2016年9月19日月曜日

1年ののち

 先日、ぶらぶらと散歩に出かけたら、途中でこんな保育園が。
保育園児にもゴジラが人気?



話変わって。
今日は郊外の団地生活を始めて1周年の記念日です。
昨年の今日、管理事務所で鍵を受け取り、契約した部屋へ。大きなバッグ1つで来たので、まだ部屋には何も置いてありません。これは南の六畳間から北の四畳半を撮ったもの。窓の前に障子があります。

古い団地なので、あちこち補修の箇所が。インターフォンの隣には、今は「ルドルフとイッパイアッテナ」の最初のチラシ(本を2匹の猫が見ているもの)が貼ってあります。

このあと、宅急便で送った段ボール箱2個が届いて、四畳半にエアベッドを置いて寝室に。
その後2か月は都心との二重生活だったので、その2か月間は物がほとんどなくて広かった。

その翌日、近くに大きな公園を発見。そこで撮った彼岸花の写真。今年も咲いているはずですが、天気が悪いので出かけていません。




そして未来の話。

このところ、大学は人件費節約のため、新規採用をしないとか、非正規職員や教員を大量解雇しようとするとか、いろいろと不穏な雰囲気です。
私もいつ仕事がなくなるかわからないので、ライターや翻訳の仕事を探さねば、と思っているのですが、これまでのような仕事はもうむずかしいので新しいタイプの仕事を、と思いつつ、ではどういうのがあるか等々、悩みは尽きません。
私自身、新作の映画評はもう限界だと思うし、試写もあまりチャンスがなくなっているので、映画関係なら試写を見なくても書けること、そして映画以外にも手を広げたいと思っています。
また、翻訳は、文芸はもうほんと無理(仕事がないし、コネもない)、産業はどうも私には向かない、となると、ノンフィクションの持ち込みしかないと思うのですが、結局、自分の企画力のなさを思い知るばかりです。
ツイッターを見ていたら、「これまで何をしてきたかではなく、これから何ができるかだ」と書いてあるのを見つけ、まさにそのとおりだと思いました。
今月のはじめ、かなり落ち込むことがあって、この年になって大学教授になれた人となれない人の差にがくぜんとしたというか、映画評でも大学教授の肩書がある人が有利なのかとつくづく思い、ほんとがっくりだったのですが、その後、何回目かの「ルドルフとイッパイアッテナ」を見たらすっかり元気になり、落ち込む原因もどうでもよくなり、今できること、これからできることを考えるようになりました。