「夜は短し歩けよ乙女」に続く湯浅政明監督のアニメ「夜明け告げるルーのうた」の試写に行ってきた。
どっちも「夜」の字から始まるタイトル。
「夜は短し」は春夏秋冬4つの季節からなる原作を一夜のできごとにしたのが秀逸で、しかも一夜の中に春から冬までの季節がちゃんと入っている。先日、原作を読んだけど、実にうまい映画化だなあと感心した。
そして「夜明け告げるルーのうた」はオリジナル作品。
こちらは海辺の町を舞台に、人魚と少年たち、町の人々との交流や対立を描く。
舞台となる架空の町、日無町は海に大きな岩がそそりたっているので日当たりはあまりよくない。そのかわり、太陽の光にあうと燃えてしまうというドラキュラみたいな(?)人魚たちが住んでいる。
家族を人魚に食われたと思い、人魚を憎んでいる老人たちがいたり、人魚が好きで人魚の遊園地を作った人もいる。しかし、時は流れ、人魚は伝説の存在になり、人魚遊園地も廃墟と化し、細々と漁業を続けるだけの町になっている。
主人公カイは東京育ちだが、両親の離婚で父親と一緒に父の故郷である日無町に来た中学生。
こういっちゃなんだが、このカイという主人公がけっこういやなやつなのだ。
芸能界で成功したらしい母親が家を出てしまい、母を恨んで、母からの手紙を読もうともしないカイは、学校でもまわりとうちとけず、笑顔を見せることもなく、進学する高校について考えることもない無気力な少年。ところが彼が音楽をやっていることがネットでわかり、バンドをやっている少年少女から誘いを受ける。
で、いやいやながらバンドに参加するカイなのだが、ボーカルの少女が歌が下手だとかいろいろケチをつける。いかにも東京でレベルの高いものに触れてきて、田舎のレベルの低さ、それをわからない相手にイチャモンつけてる感じなのだ。
そこに現れたのが人魚の少女ルー。ルーは人間と友達になりたくてカイにアプローチ、バンドにも加わる。その様子が人の目に触れ、ルーは大人気となるのだが、ボーカルの少女はルーに嫉妬、カイはそんな彼女をなじり、という感じで、カイのいやな部分と少女のいやな部分がぶつかって、かなりいやな展開に。その上、人魚に家族を殺されたと思っている老人たちや誤解した人々がルーを窮地に追い詰める、というような話。
まあ、とにかくルーはかわいいのだが、カイと少女はいやな子に描かれていて、でも、やがてこの2人が反省していく過程と、人魚が実は人間を助ける存在だということがわかってくる展開がクライマックスになる。
「夜は短し」は90分余りの短い作品で、そこにさまざまな物語がぎゅっと詰め込まれて面白かったのだが、「夜明け告げるルーのうた」は2時間近くと長い。キャラクターデザインはそれぞれ別の人だが、湯浅監督の作家性はものすごくよく出ていて、キャラデザが違っても表現や世界はまったく同じ人の作品だとわかる。「ルーのうた」もまた、奇想天外な発想や独特の絵が面白いのだが、こちらは「夜は短し」に比べて長いのでちょっと疲れる。ストーリー的にも少し破綻しているような、人物もややありきたりなところもあるというか、ルーを目の仇にする男(少女の父)が「ひるね姫」の悪役に似ていたりとか、もう少しなんとかならんかと思うところもある。
登場人物についても1人1人きちんと描こうとしていて、そこはいいのだが、やっぱりちょっと時間が長くて盛りだくさんだと疲れるなあ、もう少しそぎ落としてもいいのでは、という気がする。
一方、人魚についてはいろいろと面白い設定がある。ルーの父親の人魚とか、犬を人魚にしてしまうとか。
人魚といえば、この映画の人魚は西洋の人魚ではなく、日本の人魚をもとにしているようだ。
「ルドルフとイッパイアッテナ」の原作者・斉藤洋の絵本に、「うみのおばけずかん」というのがあるが、ここに出てくる日本の人魚は恐ろしい姿をしている。「ルーのうた」でもこの怖い人魚の絵が出てくるシーンがある。斉藤洋の本によれば、日本の人魚はきれいな女性の姿をして男を引き寄せ、男が近づくと怖い人魚に戻って襲うのだそうで、作者の結論は「うみべできれいなおんなのひとをみても、ちかづかないように」とのこと。
「ルーのうた」の人魚も出発点はそこで、でも、ほんとうは違う、というふうになっているところもとても面白かった。