最近公開の話題作、「オデッセイ」を一番近いシネコンで見てきた。
郊外に引っ越して最初にしたことの1つは近くのシネコンを探すこと。前は日本橋や日比谷まで地下鉄で10分余りだったが、郊外から都心へ行くのは大変だし、近くに適当なシネコンが複数あることを期待していた。
探したところ、一番近いシネコンは私鉄とJRを乗り継いで15分のところ。駅から徒歩5分くらいの大きなショッピングモールの中にある。
しかし、それ以外はみな駅から遠いところばかり。車社会のシネコンなのだった。
というわけで、このシネコンで「オデッセイ」をやっているかな、と思ったら、やっていたので見てきた。
そもそも、この映画のことを最初に知ったときには、まーたー、リドリー・スコットの暗い宇宙ものかよ、くらいにしか思わなかった。ところが、ゴールデングローブ賞のコメディ部門の作品賞を受賞。
コメディ部門? マジかよ、と思っていたら、ネットのあちこちで、この映画は宇宙版ロビンソン・クルーソー、元気の出る明るい映画、という評価が出てきた。
そうか、元気の出る明るい映画なのか。マット・デイモンの宇宙ものというと「インターステラー」だし、デイモンを救出する映画というと「プライベート・ライアン」だから、絶対暗い映画だと思っていたのに。だいたい、「オデッセイ」なんて邦題をつけるから余計悲愴に感じていた。
原題は「火星の人」で、原作のタイトルもそうなっている。「オデッセイ」なんていう大げさなタイトルをつけたのはなんでだか知らないが、ホメロスのオデュッセイアの帰還にひっかけてるのかな? ちがうと思うんだけど。
というわけで映画だが、コメディ部門でもおかしくないと思えるようなライトなサバイバルものであった。この映画の魅力は、ワタクシ的には次の2点。
(1)火星に取り残された主人公がサバイバルを計画し、実行すること。その実行ぶりがけっこう楽しそうであること。
(2)NASAの人々は基本、善人なのだが、それでも変に政治的な行動に走ったり、世間を気にしたり、悲観的になったり、そんなこと言ってる場合じゃないだろうというようなことを言ったりと、とても人間的であること。かっこいいエリート科学者では全然ない。
(1)に関しては、主人公は一応、シェルターのような建物や水や空気を作る装置、そしていろいろな機械を所有していて、あとは4年後に地球から来る宇宙船を待つまで食料をなんとかすればよい。じゃがいもを発見した彼は、それをもとにじゃがいもを育て、増やそうとする。肥料は、水は、といろいろ工夫するさまが面白い。
やがて、NASAが火星の表面に動くものを発見、取り残された主人公が生きていることを知る。一方、主人公もなんとかNASAと通信しようとして、という具合に、主人公の火星での工夫と、それを知ったNASAがそれに呼応するようにして動き出す、というところが交互に描かれていて、この辺がうまい。主人公の工夫のしかたがまた、なるほど、と思わせる。
そんなふうにして楽しいサバイバルが続くのだが、後半、事故が起き、苦境に立たされる主人公、一方、NASAは主人公救出に動き出す、という展開で、中国が協力を申し出るという設定になっているのが面白いと思った。「ゼロ・グラビティ」もたしか、中国の宇宙船のおかげで主人公が助かるようになっていたと思うが、米中の接近を感じさせる設定が目につく。「オデッセイ」では全世界が主人公救出を注目して見ているという設定になっているけれど、表だって出てくるのはアメリカと中国、それにあとイギリスがちょびっと、なのだ。以前だったら、フランス、ドイツ、ロシア、日本なども出てきただろうに、アメリカと中国とイギリスだけって、ほかの国とは仲悪いの?
そんなわけで、前半は楽しいサバイバルと、それに呼応するNASAの人々の人間的な行動が面白かったのだけど、後半はだんだんご都合主義になっていって、クライマックスは「ゼロ・グラビティ」の二番煎じの感があった。「ゼロ・グラビティ」はまあ、これしか方法がないからしかたないのだが、この映画の場合は時間をかけて安全にやる方法もあったのに、いけいけどんどんで、無謀なやり方をやっちゃったという感じがしてしまうのである。