といってもロマン・ポランスキーの映画のことではありません。
現代のベートーベンといわれた、聴覚障害のある被ばく二世の作曲家が、実は18年前から音大非常勤講師に作曲してもらっていたのだというニュース。今日発売の週刊文春に長い記事が載ってるらしい。で、そのゴーストライターがこれから記者会見?
私はクラシックは古いの専門で、現代のものには興味がなかったし、この人も例によってNHKが取り上げたから有名になった人らしく、テレビがない私は全然知りませんでした。そんな人いたのか、くらい。
それにしてもこの問題、例の「朝ママ」事件と共通点が多いな。
社会的弱者をセンセーショナルに扱って金儲けしようとするが、そこには大きな嘘があって、それが現実の社会にいる弱者たちを大いに傷つける可能性があるということ。
どちらも、越えてはいけない一線を越えてしまったということ。
「朝ママ」はグループホームという養護施設自体が一般にはあまりよく知られてないのに、ろくに調査もせずに妄想でドラマを仕立てたらしい(いろいろな意見を読むと、そうとしか思えない)。これがチャールズ・ディケンズの時代、19世紀半ばの孤児院が舞台だったら、別にいいんですが。あるいは、今は存在しないとみんながわかっているような昔風の孤児院とかなら。でも、それだとセンセーショナルにならないので、新しげなものに飛びついて儲けようとするのがテレビ。が、今回は越えてはいけない一線を越えたので、スポンサーは逃げ出すわ、視聴率は上がらないわ、で、日テレ白旗?かどうかはまだわかりませんが、とりあえず、抗議した団体には謝罪したらしい。
作曲家ゴーストライター事件も、まだ詳細はわかりませんが、やはり越えてはいけない一線を越えたな、と思います。ゴーストライターなんて有名人は使っている人多い、と擁護する意見がありましたが、彼らは有名になるまでは自分の才能でやっているので、有名になってから、忙しいからとかいろいろな理由でゴーストライターを使う場合がある、ということです。しかし、くだんの人物は無名のころからゴーストライターを使っていた。そして、一番よくないのは、聴覚障害や被ばく二世を売りにしたことです。聴覚障害のある作曲家というから売れたので、音大の非常勤講師じゃ誰も演奏してくれません。
アイザック・アシモフの自伝に、こんなエピソードがありました。アシモフがある音楽の先生と知り合い、話をしていたら、その先生が交響曲を作曲したというので、それはどうやったら聞けるのですか、ときいたら、先生は、交響曲をオーケストラに演奏してもらうには大変なお金がかかるので、演奏はできないのです、と答えたのだそうです。アシモフはそれをきいて、「自分は小説でよかった。小説なら出版されなくても原稿を読むことができるから」と思ったと書いていました。
つまり、アメリカでも、クラシックの曲、特に交響曲のような大作を作曲しても、演奏してもらうのは非常に困難なのです。ゴーストライターが名前を出さなくても自分の交響曲が演奏してもらえると思ったら、その誘惑に負けるのはわかります。
スターとしてもてはやされている人の作品が実は別人の作だった、というのはフィクションの世界にはいくつもあって、私が今思い出すのは、手塚治虫の「ブラック・ジャック」のエピソード。ある若い男性漫画家の描いた漫画が大変な人気を得て、彼はあちこちで引っ張りだこなのですが、実は作者は彼の恋人の女性。彼女は重い腎臓病で入院し、つらい透析に耐えながらすばらしい漫画を描いているのですが、病気なので表に出られないので彼に代役をつとめてもらっていたのでした。
青年は実は血液型などが恋人と一致していて、2つある腎臓の1つを移植できる立場にいますが、彼はそれをためらっています。そこに登場したブラック・ジャックに、「おまえは彼女のことなんかどうでもいいんだ、有名な今の自分を維持していたいだけなんだ」と言われ、彼女に腎臓を移植し、作者についての真相を公表する決意をする、という話です。
この手の話はフィクションの世界にはいくつもあるのですが、今回のは明らかにフィクションを超えている、フィクションではできない話です。フィクションの世界では、障害のある人の作品が実は別人だった、なんていうのは越えてはいけない一線を越えたことになってしまうでしょう。上に書いた話のように、偽物は弱者であってはならないのがフィクションの掟であると思います(例外はあるかもしれないけど)。ゴーストライター事件の作曲家については、経歴や障害についても疑問が出ていますが、それ以上に、まわりが知っていたのでは?特にNHKは?というあたりが一番問題な気がしますね。本人とゴーストライターだけが仕組んで儲けたとはとても思えませんから。
NHKは会長や経営委員の問題もあって、本当はそっちの方が大きな問題なのだろうけど。
ゴーストライター事件に関連して、もう1つ思い出したこと。
20世紀半ばに、ディヌ・リパッティというショパンの名演奏家がいたのですが、彼は夭逝のピアニストでなおかつイケメンということで、大変人気がありました(今もあると思うが)。
あるとき、長年、名演奏として知られ、レコードの売り上げもよかった録音が、実はまったく別の女性ピアニストの演奏だったことがわかったのです。これはもちろん、レコード会社が間違えていたので、発売元のミスです。
そこで、新たに本物のリパッティの演奏が発売され、それまで大人気だった別人の演奏はその人の名前で発売したのですが、それまで大人気だった別人の演奏はまったく売れなかったそうです。
要するに、クラシックなんてその程度のイメージで聞く人が多く、だからイメージでアーティストを売ることがしょっちゅう行われているということです。今回の件も、そういう環境ゆえに起こったことであるのは事実。