先週だったか、沼田まほかる原作の映画「ユリゴコロ」と「彼女がその名を知らない鳥たち」の試写をハシゴできる日があった。
前日までは行こうと思っていたのだが、試写状の文章を見るとどちらもイヤミスみたいな雰囲気。調べてみると、原作者の沼田まほかるはイヤミスの女王と呼ばれている。
うーん、やっぱやめよ、と思って、かわりに「パーティで女の子に話しかけるには」と「永遠のジャンゴ」のハシゴをした。前者はイギリス映画、後者はフランス映画。
「パーティ~」の方はSF仕立ての青春もので、最後はほろっとさせる、なかなか面白い映画。ただ、男の子たちの女性差別っぽいところは気になる。
「永遠のジャンゴ」はジプシーのジャズ・ギタリスト、ジャンゴ・ラインハルト(レナルトが正しい発音のようだ)のナチス占領下のフランス時代の物語。ナチスはジプシーも迫害、虐殺したのだが、ジャンゴは社会問題にはあまり関心がないが、やがて巻き込まれていく、という、フィクションの部分もかなり入っているらしい映画。脚本家として有名なエチエンヌ・コマールの初監督作だが、演出がイマイチで盛り上がりに欠けるし、全体として何が言いたいのかわからない映画になってしまっている。「ロダン」や「ル・コルビュジエとアイリーン」と同じく、どうも最近の有名人伝記ものはイマイチだ。試写状もらって行けなかったセザンヌとゾラの映画はどうなんだろう。
このほか、ドキュメンタリーの「猫が教えてくれたこと」や「ヒエロニムス・ボス」も試写で見たのだけど、猫好き、ボス好きの私としてはどうも物足りない。「猫が~」はトルコの映画で、猫の多いことで有名で写真集にもよく取り上げられるイスタンブールの猫が主役。猫に演技させていないところが好感が持てるのだが、ちょっと飽きるところも。「ヒエロニムス・ボス」の方はプラド美術館の「快楽の園」を美術家やアーティストたちが絵を見ながら語ったり、赤外線で下絵を見せたりするのだけど、ボスの絵が好きな人にはかなり物足りないのではないかと思った。絵に対する有名人の意見とか、あまり面白くないし、赤外線で見えた下絵も別に大発見という感じでもない。「猫」よりもこっちの方がかなり飽きてしまった。
さて、沼田まほかる原作の2本は、「ユリゴコロ」は試写終了でもうすぐ公開。「彼女がその名を知らない鳥たち」はまだ試写があるけれど、とりあえず原作でも読んでおこうかと思い、本を買って読んだ。
読み始めてすぐに、この作家の描写力に舌を巻いた。
50代半ばで初めて書いた長編小説で文学賞を受賞、「彼女が」は第2作にあたるそうだが、新人の作とは思えない。
前半はミステリーでもホラーでもサスペンスでもないので、これは普通の人間ドラマなのかな、と思っていたら、後半に入るとミステリーやサスペンスに変わる。
正直、前半は描写力はすごいけどこのままこの調子じゃなあ、と思っていたが、半分を過ぎたら俄然面白くなった。
前半も面白いし読ませるのだが、筋が動かない感があった。登場人物はイヤなヤツばかりだが、なぜかそれほどイヤな感じはない。主人公の男女、十和子と陣冶が基本的に善人だからではないかと思う。陣冶は不潔でだらしない男だが、なぜか憎めない。最後まで読むと、「ノートルダムのせむし男」のカジモドみたいな男だとわかる。十和子も陣冶の金で暮らしているのに彼をいじめてばかりいるが、そのわりには2人はいいコンビのように見えるし、十和子の心情も理解できる。
十和子と不倫関係になる脇役の2人の男は逆にひたすら自分勝手な悪人で、妻とうまく行っていないと言って不倫をするあたり、この手の男のいやらしさがよく出ている。なぜかこういう男の方が見かけがいいというのもなんとなくわかる。
後半、急にミステリーになり、最後はファンタジーのようになっていくが、ラスト、陣冶は実在した人間なのだろうか、という疑問が浮かんだ。実在した人間でないと辻褄が合わないのだが、それでも彼は超自然の存在のように見える。
とにかく文章力、描写力、そして人物の造型のみごとさに舌を巻いたのだった。
「ユリゴコロ」とあと2作、図書館に予約したらすぐに本がそろったみたいなので、週末はイヤミス女王三昧になりそうだ。