明日公開のイタリア映画「シチリア・サマー」を試写で見せていただきました。
明日公開なので、のっけからネタバレ全開で行きますので、注意してください。
1980年代初頭にイタリアで起きたゲイの少年カップルの悲劇をもとにした映画とのこと。舞台はイタリア、シチリア。
「理想郷」もそうだったが、この映画も冒頭のシーンに答えがある。
おじが10代後半の少年と幼い少年の二人と狩りをしている。ウサギを仕留め、幼い少年に死体を取ってこいとおじが言うが、少年は怖がって取りにいけない。ラスト近くで同じシーンが繰り返され、今度は幼い少年は死体を取ってくることができる。
10代後半の少年ニーノは花火師の息子。幼い少年は姉の子どものようだ。花火師の父と母、姉と甥と一緒に住んでいる。おじは採石場を経営。
もう一人の少年ジャンニは町に住んでいて、ゲイであることがばれたために周囲からいじめられている。母は男と同棲、その男の経営するバイク整備工場で働いている。
ニーノとジャンニはどちらもバイクに乗っていたときに衝突事故を起こし、それがきっかけで親しくなる。母の愛人が意地悪なので、ジャンニはニーノのおじの採石場で働き、のちに花火師としても働く。しかし、ジャンニがゲイであることがばれたために、悲劇が起こる。
オート三輪が出てくるような古い時代で(1980年代よりさらに古い時代に見える)、ゲイの矯正施設の話が出てくるから、同性愛についてまったく理解がなかった時代と地域なのだろう。
ジャンニがゲイなのが周囲にばれたのは、男性と性的な行為をしているのを目撃した女性がばらしたからであり、また、ジャンニとニーノの仲をニーノの母に告げ口したのも女性、そして、2人の行く末を心配するジャンニの母がニーノの母に二人の関係をばらしてしまうという、なぜか発端は女性。そして、事実を知った男たちがいじめや暴力に出る。
このあたりが現代が舞台の「怪物」とはまったく違うわけで、「怪物」では教師は理解するし、少年の母も事情を知れば理解しそう。もう一人の少年の父親だけがかたくなに拒否だったが、こちらはほとんどの人が偏見に凝り固まっていて(1人だけ理解者がいる)、ジャンニをいじめる町の人たちだけでなく、最初はいい人たちに見えたニーノの家族も彼らの敵になってしまう。
つまり、「怪物」では善人と悪人が役割分担みたいになっていたのに対し、こちらは誰でも偏見で悪人になるという、いわば「福田村事件」と同じ描写。
だから、ジャンニがニーノのおじが差し向けた男たちに暴力をふるわれたとき、助けるのは最初にばらした女性と、そして彼につらく当たっていた男たちなのだ。彼らも決して悪人ではない。
ラスト、二人が秘密の場所でこっそり会っているとき、2発の銃声が響き、2人が殺されたことを示唆して映画は終わる。
誰が犯人なのかを映画は言わないが、冒頭の狩りのシーン、採石場でのけじめを重んじる様子、ニーノを乱暴に問い詰める様子、そして、ジャンニに暴力をふるう男たちを差し向けたのがおじだとわかるシーンから、犯人はおじに違いない(実話ではどうか知らないが)。
狩りで男らしさを強調する彼は、採石場では危険なことをする従業員はすぐクビにするといった自分なりの正義の持ち主であり、その一方で暴力も辞さない人間だとわかる。
見るからに悪いやつ、やくざっぽい人間ではなく、むしろ、きちんとした人に見えた男なので、かなり衝撃的だ。
また、同性愛に不寛容な女性たちの描写も注目に値する。母親だからこそ心配し、悪い方に押しやってしまう。また、ニーノの姉は幼い息子にジャンニが手を出したのではないかと憤る。彼女たちの心配は同性愛についての無理解から来ているので、理解の推進が必要だということがわかる。
シチリアはマチズモの世界だから、ということはあまり強調されておらず、むしろ、普遍的な無理解から来る不安や怒りが悲劇を招いたように描かれているのはよかった。
だから、映画をよく見れば犯人はおじというふうに描かれているけれど、実際は、社会の無理解、教育のなさが犯人なので、2発の銃声の主をはっきりと描かないのはそのためだろう。