クロード・ルルーシュとフランシス・レイのコンビの新作「アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲」が見たかったので、隣町のシネコンへ行ってきた。
隣町といっても3社の鉄道を乗り継ぐので運賃はけっこうかかる。とりあえず、ネットで席を予約。そのとき、大ヒット中のアニメ「君の名は。」が、「アンナとアントワーヌ」終了時間から30分後に始まることを知り、運賃高いんだからハシゴしちゃえ、ということで予約。
このシネコンは以前、「マクベス」を見に行ったときは平日だったせいかショッピングセンターも閑散としていた。が、今回は土曜日ということもあり、ショッピングセンターも映画館もかなり人がいた。シネコン内での映画のハシゴは発券が一度にできるし、移動しないでいいのでとても便利。
さて、まずは「アンナとアントワーヌ」。大人の愛の映画ということで、高齢者ばかり。歩くのもやっとという高齢者がいて、付添いの人が席につかすまでが一苦労という場面もあった。
原題は「Un+Une」。+でつながれた2つの単語はそれぞれ男性名詞と女性名詞につく「1つの」あるいは「1人の」という冠詞。つまり、これは「男と女」ということ。「男と女」といえばルルーシュの傑作。あれから半世紀。これは21世紀の「男と女」ということでしょう。
主人公は映画音楽作曲家のアントワーヌ。ピアニストの恋人がいるが、女たらし。インドの映画監督の作品に音楽をつけるためにインドへ行き、そこでフランス大使夫人のアンナと出会う。妊娠祈願でインドの聖女を訪ねるアンナに、アントワーヌは頭痛を治すという理由で同行し、しだいに愛が芽生え、ついに2人は結ばれてしまう。一方、アントワーヌの恋人がインドへやってきて、フランス大使の世話になる。アンナとアントワーヌは夫と恋人のもとに戻るつもりでいるが、しかし、というストーリー。
アンナとアントワーヌの、最初はただの友達だったのが、しだいにお互いに惹かれあっていく過程、その過程で描かれるアンナとアントワーヌの過去、そして一夜だけの不倫をしてしまったあとの展開が「男と女」の語り口を彷彿とさせる。数年後、空港で偶然出会うアンナとアントワーヌのシーンはジャック・ドゥミの「シェルブールの雨傘」のようだ。そういえば、アンナはゴダール、アントワーヌはトリュフォーを連想させる名前。ルルーシュ自身と、そして同世代の監督たちへのオマージュだろうか。結末近くでは、ルネ・クレマン監督の「パリは霧にぬれて」の音楽が一瞬、耳に聞こえてくる。
「男と女」の主人公たちがレーサーだったり映画のスクリプターだったりしたことがある種のおしゃれな記号であったように、アントワーヌが映画音楽作曲家だったり、その恋人がピアニストだったりすることもおしゃれな記号にすぎないように思える。インド人の映画監督も背景的人物で、映画作りについての映画ともいえない。アンナとアントワーヌの機知に富んだ会話はロメールか? 電信柱ができる前は鳥はどこにとまっていたのか、とか。アントワーヌが父親を探し出すシーンで話題になるエットーレ・スコラの「あんなに愛し合ったのに」。両親は船に住んでいる、と言ったアンナの言葉が実体化するラスト。お互い、新しい恋人がいるみたいなのに、この2人、また何か始まりそうな予感。愛こそが人生、ああ、これぞフランス映画の真骨頂なのでした。
そして、30分後にはスクリーンを移して「君の名は。」。お客さんは中高生ばっかりです。大学生から20代くらいがちょぼちょぼ。30代以上の大人はほとんどいない。私がたぶん最高齢。前の方に中年女性がいたが、小学生の付添いだった。中高生のグループが多いので、たぶん、中学や高校ではこの映画を見ていないと話題に遅れるのだろう。数人のグループで来ているのは男子ばかりという感じ。女子は2人くらいで来ている。けっこう男子率高い。
で、内容は、ジュヴナイル・ファンタジーの王道ですね。どこかで見たことのある話の寄せ集めで、既視感バリバリ、年季の入った高齢者の私には正直、新しさはまったく感じませんでした。しかし、たとえ使い古されたネタだとしても、それを組み合わせるうまさはあり、また、内容的にも10代の人たちに見せたいジュヴナイルであることは大人の目から見てもそう思います。10代の頃にこういうジュヴナイルを見るのはいい、純な心の少年少女が惹かれあい、そして人命を救うために頑張る。いい話です。まわりの友達もいい人ばかりで、不良とかいない。名前の重要性をテーマにしているあたりはほんとにファンタジーの王道で、名前を忘れてしまうことが記憶の喪失につながり、でも、心のどこかにその滓が残っている、という設定もいい。
過去を変えたら未来も変わる。そういう辛い部分も確かに入っています。
そんなわけで、この映画が10代を中心に大ヒットするのは大いに喜ばしいことなのですが、大人の鑑賞に堪えるかというと、かなり疑問です。
優れた児童文学やジュヴナイルは大人の鑑賞にも堪える、むしろ大人こそ見るべきであるケースが多く、宮崎アニメなどはまさにそうした名作でした。しかし、この映画は、海千山千の大人から見ると、いろいろ物足りないところが多いのです。
たとえば、ヒロインが村の人々を救うために、どうやって町長である父親を説得したのかがまったく描かれていません。あの状況では、彼女は父を説得できないのではないか?
また、東京の人たちは彗星を美しいと言ってのんきに眺めているが、ヒロインの住む山奥の村はその美しい彗星のせいで危機に瀕している。これは東京のような都会にとって山奥の小さな村はどうでもいいという現実への批判にもつながるものですが、この映画はそうした都会対田舎のような対立を描こうとしません。東京は田舎の高校生のあこがれの場所、田舎はファンタジーの世界のように描かれます。町長と土建屋のつながりが前半で暗示されるのに、後半でそれが生かされることもありません。
おそらく時間の関係などで十分に描くことができなかったということもあるとは思いますが、大人の視点で見たとき、あまりにも物足りないと感じる部分が多いのも事実です。
風景の美しさが評価されていますが、日本のアニメは予算が低いので人物をあまり動かすことができず、その分、背景に凝るという感じで、私にはこの絵の部分も物足りなかったです。
と、きびしいことを書いてしまいましたが、大人の鑑賞に堪える本当の傑作になる可能性を秘めているだけに残念だと思います。
その後、2回追記しました。
http://sabreclub4.blogspot.jp/2016/09/blog-post_78.html
http://sabreclub4.blogspot.jp/2016/10/blog-post_13.html