2013年12月27日金曜日

六本木で試写3本

25日と26日は六本木で試写を合計3本見た。たぶん、これで今年の映画は打ち止め。
25日はクリスマスとあって、六本木は地下鉄の出入り口から歩道まで人でいっぱいで、歩くのも大変だったが、26日は特別混んでいなかったので、やはりクリスマスの六本木は混むのだろう。
映画はアメリカの黒人監督リー・ダニエルズの「大統領の執事の涙」、韓国のポン・ジュノ監督の「スノーピアサー」、イギリスの黒人監督スティーヴ・マックイーンの「それでも夜は明ける」。いずれも見ごたえのある作品で、試写も大盛況。

「大統領の執事の涙」は、1950年代のアイゼンハワー大統領から80年代のレーガン大統領までの間、ホワイトハウスの執事をしていた黒人男性の物語。実話からインスパイアされた物語、となっているので、かなり脚色されているのだと思うが、物語は主人公の黒人男性セシル(フォレスト・ウィテカー)が1920年代に南部の黒人奴隷の少年だった時代から始まる。
1920年代といえば、南北戦争が終わって奴隷制が廃止になってすでに数十年はたっているはずなのだが、いくら憲法で奴隷制が廃止にされても現実はなかなか憲法どおりにはいかない、というのはどこの国も同じらしく、20世紀になってもまだ南部の農園では黒人が奴隷として働かされていたのだ。
父を白人に殺されたセシルは白人の老婦人の家で給仕となり、その後レストランで修業、やがてホワイトハウスから声がかかり、執事となる。「日の名残り」でもわかるように、執事は空気のような存在でなければならず、政治や社会に関心を持つことなく、ひたすら主人に仕える。そんなわけで、セシルは白人に黙って仕える執事となり、黒人差別や公民権運動には関心を示さず、距離を置く。一方、セシルの息子はキング牧師やマルコムXに共感し、差別に反対するさまざまな活動に参加する。
アメリカでは20世紀半ばくらいまで、黒人と白人は学校も別、トイレも別、バスの座席も別だった、ということは、私くらいの年齢ならば、雑誌や新聞で見て知っている。キング牧師もマルコムXも、ここに描かれる黒人生徒が白人の学校へ行こうとしたときに起こった騒動も、バスの座席の差別に反対する人々の運動も、そしてKKKの恐怖も、リアルタイムで目に入っていた(日本にいても、である)。
しかし、今の若い人たちには、そうしたアメリカの人種差別の歴史を知らない人が多いらしい。アメリカになぜ黒人がいるのかも知らない、と、どこかの学校の先生が書いていた。
そういう人たちには、この映画はアメリカの20世紀を知る格好の教科書だ。ただ、教科書としてはちょっと不親切かな、と思うのは、たとえば、パブロ・カザルスがフランコ政権を支持する国では演奏しない、というようなせりふが出てきても、それが何のことかわからない人が多いのではないかと思うのに、解説が何もないことだ。これ以外でも、解説が必要なのでは、と感じるところがけっこう多かった。映画を見ただけではわからない人も少なくないだろう。
それと、映画自体がちょっと冗漫というか、もう少しメリハリのある演出にできなかったかなあと思う。
それでも、いろいろと学べるところは多い。ベトナム戦争で、なぜ黒人たちが兵士になっていったのか、それは貧しさだけでなく、黒人の多くがベトナム戦争賛成だったかららしいというようなことも描かれている。また、アメリカは他国のことを批判するが、アメリカ自身が南アのアパルトヘイトと同じことをしていたのだ、というようなせりふもある。いろいろ盛りだくさんの映画で、俳優も歴代大統領やその夫人にロビン・ウィリアムズ、ジェーン・フォンダなどのスターが扮していて楽しめる。

いろいろ盛り込みすぎな感のある「大統領の執事の涙」に対し、「それでも夜は明ける」は非常にまとまりのよい映画だ。
「SHAMEシェイム」のときは監督のマックイーンがアフリカ系のイギリス人であることはほとんど話題にならなかったが、今度は19世紀アメリカの奴隷制の時代を描くということで、アフリカ系であることが注目されるかもしれない。
ただ、イギリス人ということで、アメリカの黒人問題にもある種の距離感があり、そこが白人監督の距離感に近い感じもする。
物語はこちらも実話がもとになっている。まだ南北戦争が始まる前の時代、北部で自由人としてそれなりの地位を得ていた黒人ソロモン(キウェテル・イジョフォー)は、ある日突然、奴隷として南部の農園主に売られてしまう。当時はアフリカから奴隷を連れてくることは禁止されていたので、北部の自由な黒人たちがねらわれたのだという。ソロモンと一緒に売られた黒人の中には、身分は奴隷だが召使としてきちんとした待遇を受けていた人もいて、主人に助けられる人もいれば、息子がさらわれ、助けに来た母親と妹も売られてしまうというケースもある。
ソロモンの場合は生まれたときから自由人で、奴隷だったことがないので、「大統領の執事の涙」の主人公よりもよい身分だったわけだから、その衝撃は大きかっただろう。というか、そういう現実に対して無防備だったのだろうか、と疑問に思わなくもないが。
この映画は主要人物を少人数に絞り、奴隷となったソロモンのサバイバルを中心に描いているので、「大統領の執事の涙」より少し長いのに、こちらの方が短く感じる。あれもこれもと欲張った「大統領~」に対し、こちらは余計なものをそぎ落としてきちんとメリハリをつけ、観客の集中力が途切れないようにしているからだ。
「SHAME」にあったようなとんがった映像も過激な描写もないが、静かに耐えながらも自分を見失わないソロモンの生き方にひきつけられる。「大統領~」の主人公も静かに耐えながら、というか、自分を抑えながら生きていたのだが、過激に生きる息子との対比の中では主人公の生き方はどこか否定的に見られてしまう。しかし、ソロモンの場合は、静かに耐える以外生きる道はないのであり、ほかに選択の余地はない。この選択の余地があるかないかがこの2つの映画の主人公の違いだ。
もちろん、「大統領~」の執事の場合は、選択の余地がある中で、このように自分を抑えざるをえなかった人々の存在意義も描いているので、決して否定されるべきものではないのだが、それしか選択の余地がない中で自分を見失わないソロモンの姿はやはり胸を打つ。
それに加えて、他の人物がいい。ソロモンの最初の主人は善人だったが、しかし、この時代の南部では善人であってもできることには限界がある。2番目の主人は悪人だが、複雑な人物だ。マックイーン監督作の常連マイケル・ファスベンダーは弱いがゆえに残酷になる男をみごとに表現している。この人物と妻と、そして愛人である奴隷の若い女の三角関係は、下手に描けばレベルの低いメロドラマになるところを、人間の性(さが)を感じさせるドラマになっている。2人の主人を演じるベネディクト・カンバーバッチとファスベンダーはいずれもイギリス人なのだが、奴隷によって栄える南部の農園主というのがヨーロッパの貴族に重なるのだろう。このあたりも監督がイギリス人である特徴が出ていると思う。

「スノーピアサー」は「グエムル」のポン・ジュノ監督作で、「グエムル」の父娘を演じた俳優がここでも父娘を演じている。英米のスターが多数出演しているけれど、基本的には韓国映画かな、と思った。原作はフランスのコミックで、氷河期で人類が滅亡し、唯一、自給自足で走り続ける列車に乗った人だけが生き残っている、という設定。この列車は地球上をずっと走り続けているが、先頭の車両が最上流で最後尾の車両が最下層という、縦のヒエラルキーがそのまま横になった格好。そこで最下層の主人公たちが反乱を起こす、という内容。
なんとなく既視感がある設定がいくつもあるし、突っ込みどころも満載な気もするが、面白く見られることは見られる。端役の悪役がなぜか日本人で日本語が出てくる、というのも韓国?と思ったりするが、原作がフランスで英米のスターが何人も出てきても、基本は韓国映画なんだな、という感じ(あるいは、リュック・ベッソン製作のハリウッド的フランス映画のような感じ)。たとえて言えば、日本映画「復活の日」みたいなものか。見ている間、ずっと「復活の日」の映画が頭をよぎりっぱなしだったのだけど、あれも雪と氷の世界(南極)に生き残ったごくわずかの人々の話だった。
一番面白いと思ったのは、この列車の世界が、ちょっと、あの、北の国を思わせるということ。この辺も韓国の監督だから意識したかもしれないと思う(追記 考えてみたら、韓国の人だと逆に北の国を安易に映画でほのめかしたりしないと思うので、これはむしろアメリカの脚本家の発想かな。いかにも50年代のアメリカの世界の映像で表現されているし。途中の寿司食いねえもアメリカ的発想)。ただ、最下層の人たちが奴隷のように働かされているわけでもなく、シェルターと粗末な食事のあるホームレス程度にしか見えないのが設定的に物足りない。