2019年1月28日月曜日

「天才作家の妻 40年目の真実」(ネタバレ大有り)

日曜日は夜、わざわざ柏の葉まで出かけて「天才作家の妻 40年目の真実」を見る。
この映画、MOVIX亀有でさんざん予告編を見たので、てっきり亀有でやると思っていたら、やらない。公式サイトをチェックしてMOVIX柏の葉でやると知り、しかも土日は2番目に大きなスクリーンで上映するので、急遽、日曜の夜に出陣。
が、350席くらいあるのにお客さんたったの7人。
うーむ、おそらく、最初の土日は大きいハコで上映するという条件を出したので、土日は混む亀有は手を引いたのではないか? 柏の葉は日曜でも閑散としていたし。

さて、グレン・クローズがゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞し、ついにオスカーもとるかとの期待のかかる「天才作家の妻」。ネタバレ大有りで行きますので、注意してください。

監督はスウェーデンのビョルン・ルンゲで、映画もスウェーデン、イギリス、アメリカ合作となっている。確かに地味なヨーロッパ映画の雰囲気で、特に最初のあたりはちょっとだれる感じで、このまま最後まで行ったらどうしようと思っていたら、途中から俄然面白くなる。
ノーベル文学賞受賞の知らせに喜ぶ作家ジョゼフとその妻ジョーンだが、その喜びの中にも複雑な表情を見せるジョーン。ジョーンを演じるクローズの表情演技がいろいろと意味深で、このあたりの演技が評価されたのだろう。思い出したのは「ネットワーク」でわずか5分の出演でアカデミー賞助演女優賞を受賞したベアトリス・ストレイト。ウィリアム・ホールデン演じる夫から愛人がいることを告げられ、最初は悲しみと怒りを見せるが、最後には夫を許し、別居に応じる。大学の授業でこの映画を取り上げたとき、ストレイトがわずか5分の出演でオスカーをとったことを知らせてこのシーンを見せたら、学生たちが最後の小レポートでみごとな演技分析をしてくれたのには驚いた。
大学で創作を教えていた教師のジョゼフは学生のジョーンと不倫、妻と別れて彼女と結婚するが、大学はクビ。ジョゼフは小説のアイデアやストーリーを考える力はあるが、それを小説として完成させるのが下手。一方、ジョーンは小説を作り上げる能力は高いが、書くべき物語を持っていない。そこで、ジョゼフのアイデアとストーリーをもとにジョーンが小説として仕上げ、ジョゼフの名で出版してきたのだった。
スウェーデンといえば、あの小説「ミレニアム」の舞台だが、「ミレニアム」は作者とパートナーの女性の合作というか、パートナーもかなり大きな役割を担っていたらしいという説を思い出した。しかし、パートナーには作品に対する権利が認められず、もめたとかいろいろ。
ストックホルムの授賞式に赴く夫妻と息子、ジョゼフの小説は妻が書いているのではないかと疑う記者が彼らにつきまとう。一方、浮気性の夫に長年悩まされた上、受賞に関しても夫からないがしろにされている妻はしだいに怒りを募らせていく。
前半では回想シーンをまじえながら、才能のあるジョーンがなぜ作家になろうとしなかったかが描かれる。書くべき物語を持っていないこと、表に出たがらない性格、そして、文学の世界では女性は不利であり、また、出版社はこういう作家を売りたいと決めているということが出てくる。
ジョゼフとジョーンはアメリカ人だが、アメリカ文学というのは確かにそういうところがあると感じる。
もうやめてしまったけれど、某私大で数年間、英米文学入門をやっていて、イギリスとアメリカの代表的な作家と作品を紹介していたのだけれど、20世紀前半くらいまでだとイギリスに比べてアメリカはメジャーな女性作家が少ない。イギリスなら18世紀末にゴシック小説のアン・ラドクリフ、リアリズム小説のジェーン・オースティンが登場し、19世に入るとメアリ・シェリー、ブロンテ姉妹、エリザベス・ギャスケル、ジョージ・エリオットと、小説でお金を稼ぐことのできた女性作家が次々と登場。イギリスも女性は男性名を使ったり、匿名で出したりと、女性は不利だったのだが、それでも同時期のアメリカに比べたら女性は活躍していたと思える。
ところがアメリカだと19世紀はケイト・ショパンという人がいて、そのあと、エンタメ小説で活躍した「若草物語」のルイザ・メイ・オルコットがいて、ええと、ええと、って感じ。エミリー・ディキンソンは詩人です。
やっぱりアメリカ文学って、イギリス文学に比べると男性中心主義なんだなと思う。20世紀に入ってからもビッグネームは男ばっかりだし。
ジョゼフとジョーンが結婚した1960年頃はユダヤ系作家がブームで、出版社はユダヤ系の新人を求めていると知ったジョーンは、ユダヤ系のジョゼフに小説を書くよう勧めるが、ジョゼフは描写が下手、そこでジョーンがジョゼフのアイデアで小説を書くようになる。このあたりに、女性が不利、だけでなく、出版社が求めるタイプの作家が出やすいみたいなところが描かれている。実際、文学の世界ではユダヤ系はユダヤ系の話しか書けないので、もっと自由に書きたいユダヤ系作家がSFの世界に行ったということがあり、アシモフとかハインラインとか、当時のSF作家にはユダヤ系が多かった。まあ、いろいろと不自由なんだな、アメリカ文学(だけじゃないか?)。
そんなこんなで、最初は控えめな笑顔を装いながらも時折本音を垣間見せる表情をしていたジョーンが、ついに夫に怒りを爆発させる。
妻「1日8時間書いていたのは私なのよ」
夫「家事や育児は僕がやっていた。妻が天才で自分は主夫、だから浮気したんだ」
妻「あなたが浮気するたびに怒りをエネルギーにして作品を書いたのよ。これを書いたときは誰と浮気したんでしたっけ?」
夫「元ネタは僕だ。それは僕と僕の家族の話じゃないか」
てな感じで、妻のクローズと夫のジョナサン・プライスの丁々発止の演技がなかなかの見もの。2人の演技の相乗効果がすばらしい。
このあと夫は心臓発作を起こし、急死してしまうのだが、離婚まで言いだした妻がそこで突然、夫との愛を取り戻すあたりのクローズの演技が実に自然ですばらしい。
そしてラスト、アメリカへ帰るジョーンと息子。ジョーンはノートの白いページを開き、ひとりにんまりとほほ笑む。
そう、ジョーンには書くべき物語ができたのだ。
ジョゼフのかわりに書いていたとき、彼女には自分の物語がなかった。ジョゼフからは、君は東部の良家の娘で、苦労してない、みたいなことも言われる。それに対し、ジョゼフはユダヤ系で苦労してきたので、物語持っていたのだ。
しかし、今、彼女は書くべき物語を、自分自身の物語を手に入れた。夫の話をかわりに書いていた彼女は、これからは自分の話を、自分と夫の話を書くことができるのだ。

MOVIX柏の葉の2番目に大きいスクリーン、音響がとてもよかった。サラウンド感がかなりあって、波の音とか人のざわめきとかがまわりじゅうから響いてくるようだった。ヴァイオリンなどの弦楽器の音楽も美しい。このシアターで見れてよかったと思う。