https://twitter.com/kakinaguru_zo/status/493952613784637442
NHKスペシャルのSTAP特集で小保方氏の論文の間違いをいろいろ追及したそうですが、それについて、小保方氏の弁護士三木氏が「集団リンチ」と言ったというのが話題になっています。
研究の誤りを指摘するのが集団リンチでは、学問も研究も教育もできなくなる、ということで、まったくそうなんですが、この三木弁護士は小保方氏についてはかなり変な発言ばかりしているので、またか、という感じなんですが、上のツイッターのやりとり見ると、単に三木氏のバカ発言ではなさそうな。
先週と先々週は3つの大学で期末試験があり、合計400人くらいの学生を教えているので、試験の採点は片っ端からやらねば大変、ということで、2つの大学の成績は先週中に出し、3つ目の大学の成績は昨日出してきました。これで夏休みだ、わーい。
まあ、私は非常勤なんで、ゼミとかないし、授業もあまりきびしくしてないのですが、それでも、間違いを指摘されることへの耐性がない人が多いというのはよくわかります。
これは最近に始まったことではなくて、私が非常勤講師を始めた30年くらい前からすでにありました。
以前は英語の授業ばかりだったのですが、英語というのは学生に発表させて、間違いを直すことで学んでもらうのが原則なのですが、その、間違いを直すというのがいやな学生が多いので、最近はもう発表はやめて毎回小テストになってしまっています。
発表をさせていたときは、もちろん多くの学生は間違いを直してもらいながらしっかり学んでくれていたけれど、やはり一部に、自分が常に完璧でないと気が済まない学生がいるので困りました。
大学生では間違うのが当たり前、大学生で英語完璧だったら授業来なくても単位やるよ、というくらいなのに、とにかく自分が間違うのがいや。というか、人前で間違いを指摘されるのがいや。
なので、小テストにしたら、人前で間違いを指摘されるのがなくなったので、平穏無事になりました。
しかし、今年は久しぶりに英作文を発表形式でやったら、発表をやりたがらない学生が多くて、やはり間違いを直す授業はだめなのか、と思いましたね(もっとも、慣れてくると平気になる学生も多いです)。
やっぱり慣れなんでしょうね。たぶん、小学校からずっと間違いを指摘されることに慣れていれば、耐性もつくのだろうけど。でも、30年前に英語の授業したとき、「高校では先生が全部説明してくれて、発表なんてなかったのに、なぜ発表をさせるのか」と抗議されたことがありました。30年前でもすでにそうだったのだ。
先生が一方的に教えるのではなく、学生同士で議論させろ、と言いますが、学生同士で議論というのは、それこそ人前で間違いを指摘し合うことなので、今の日本じゃ無理だろ、と思います。
上のツイッターでは、日本の大学生は学ぶ姿勢がない、と書いてありますが、単に学ばないというよりは、間違いから学ぶのが勉強、という理念が教育現場から消えてしまっているのだと思います。
まあ、私が行ってる大学は中堅かそれ以下なんで、やる気のある学生はやる気があるし、やる気のない学生はプライドも何もないので、間違いを指摘されて怒るような学生はいませんね。それだけはありがたいです。