有楽町まで行かないと見られないと思っていたケン・ローチの「わたしは、ダニエル・ブレイク」。運よく近場のシネコンで始まったので、見てきた。
イギリス労働者階級や貧しい人々を描き続けるローチらしい作品だが、今回はイギリスの生活保護のような制度の水際作戦ぶりがすごいのでいちいち驚いた。
日本の生活保護も水際作戦と称して、保護が必要な人をあの手この手で追い返すのだが、この映画を見ると、日本のやり方は「風俗で働け」とか、書類を受け取らないとか、いやがらせや法律違反に類するやり方のようなのだが、この映画に描かれる水際作戦は、電話がなかなか通じないとか、書類はパソコンで作成して送信しないといけないとか、スマホで動画を撮らないといけないとか、職員は手続きする人を助けてはいけないとか、手の込んだ、制度化された水際作戦なんである。
主人公のダニエル・ブレイクは優秀な大工だが、心臓病を患って、医師から仕事を禁じられている。だから日本の生活保護にあたるものを当然受けられるし、実際受けていたのだが、いきなり打ち切られてしまう。問い合わせようにも電話がつながらない、役所に行くと、打ち切りの通知の前に電話があったはずだと言うが、電話は来ていない。抗議するにはこういう段階を踏まないとだめだから、と、要するに、いろいろ面倒にして相手があきらめるのを待っているようなのだ。
しかたがないので失業手当のようなものをもらおうとするが、手続きの書類はネットにアクセスして記入し送信しなければならず、ダニエルはパソコンなどやったことがない。だからうまくできない。見かねた職員が助けようとすると、規則違反と言われる。隣人の若者の部屋でパソコンを借りてやっと送信できる。
とにかく生活保護みたいなのは埒があかないので、失業手当のようなものをもらおうとするが、求職活動をするのが条件。ダニエルはベテランの大工なので、雇おうとする人も出てくるが、心臓病で働けない。なので、求職活動をしているが仕事がないということで手当てをもらおうとするのだが、今度はその証拠をスマホで撮れとかなんとか。
まあとにかく、見ていて腹が立ってくる。パソコンやスマホがあるような恵まれた人しか助ける気がないのか、おまえら、と言いたくなる。
ダニエルは幼い子供2人を抱えたシングルマザーがひどい扱いを受けるのを見て腹を立て、彼女たちを助けるようになる。彼女は仕事を探しているが、仕事がなく、結局、風俗のような仕事をせざるを得なくなる。町には失業者があふれているようで、ダニエルがついにキレて、壁に怒りの落書きをすると、町の人々が拍手喝采する(この辺は日本と違うな)。
映画の流れを見ていると、ダニエルの心臓の病はどんどん重くなる一方のようだ。彼は早く仕事に復帰したいと思っているが、健康を回復するのはむずかしいように見える。
最後に、人間の尊厳についてのダニエルの言葉が語られるが、この映画は本当に、困った人が生きるためには尊厳を捨てて、役所の言いなりになり、奴隷になることを強いられる、ということを描いている。日本だけじゃないんだ、と思ったが、日本だと尊厳を守るために生活保護を受けず、餓死したり自殺したりする人が少なくない。一方、イギリスではダニエルのように人間の尊厳について主張する人がいる、そういう映画を作る監督がいる。後者のようにしなければ困った人は助からないのだろうと思う。ダニエルは自分のためにだけ戦ったのではない。
この映画を見て腹立たしかったのは、長年住んだ文京区から転出し、その後また文京区に戻って転入届を出しに行ったときのことを思い出したからだ。
区役所の窓口の若い女は私の転入届を受け取りたくない様子だった。
要するに水際作戦で、貧乏で年をとった人を転入させたくない、という雰囲気だったのだ。
もちろん、転入届を受け付けないのは法律違反であるし、すでに引っ越しているのに受け取らないわけにはいかないはずだが、おそらくこの女は生活保護の水際作戦の練習でもしていたのではないかと疑いたくなった。あるいは、そういうことをいつもやっていたので、転入届でもやっていたとか。
私は長年文京区に住んでいたので、文京区には税金を長い間払っていたし、住めばまた税金を払う身になるのに、その女は私を無職と決めつけて、いろいろ文句を言って転入届を受け取ろうとしなかった。なぜ私を無職と決めつけたのかは理解できない。無職ならアパートを借りられないだろう。やはりあれは生活保護の水際作戦の練習だったのだろうか。
文京区を出てからまた戻るまでに住んだ西東京市も、転入のときに、やはり、貧しくて年をとった人には来てほしくないといった感じを受けた。ただ、文京区のような失礼な態度ではなかったが。
現在住んでいる町では、転入のときにそういうことはまったくなかったが、東京都の、特に区部やその周辺では金持ちと若い人しか入れたくないということを露骨にするような風潮があるのではないかと思った。
もっとも、文京区役所はひどい、という話をほかでも聞いたのだけど、その話では介護保険を利用しようとしたら相当ひどいことを言われたのだそうだ。「じゃあ、死ねばいいんですか」と言ったら、「そうです」と担当者が答えたらしい。
と、書いてきて、やっぱり日本の方が職員の人間性が出まくりの水際作戦だなあ、それに比べるとあの映画の水際作戦は職員の人間性とかじゃなくてシステムだよなあ、と思った。
でも、まあ、いやなことを思い出してしまいました。
さて、そのシネコンでは「わたしは、ダニエル・ブレイク」が終わった20分後に「君の名は。」が始まるので、また見てきてしまった。
「夜明け告げるルーのうた」のルーの声が四葉の声の人なのだ。この子もうまい。
「君の名は。」はそろそろ終了の映画館が増えるようなので、あともう一度、と思って見てきた。
瀧が最後に三葉の中に入ったとき、朝目覚めたときから髪が短くなってるけど、前の晩に切ったのだろうか。また、三葉が高い山から短時間で下まで降りて行けるのも考えてみれば変なのだけど、このあたりは今回までは気になっていなかったこと。何度も見ている人は細かいところで整合性がないところをいくつも見つけているようです。