下でさんざんけなしてしまった「美女と野獣」ですが、ツイッターで面白いツイが。
「「美女と野獣」、「見た目はともかく心が美しければ」という話ではなく、「見た目はともかく趣味が合えば」という話なので…」
いや、まったくそのとおりです。
ベルはがさつなガストンが嫌い。
野獣も最初はがさつで怖い人だと思ったら、すごい蔵書の持ち主で、シェイクスピアのセリフをそらで言えて、ベルが読んでたような白馬の王子を期待するおとぎ話ではなく、もっとレベルの高い本を読めよとか言ってくるのです。
その上、図書室の蔵書がほしければあげるよ、と。
もともと「美女と野獣」にはファザコンのテーマがあって、父親べったりのベルが野獣と出会って父親を卒業という女性の旅立ちのテーマがあるのですが、ディズニーのはどうもその辺スルーっぽい。
この野獣が読書家で、本という共通の趣味があり、2人は急接近、という設定はよいと思うのですが、これもすばらしい展開にはなってない。いつのまにか立ち消え。
やっぱ脚本悪いんですね。
野獣が地図を広げて、好きなところへ行ってみなさい、と言い、心の目で見てみよう、と言うのは「ルドルフとイッパイアッテナ」に似たシーンがあったのですが、「ルドルフ」より前に前例があったのかな?
本に関しては、「ルドルフとイッパイアッテナ」の方がずっとうまい使い方でしたね(原作のおかげだけど)。
まあ、あのシーンでは一瞬、野獣がイッパイアッテナに見えましたけど(「ルドルフ」去年の映画だからディズニーがまねしたなんてことあるかな?)。
「君の名は。」について、最近新たにわかったことがあったので、近々書くつもりです。
あと1回見ると「ルドルフとイッパイアッテナ」の回数に並びます。
追記
ディズニーの「美女と野獣」は野獣が王子に変わると女性はがっかり、という話を知り、実際、そうツイートしている人を見て、へえほうと思いました。
アニメの方のファンがそうらしいけど、今回の実写でもそういう感想が出てるらしい。
確かにディズニーの野獣はペットのようで、ペットが大人の男性になるといや、という女性心理わかる。わかるけど、これって、女性が子供のままでいるってことでは?
フェミニズム的に言えば、男性はペットのようでいてくれた方が女性は幸せということで、これもわからんでもないけど(でも、フェミニズム的に正しいかは不明)。
つまり、ディズニーの「美女と野獣」は父親べったりのファザコンのベルが、ペットのような男性に目覚める話?
コクトーの「美女と野獣」や最近のフランス映画の「美女と野獣」では、明らかに野獣のときよりジャン・マレーやヴァンサン・カッセルになったときの方が魅力的だった。野獣もペットのようではなかった。
しかし、今回のディズニーの実写「美女と野獣」は最後に出てくる王子は確かに魅力がない。野獣に変わる前の王子は邪悪な表情をしていて、野獣のあとの王子はよい人の顔になっていたが、魅力的な王子ではなかった。
いっそ、王子になった野獣を見てベルは恋が冷め、去ってしまい、という結末の方が本当はあってるのか(それじゃ受けない)。
野獣だけは呪いが解けるのが間に合わず、ベルは野獣と幸せに暮らしましたとさ、というのがいいのか(ファンはそう思ってそう)。
この辺、やっぱりディズニーの限界っていうか、中途半端。
つうか、野獣がペットみたいだからいいっていうんだったら、結局、見た目じゃないか。