土曜日にモデルナ2回目接種して、発熱は翌日だけだったのだけど、水曜まではなんとなく本調子でなかった。特に水曜は自律神経失調症が出て、かなりきつかったので例によってパブロンゴールド微粒を飲んだら、回復。
それで木曜は朝から元気だったので、映画に行くことにした。
片道徒歩35分なので炎天下では無理なテラスモール松戸のUC松戸。木曜は曇りで気温も低めだったので、久しぶりに出かけた。
「キネマの神様」はキネ旬の星取表だとかなり残念な出来みたいだったので、あまり期待していなかったせいか、思ったよりはよかった。
山田洋次は「家族はつらいよ2」以後はもう終わりかな、という感じだったので、その線で見れば別にがっかりではない。
ただ、過去パートに比べて現代パートがつまらないと思ったのは、私だけだろうか?
役者が悪いのではない。沢田研二のせりふや演技を見ると、ほんとはこれ、寅さんだよね、と思うし、志村けんの方が合ってたのはしかたないのだし、沢田研二に合わせて書き直すわけにもいかないのもわかるのだが。
過去も現代もコミカルな演出があるにもかかわらず、笑えないのもつらい。もっとコメディにした方がよかったのではないか?
それでも過去パートは昔の活動の時代の面白さがあるが、現代パートが面白くないと感じてしまうのは、「家族はつらいよ」2と3のつまらなさをそのまま引きずっているからだ。
「家族はつらいよ」1は、長年耐えてきた妻の怒りがストレートに描かれて新鮮だったが、2と3はすっかり保守的な、昔ながらの古臭い家族の絆になってしまっていた。この古臭い家族の絆をそのままやっているのだ。いや、「家族はつらいよ」2と3のほうがまだよかった気がする。
監督業に失敗したゴウは映画会社を辞めて岡山の実家の家業を継ぐことになり、淑子が後を追っていって結婚したことになっているが、そのゴウと家族はいつ東京に出てきたのか? 岡山でのゴウと淑子の暮らしはどのようなもので、そこからどうやってこの東京の暮らしに変わったのか、そのあたりがまったく不明。なので、ゴウが賭けで借金まみれになり、淑子が苦労したというのが実感を持って描かれない。
そもそも、脚本に難があったのだな。
また、新型コロナの時代を入れようとしたためだと思うが、2020年に78歳のゴウが若かった時代というのは、ゴウが23歳だとしても55年前なので、1965年。しかし、実際に描かれる過去パートは1950年代後半か、せいぜい1960年頃に見える。コロナを入れなければ、現代パートは少し前の時代ということにできたのだが。(1964年作の「シェルブールの雨傘」が出てきたので、60年代半ばの設定なのだと思うが、描かれる世界は50年代っぽい。)
また、コロナ禍の最後の部分、春の緊急事態宣言直前という設定だが、このシーンで主役たちがマスクをあごマスクにして会話をしているのが困ってしまう。ここであごマスクなはいだろう。マスクをしたままでの会話シーンはむずかしいのだろうが、それなら、まだみんながみんなマスクをしていなかった初期の頃にした方がよかったと思う。
ゴウの書いた脚本が「カイロの紫のバラ」のパクリなのもなんだか残念というか、もうひと工夫あってもいいと思う。オマージュとはとても言えないカッコ悪さなのだ。
エンドクレジットの歌が野田洋次郎作詞作曲で、これがまた「君の名は。」の三番煎じ、四番煎じみたいなのも悲しい。そういえば、「君の名は。」みたいな風景シーンがいくつかあったけど、野田洋次郎が主演の1人だから?
面白いところもたくさんあったのだけど、思い返すと残念なところばかりが思い出されてしまうのでした。