2014年7月20日日曜日

早稲田大学の恐るべき(笑うべき?)言い訳

スタップ問題はもうやめようと思っていましたが、ここに来て、出ました、早稲田大学が小保方氏の博士号をはく奪しないという決定。その理由がすごいので、一部で話題になっていますが、一般人はしらーっとしています。
確かに私も一般人としては、しらーっとせざるを得ない。
もともと早稲田の博士号って、そんなにすごいものだと思ったことなかったし。
早稲田は学部出て一流企業に入るのがすごいので、大学院をすごいと思ったことなかったし。
もともと日本の大学の多くはディプロマミル的で、特に私大はほとんどがディプロマミル的だと思ってたし(そういうところでも立派な論文を出している人はいると思いますが、全体として)。
だから、早稲田は死んだ、と言われても、所詮は大学院の話で。
もともと早稲田の優秀な人は大学院は旧帝大などへ行っていたわけで、学部早稲田の人も別に困らないわけで。


また、早稲田の論理が研究教育倫理を根底から揺るがしているのは事実だとしても、実際、それは現実にすでにあることだよね、と思うのは私だけか?
たとえば、「博士号をはく奪すると就職に影響が」というのは、「出席もしてないし、試験もできてないけど就職が決まったから単位を出してくれ」てな圧力はわりと普通にあるというのと同じ。
カンニングしても、それを報告したりするとあとが面倒なので、その場で注意するにとどめる、なんてこともある。ある短大で、先生の目の前でカンニングした学生がいたので、その学生を不可にしたら、「カンニングなんて誰でもやっているのに私だけ不可はおかしい」と抗議され、全員再試験にしたという事実がある。カンニングを注意するとこれだけ面倒なのだ。
小保方氏の博士号も、剥奪すると、日本全国に波及するので、それを避けるために文科省もグルになってああいうことをした、と予想する人が多い。その文科省が道徳を普通の教科にして成績つけるそうだが、自らの道徳の成績をまずつけろよ。
また、日本の社会は、特に文系では、大学時代、勉強しなかった人が人間力やら何やらで企業で出世しているので、中身のない論文で博士号くらいでは一般人は驚かない。
だいたい、一般人にとっては、というか、文系は博士号を出さなかった時代に院生だった私にとっても、博士号ってどの程度の重要性があるのかわからない。なんだかよくわからないけど、ある特殊な業界では必要な免許証らしいな、くらい。
末は博士か大臣か、なんていうのは昔の話で、今や博士は雲の上の人でもなんでもなく、博士になってもコンビニのアルバイトしか仕事がない時代。
それにしても、博士号はく奪されて仕事を失った人は日本にもいるのだが、小保方氏くらい有名になり、バックに文科省とかついていると何でも許されてしまう、という実例が当分続いていくようだ。
再現実験についても、小保方氏はもともと実験ができなかったのに、いいかげんな早稲田が修士号も博士号も与え、文科省は返還不要の多額の奨学金を与え、理研はユニットリーダーに採用してしまったということを隠すために、小保方氏に今、実験の練習をさせ、2カ月後に実験できるところを見せようという目的だ、という予想がある。小保方氏を守ることによって守られる人がいかに多いかということだろう。