとっているように見える(ゴッホ自身が誤射したとか、そういうことだと思うが)。というのは、映画の最初の方で「首吊りの家というのは、首吊りと同じ発音の名前の人の家のことで、首吊りはなかった」というせりふがあり、そしてラストで、「首吊りの家を描いている」という画家に対し、喪服を着たマルグリットが「首吊りの家はない、首吊りもない」と言う。つまり、これは自殺がない、という意味で、ゴッホは自殺ではないと言っているのではないかと思うのだ。
その一方で、ゴッホが銃を自分に向けるシーンもある。
映画の前半、チュニジア帰りだという男(軍人のようだ)がゴッホに銃をいくつも見せ、ゴッホに銃を向けるシーンがある。このチュニジア帰りの男が誰なのか、私はわからなかったが、ゴッホが腹を撃たれて座り込んでいるシーンで、このチュニジア帰りの男が彼に寄り添っているのだ。
このチュニジア帰りの男は、ゴッホにとっての死神なのだろうか。
いろいろと考えるところの多い映画で、生と死あるいは性と死は表裏一体ということを考えると、ゴッホ兄弟の女性との乱痴気騒ぎをクライマックスにしたこの映画は性と死を表裏一体に描いているともいえる。あの元気そうなテオもこのとき、すでに梅毒に侵されていたわけだから。
この映画にはもう1つ、奇妙なシーンがある。オーヴェルに行く前にゴッホが描いた絵で、「花咲くアーモンドの木の枝」というのがあるのだが、これがテオの家に飾られているシーンがある。
この絵の前にピアノがあり、男性がそのピアノでショパンを弾く。そのあと、この絵を見て、ゴッホに、「日本ふうの曲を」とかなんとか言って、ドビュッシーを弾くのだ。
この男はドビュッシーなのか?(ドビュッシーの有名な肖像画に似ている。)
家に帰って調べたら、確かにこの1890年、ドビュッシーは印象派の作曲家として活躍していた。ドビュッシーと印象派展という美術展をやっていたのは去年の夏のこと。しかし、ゴッホとドビュッシーが会っていたという話は聞かない。これもフィクションなのだろう。新しい音楽を作り出していたドビュッシーはゴッホの絵が将来高く評価されると見抜いたという創作なのでは?
ゴッホが死んだあと、ガシェや下宿屋の主人はゴッホの絵をテオに返すという。しかしテオは、兄があげたものだからもらっておいてくれ、という。ガシェも下宿屋の主人も、ゴッホの絵はいずれ値段がつくものだから、ただでもらってはいけないと思い、テオに返そうとしたのだろうか。少なくともガシェはゴッホの絵の価値を認めていたように描かれている。
しかし、ラスト、首吊りの家の絵を描いていた男はゴッホをまったく知らない。そのシーンで映画は唐突に終わる。
この映画では、画商で弟のテオはゴッホの絵の価値を理解していたのだろうか。勤め先の画商が印象派を認めないので、テオはゴッホの絵の価値を知りながら売ろうとしなかった、というのが一般的な説のようなのだが、この映画ではテオはあまりにも俗人で、絵の理解者なのかどうかは疑問が残る。また、ゴッホがテオの金で暮らしていることに苛立ちを感じ、自立したがっているようなシーンもある。
いろいろと考えるところの多い映画で、さすがはゴダールやアサイヤスが絶賛した映画だ。これまでなぜ公開されなかったのか不思議なくらいである。
追記
映画のはじめの方で、医師ガシェがホメオパシーという新しい療法について話すシーンがあり、彼は将来、この療法が認められる日が来る、ゴッホの絵が認められる日が来るように、と言う。
ホメオパシーはネットで検索すると、現在、いろいろと問題になっていて、この療法を信じて正しい治療を受けないなどの弊害が出ているという。
ピアラがなぜここでガシェにホメオパシーを賞賛させたのか、それも、ゴッホの絵が将来認められるということに引っ掛けて、というのが気になる。1991年当時、ホメオパシーがどう見られていたかを知らないとわからないのだが。あるいは、将来認められるか認められないかは賭けみたいなものだ、ということかもしれない。