2013年8月1日木曜日

よく似た映画2本+1

家に来ていた試写状を眺めていたら、よく似た映画が2本ありました。

右が「アップサイドダウン重力の恋人」というカナダ・フランス映画。
左が「サカサマのパテマ」という日本のアニメ映画。
どちらも男女が逆さまになっているわけですが、どうやらどちらも重力の方向が正反対の男女のラブストーリーのようです。
そんなわけで、火曜日は「アップサイドダウン」を、水曜日は「サカサマのパテマ」を見に行きました。
「アップサイドダウン」は設定が最初から説明されていて、非常に接近した双子の惑星が舞台。人間も物もすべて生まれた惑星の重力に従うという法則があり、上の惑星は富裕層の世界、下の惑星は貧困層の世界という格差社会です。上の惑星の企業が下の惑星の人々から搾取しているという構造。
そんな中、お互いに高い山を登っていたときに知り合った上の惑星の女性(キルスティン・ダンスト)と下の惑星の男性(ジム・スタージェス)が恋に落ちる。しかし、上の惑星の人間と下の惑星の人間の交流は禁止されていて、唯一、2つの世界を結ぶ巨大なビルの企業に入れば出会えるチャンスがあるというので、男性はある発明を携えてその企業に入り、という話。
はっきり言って設定倒れというか、壮大な設定なのにそこで起こるのはただの男女のラブストーリー、格差社会の変革とか全然なし(その後に起きそうな感じはあるが、主人公は「それはまた別の話」といって逃げてしまう)。
ビジュアル的にはよくできていて、特に上と下の惑星をつなぐ巨大ビルの中で、重力が正反対の人々がお互いに逆さまになって動いているあたりはさすが特撮金かけてるよね、という感じ。
一方の、あまりお金をかけられない日本アニメ(ジブリと違って超マイナー)の「サカサマのパテマ」ですが、こちらは設定というか、舞台となる世界の構造は最後になるまで隠されています。
始まった段階では、地底社会に暮らすパテマという少女と、地上社会に暮らすエイジという少年が出会い、重力が正反対のパテマが空に向かって落ちていくのをエイジが救う、というところから物語が始まります。つまり、地底社会と地上社会では重力が逆で、地底社会の人は地上に向かって開いた穴に落ちてしまって地上に出る、というわけ。
地底社会の方はどんな社会かいまひとつよくわかりませんでしたが、地上社会は独裁者が支配していて、人々はみな同じ方向を見て、余計なことは考えないで過ごすことを強いられています。その世界で窮屈な思いをしていたエイジがパテマと出会い、こことは違う世界があると知り、独裁者たちに追われながら、やがてこの世界の真実にたどり着く、というお話。
真実のところはネタバレ禁止なので言えませんが、これはなかなかすごいアイデアです。ただ、残念なのは、映画の中でこの世界の構造がバシっとわかるようには描かれてないことです。私が不注意なのかもしらんが、見たときはイマイチよくわからず、あとでカンニングペーパーを開いてわかった。もっとはっきりわかるようにやってくれたらすごかったのに。
あと、長篇は初めての監督さんらしいけど、脚本やせりふがあまりうまくできていない。これだけのアイデアだったら、もっとしっかりストーリーを練ってほしかったです。エイジの属する社会も、よくある全体主義的社会で、それを支配する独裁者がバカすぎる(しかもロリコン)。こういうのは悪役ももっと複雑な人にした方がよいのですよ(自分では人々のためにやっているつもりだが、実は何もわかってなくて間違っていたとか、あるいは、わかっていたけど、人々のために隠していたとか)。
その辺のストーリーやキャラクターのレベルが低すぎるのが残念でなりません(おまけに、キャラがアップになるシーンの絵の動きがものすごく悪いので、感情が伝わらない)。アイデアはほんとにいいのです。また、互いに逆さまの人々が出会い、互いに理解しあうとか、そういうテーマもよいんですけどね、物語としてこなれてないんですよ。
しかし、欧米発の映画は格差社会で貧富の差、日本発の映画は独裁的な全体主義社会、というのにお国柄を感じます。そして、欧米発の映画が設定だけで社会はどうでもよく、日本発の映画は一応、社会を変えなきゃ、みたいになってるのもお国柄でありましょうか?
また、「サカサマのパテマ」は女性の描写が古いというか、アメリカだったら政治的に正しくないといわれてしまいそうな部分があります。

水曜は「サカサマのパテマ」のあと、移動して、ダニー・ボイル監督の新作「トランス」を見てきました。こちらはさすがによくできた映画。ボイルとしては初期の作品「シャロウ・グレイヴ」のようなミステリーですが(脚本が同じ人)、こちらは主演がジェームズ・マカヴォイ、ヴァンサン・カッセル、ロザリオ・ドーソンと、演技もうまいし花もある人々。内容は、オークション会場でゴヤの絵が盗まれ、ギャング(カッセル)の一味になっていた会場職員(マカヴォイ)が実は盗み出したのだが、ギャングに殴られ、記憶喪失になり、どこに絵を隠したか忘れてしまう。そこでギャングは女性の催眠療法士(ドーソン)を使って記憶をよみがえらせようとするのだが、というお話。
このドーソン演じる催眠療法士が怪しい、というのはわりと早くからわかりますし、マカヴォイは見かけほど善人じゃないぞ、という感じもして、誰が一番悪いのか、そして、この事件の全体像は、という感じで、話がどんどん予想外の展開を見せていきます。
なかなかよくできたシナリオで、ボイルの演出もキレがあるし、役者もみなうまいので、引き込まれてしまいますが、こういうのって、あとになって考えると、なんだかうまくだまされたみたいな、すっきりしない感じが残るものがよくあります。これもそういう感じで、面白いけど、見終わってどうもすっきりしないタイプです。
あと、一番思ったのは、警察はいないのか?
これだけいろいろあるのに、警察が全然出て来ないのです。
ヴァンサン・カッセルは悪役を演じても悪い人に見えないのですが、この映画でもこれでよくギャングのボスがつとまるな、みたいな感じはあります。「イースタン・プロミス」ではだめ息子だったし、「ブラック・スワン」では邪悪に見えるシーンは全部ヒロインの妄想で、最後にヒロインに駆け寄るところなんか、完全な善人。でも、この辺がこの人の魅力で(私もそこが好きなのだが)、この映画ではカッセルのそういう魅力が全開です。

今回はネタバレなしで3本紹介いたしました。