2014年6月30日月曜日

フランシーヌの場合

新宿駅南口の歩道で、集団的自衛権に反対する男性が焼身自殺をはかったというニュースが日曜にあった。
このニュース、なぜか日本ではできるだけ報道しないようにしている姿勢がうかがわれ、一方、海外のメディアは大きく取り上げているという奇妙な感じになっている。
日本では、「ばかげている」といった論調が主流のようで、集団的自衛権に反対ということを隠していたり、さらにNHKは報道さえしなかったとか。
一方、海外のはAP通信とロイターを見たが、淡々と事実を報じていて、日本のマスコミもただ事実を淡々と報道するだけでいいのに、何かコメントしないといけない、自分たちの立場を明らかにしないといけない(政権に都合の悪いことをしそうに見えたくない)みたいな感じがあるようで、かえって気持ちが悪い。
とはいっても、テレビは見れないので、ネットの情報で判断しているだけなのだが、ふと思い出したのは「フランシーヌの場合」という歌。ここに詳しい説明が。
http://www.k5.dion.ne.jp/~noho-hon/Travel/Africa01/Data/Francine/francine.html
なつかしい。私が若い頃に大ヒットした歌で、当時、日本でもベトナム反戦運動が盛んだったので、共感した人が多かった。
ただ、このサイトによれば、フランシーヌという女性はフランスではまったく忘れられているということで、日本だけの現象だったようだ。海外的には、南ベトナムで仏教弾圧に抗議して焼身自殺した僧侶や、チベットでやはり仏教弾圧に抗議して焼身自殺する僧侶がかなりいるということで、焼身自殺=政治的抗議と受け取られているそうで、海外では新宿の焼身自殺も政治的抗議としてとらえ、集団的自衛権や自衛隊の現在のあり方、日本は切腹のような自殺の文化があるが焼身自殺はめったにない、というような日本の自殺の紹介まである。なんにしろ、海外のメディアは淡々と事実と背景だけ中立的に紹介しているのが印象的だった。
新宿の男性は命に別状はないとのニュースもあり、フランシーヌが忘れられたように忘れられる、つまり、抗議としてはあまり効果なく終わるのかもしれない(月曜にデモがあるそうで、こっちの方が本来のやり方)。若い女性がパリで、と、中高年の男性が新宿で、というのでは、受け取り方も違うというか、うーむ。
ただ、「フランシーヌの場合」の歌詞、なかなかに深いものがあります。
あまりにもおばかさん、あまりにも悲しい、とか
本当のことを言ったらお利口になれない、本当のことを言ったらあまりにも悲しい、とか。
「ばかげてる」だけで切ってない、「あまりにも悲しい」と続ける。
そして、「本当のことを言ったらお利口になれない」って、日本のマスコミのことだろうか、と、ふと、思った。
ただ、日曜は夕刊がないので、月曜の朝刊で各紙がどういう扱いをするか、それを見ないと判断できないと思う。明日もまた新聞読みに行こう(仕事先で読めるのだ)。


追記
この事件の海外での報道まとめサイト
http://matome.naver.jp/odai/2140405501468783601