2014年8月16日土曜日

誰よりも狙われた男

ジョン・ル・カレの小説の映画化「誰よりも狙われた男」を見た。
キャリアの絶頂期で亡くなったフィリップ・シーモア・ホフマンの最後の主演作(出演作はこれから「ハンガーゲーム」の第三部が来るので、遺作ではない)ということで、試写室は大混雑。開映25分前に行ったらもう座席はいっぱいらしく、それでも10人近い人が並んでいる。補助椅子の準備をしているらしいのでそのまま並んでいたが、私のあとにもどんどん人が並んでくる。係が説明もしないので、イライラしながら待つこと15分くらい? 私の前で、補助椅子では、とあきらめて帰った人が数人いたので、なんとか入って見ることができた。
普通は補助椅子だと体が痛くなってしまって、けっこうつらいのだが、映画が面白かったので、ほとんど苦痛も感じずに最後まで見ることができた。
舞台はドイツのハンブルク。9・11テロの犯人たちが作戦を練った町として、今はテロリストを警戒するさまざまな組織が怪しい人物を見張っている。ホフマン扮するギュンター・バッハマン(名前からわかるとおり、ドイツ人)をリーダーとするグループは、町にやってきたイスラム過激派と見られるチェチェン人の青年を監視し、そこからテロリストに資金供与していると思われるイスラム教の学者をターゲットとしようとする。一方、チェチェン人の青年は女性弁護士の支援を受けながら、父親の遺産のある銀行の経営者に接近する。バッハマンは手段を選ばず、弁護士や銀行家を脅して仲間に引き入れるが、その一方で、チェチェン人の青年や、基本的には人道主義者である学者にも最善のことをしてやろうと考えている。しかし、ドイツの諜報機関やアメリカCIAも彼らをねらっていた。
という具合に、けっこう人物関係が複雑な話なのだが、映画はかなりわかりやすい。テロリストに関する話とはいえ、アクションシーンなどはなく、もっぱら頭脳戦なのだが、これがハリウッド映画とは一線を画す洗練された仕上がり。監督のアントン・コービンはオランダ出身とのことで、ヨーロッパ映画のような雰囲気がある。
ただ、主役のドイツ人3人が、北米俳優なのですね。
バッハマンのフィリップ・シーモア・ホフマン。アメリカ人。
女性弁護士のレイチェル・マクアダムズ。カナダ人。
銀行家のウィレム・デフォー。アメリカ人。
一方、CIAのベルリン支局の女性(アメリカ人)は、アメリカ人のロビン・ライト。
バッハマンの部下のドイツ人はドイツ人のニーナ・ホスとダニエル・ブリュール。
ロシア人の父とチェチェン人の母から生まれた青年はロシア人のグレゴリー・ドブリギン。
イスラム教の学者はイラン人のホマユン・エルシャディ。
つまり、脇役はみな、役柄と俳優のエスニックな背景が一致しているのだ。
そして、彼らの方が、主役の3人よりリアルに見える。
ホフマンもマクアダムズもデフォーも演技力のある俳優だが、彼らはやはりスター中のスターであって、役柄以前にホフマンであり、マクアダムズであり、デフォーなのだ。だから、彼らの演じる人物がドイツ人であるということに、終始、違和感があった。
原作者のル・カレによれば、「裏切りのサーカス」でゲイリー・オールドマンが演じたスマイリーを演じさせてもよい唯一のアメリカ人俳優がホフマンだったのだそうだ。ル・カレはホフマンの演じるバッハマンには満足しているようである。確かに、ドイツ人に見えない、ということを考えても、ホフマンがバッハマンを演じたことは成功だったといえる。バッハマンは複雑な人物で、狡猾だが、自分が利用した人々には最善のことをしてやりたいと思っている。立場上、狡猾で非情にならざるを得ないが、できるだけ人のためになるようにしたいという良心の持ち主なのだ。こういう役に一番ふさわしいのがホフマンだということは明らかだ。
だから、主役の3人がドイツ人に見えないので、これがドイツの話だということが今一つ際立たない、という欠点はあるものの、ホフマンの演技はその欠点を補う以上のものをもたらしている。
しかし、同時に、ドイツ人に見えない、ドイツの話としての印象が薄い、ということが、結末を弱めている、ということも言えると思う。
ホフマンでなければならないが、しかし、それだけではだめ、という、非常にむずかしいところなのだ。デフォーとマクアダムズをドイツ人俳優にしたらどうだっただろうか?


それにしても、フィリップ・シーモア・ホフマンという人は、どんな役をやっても内なるデーモンを感じさせる。俳優としての彼はまさに「魔物」だったと言ってよく、それゆえに、あのような最後は衝撃的ではあったけれど、魔物であればそうならざるを得ないのか、という感慨はあった。魔物的な要素を持つ俳優はたくさんいるが、ホフマンのように魔物そのものだったと感じた俳優は思い出せない。