3週間以上前に見た「ノクターナル・アニマルズ」。原作と違うので、原作再読してから書こうと思い、8月下旬に原作再読し終えたのにまだ書いてない。ああ、もう9月。でも必ず書く(誰も待ってないと思うけど)。
さて、例の「このハゲー!」で一躍有名になった豊田真由子議員。が、今やすっかり忘れ去られているようだが、最近、この豊田議員についてちょっと考えることがあった。
東大合格率を誇る名門女子高からストレートで東大法学部に入り、その後も順調に出世して議員になった豊田氏。が、秘書へのパワハラで一気に有名になり、自民党を離党。
そのときに「彼女のために」とフォローした人が2人いて、1人は自民党の男議員で、「男にはあんなのいっぱいいる」と、全然フォローになってなかった。
そしてもう1人、こっちの方が断然話題になったのだけど、それは豊田議員の女子高時代の「親友」と名乗る女性。高校時代は豊田議員と2人で男漁り、私たちは頭がよくて美人で男にもてた、と書いて、あまり美人とは思えない2人の高校時代の写真が出ているのがイタイのだが、こちらの自称「親友」の方は豊田議員と同じく現役で東大法学部に入ったものの、その後は就職もせず、2人の差はかなり開いてしまった模様。
そんな豊田議員を「あまり責めないでください」と言って書き出したブログの内容が、どう見ても豊田議員を貶めているだろう、てな内容で、この人、ずっと、出世した豊田議員に嫉妬していて、いつかこういう文章書いてやろうと考えていたんだろうな、という感想が出るほどであった。
それで豊田議員に対する同情が少し出てきたので、結果として豊田議員を救ったことになる?わきゃないのだが、ネットでは「バカにかばわれるとろくなことがない」とまで言われた(バカにはあの男議員も含む)。
で、最近、あ、私、今、豊田議員になってるかも、と思うようなことがあったのだ。
それは8月下旬に書いた記事「教員免許」の後日談なのだが、いったんは再試験しないことで合意した教務課が、そのあと、やはり再試験しろと圧力かけてきたので、ついにキレたのである。
以前からこの大学からはさまざまなハラスメントを受けていたが、それは最後の藁であったのだ。
メールのやりとりしかしていないので、豊田議員のような脅し文句をえんえんと言う、などということはないが(実際、脅し文句は言ってないが、かなりきつい文面のメールになった)、それでも、豊田議員が秘書を怒鳴りつけた理由が少しわかった気がした(ミュージカル調はわからんが)。
実際、豊田議員の秘書はずいぶんヘマをやっていたらしい。
が、なぜ彼女のまわりにはそんなダメな秘書がいるのか?
週刊誌などによると、豊田議員は性格が悪いので秘書が次々やめていくのだと。
だからダメ秘書しか残らないのだ。
私の場合、その問題の大学は教職員のレベルが非常に低い。
10年ほど前に非常勤講師を始めた頃は職員も有能、教員も活躍している人がいて、悪くなかった。が、その後、有能な人からどんどんやめていく事態になり、今や職員が一番無能、次が教員、一番まともなのが学生になっている。
偏差値が10年ほど前は40くらいだったのが今は35に落ちているので、学生の質も落ちているが、それでもまともな学生の方が多い。ただ、前期の試験のとき、これまで一度も起こらないトンデモなことが次々起こったので、やはり学生もだめになっているのかもしれない。ただ、このトンデモなことは専任の教員が私とともに見回りしているときに起こり、私から見てこの専任が学生にばかにされていると感じたので、教員の質の低下と関係しているのかもしれない(私1人が見回りをする他の試験ではこういうことは起こっていない)。
上で、職員が一番無能、次が教員、と書いたけれど、教員が出てきて説明すべきところに教員がまったく出てこないので、実は教員が一番無能なのかもしれない。教員の無能を職員が肩代わり、というか、どっちも同じ程度に無能なのだろうな。ほんと、学生の方がマシな大学。
というわけで前からイライラカッカすることが多い大学だったけれど、今回ほんとに最後の藁で、キレまくった。そして豊田議員のことが頭をよぎり、彼女の秘書が無能なのは彼女に徳がないからそういう人しか残らないのだ、と思ったら、こういうひどい大学しか仕事がないのは私に徳がないからだ、という思いに至ったのだ。
翻訳などの仕事を探してもうまくいかない、能力は認められても「あなたに出せる仕事がない」と言われてしまう。それは徳がないからなのだろう。
まあ、今更徳を作るったってどうしようもないのですが(おっと、作るじゃなくて積むものですね、だからすぐにはできない)、少なくとも、あの大学のようなひどいところと縁を切るようにしないと、自分の中にどんどん悪いものがたまっていくだけなのだと思った。
後期は授業がなく、収入もゼロになるが、契約期間は年度末までで、3月頃に4年生の再試験申請に対応しなければならないからまだ縁は切れないけれど、もう二度とあの大学の最寄駅に行く必要はないんだ、あの大混雑のスクールバスに乗る必要はないんだ、時間割に私の授業が載っていなくてそれについて問い合わせても返事が来ないこともないんだ、明らかに向こうのミスなのにこっちのミスにされることもないんだ、DVDを見せようと自腹でツタヤから借りてきたのになぜか教室からAV機器が消えていて、職員がそれについて説明も対応もしないということもないんだ、他大学にはないような圧力を次々とかけられることもないんだ、と思ったら心が晴れた。
残念なのは、映画を使った英米文学の授業が一部の学生には人気があって、授業終了後に意見や質問を言ってくる学生、いつも真剣に聞いている学生、試験の答案がすばらしい学生が常に一定数いて、それが励みになっていたことだ。この喜びが失われることだけが少しさびしい。ただ、「教員免許」の記事で書いたような変化が起これば、もう同じ授業はできないので、これまでと同じ喜びはもう期待できないだろうから、ちょうどいい区切りなのだと思う。