昨日は一日中、エリザベス女王の国葬を見ていた人もいれば、まったく関心ない人もいて、私は後者だけれど、深夜にネットでウィンザー城へのロング・ウォークを葬列が歩いているあたりを見て、そのあと、ウィンザー城での儀式をちょっと見た。
印象に残ったのは、この王冠と杓と玉、これがチャールズに受け継がれる。
一番印象に残ったのは、女王専属のバグパイプ奏者がバグパイプを奏でながら去っていくシーン。
王冠と杓と玉が棺から降ろされて前にある。その外を通る奏者。
この先の突き当りの壁の前で左を向いて画面から去っていく。
儀式が行われている部屋のすぐ外の廊下を去っていくのをカメラが映していて、この奏者を見ているのは廊下にいるカメラスタッフなどの一部の人と、その中継を見ている世界中の人々だと思うと複雑な気持ちがよぎる。
部屋の中にいる関係者には見られず、世界に中継されているのでそれ以外の世界中の人は見られるという不思議。
テレビとネットが発達していない時代だったら、この奏者は誰にも見られずに去っていくのだろう。音は聞こえているとしても。
その演出があまりにも映画的で、それがかえって、国葬のショーとしての部分を際立たせ、作り物を見ているような気分になった。ただ、儀式の最中のチャールズの表情だけが葬式の顔だった。
結局、国葬とは、国の威信とか政権の威信とかを見せびらかすのが目的なのだと思った。
それでも国民に愛された女王ならショーでもいい。国民の多くが反対しているAの国葬は陳腐な安物芝居にしかならないだろう。
エリザベス女王が亡くなって、唯一、残念だなあと思うのは、もう「女王陛下の007」とは言えなくなること。
ジュディ・デンチのMが最高のMだったように、ジェームズ・ボンドは女性に仕えるナイトがふさわしい。ここいらで「国王陛下の女性007」もありかな。でもそれだと女性が男性に従属するみたいでよくないような気も。