携帯販売員からオペラ歌手(追記参照)になったイギリス人ポール・ポッツの実話を映画化した「ワンチャンス」を見た。先月、披露試写会があって、そこで見たかったのだが、風邪と腰痛で断念していたのだ。
行ってみたら、試写室は全然混んでなくて、あれ?って感じ。
確かにこの映画を見ていると、日本人は苦労した人が成功するのをお涙頂戴で描くのが好きだけど、イギリス人は違う、というのがわかる。例の偽ベートーベンみたいなのは日本ならではだ。だいたい、ベートーベンが苦労して苦しみながら作曲をした、なんてことが異様に受けてるのは日本だけだそうで、実際のベートーベンは女性にもてたし、財テクしてたし、耳だってまったく聞こえなかったわけではないらしい。むしろ、日常会話は聞き取れないが、ピアノやオーケストラの大きな音は聞こえるという聴覚障害があって、ベートーベンはそれだったのではないかという説もある(これは実際にそういう障害を持っていた人が書いた本を読んで知ったのだが、これが受けないのは、やはりベートーベンは耳が聞こえない苦しみの中ですばらしい曲を作ったという物語を否定したくないからだろう。ちなみに、この障害は現在では手術で治療できるのだとのこと)。
話がそれたが、この映画では、ポッツは携帯販売員から一夜にしてオペラ歌手になったわけではない。ウェールズの労働者階級に生まれた彼は、幼い頃から歌の才能があり、教会の聖歌隊で活躍。家も労働者階級とはいえ、貧しくない。地元のタレントコンテストの賞金でヴェニスの音楽学校に留学もしている。そこでパヴァロッティの前で歌うというチャンスを得るが、シャイな性格が災いして失敗。パヴァロッティから「きみはオペラ歌手にはなれない」と宣告されてしまう。
その後も故郷のオペラ公演で主役に抜擢されたりと、才能は常に認められていたが、次々と襲う不幸が。まずはオペラ公演の直前に虫垂炎になり、次は甲状腺に腫瘍が見つかり、そのあとは交通事故と、不幸のてんこ盛り。日本だったらさぞやここでお涙頂戴になるだろうと思うのだが、この映画ではこの不幸のてんこ盛りがコミカルに描かれてしまうのだ。
不幸が続いたとはいえ、ポッツは歌の才能と丈夫な体を失うことはなく、家族や友人にも恵まれ、そしてついにイギリスの大きな新人発掘のコンテストに、となる。
実話をもとにしているとはいえ、いろいろ脚色されているに違いないから、ポッツがパヴァロッティから「オペラ歌手にはなれない」と宣告されたことがずっと尾を引いているという設定はフィクションかもしれない。でも、そういうことがトラウマになって、というのは自分も経験があるので、よくわかる。
なんにしても、成功は日々の努力の積み重ね。1つ1つステップを踏んで上がっていくのだということがきちんと描かれた作品だ。
ポッツが優勝したコンテストでは、審査員が下手な素人をくそみそにけなす。欧米ではこのタイプのコンテストがよくあるようだけれど、そういう批評に耐えられない人はプロになるなということだ。ポッツの場合もパヴァロッティの批評に耐えられないうちはだめだということで、こういう視点は日本にはあまりないなと思う。
パヴァロッティといえば、8年前のトリノ五輪開会式でプッチーニの「誰も寝てはならぬ」を歌い、荒川静香がその曲で優勝したのだった。ポッツがオペラ歌手になったのはその翌年で、やはり「誰も寝てはならぬ」が歌われる。ソチ五輪開催を思いながら、それを思い出した。
追記
ポール・ポッツは日本で公演もしたことがあって、けっこう有名だったのですね(ほんと、今のクラシックの人にはまったくうとい自分)。調べてみると、やはり映画はかなり脚色されていて、パヴァロッティとのエピソードはやはり創作なのかな? それに、映画だと、大人になっても親と同居して携帯の販売店でバイトしているみたいに描かれているけれど、実際は大学の人文系の学部を出て就職もしていたらしい。腫瘍がみつかったのも甲状腺ではなかったようで、でも、虫垂炎、腫瘍、交通事故の連続は本当のよう。また、オペラに出演するオペラ歌手ではなく、どちらかというとポピュラーなクラシックの声楽家という感じなのだろう。ああいう感じで有名になったので、実力はないのでは、と疑う人もいたようだが、もともとの声が非常にいいのは確かで、ただ音大で訓練を受けていないので、本職のオペラ歌手のような仕事は無理ということらしい。
ポッツはその後、前ほど売れなくなって契約を切られたりしたようだが、クラシックもけっこうきびしくて、私の好きなあるヴァイオリニストは一時メジャーと契約してたけど売れないので切られ、でも、マイナーなところでCDを出し続けていた。最近は新譜も目にしないので、引退したのかもしれない。