3月28日の初日に見に行ったのに、花見だなんだでいろいろあってなかなか書かないでいた「エミリア・ペレス」について。そろそろ書かないと忘れてしまうので、書こう。
見たのはMOVIX。前回が無料回だったのに気づかず、お金払ったので、今回が無料に。
TOHOシネマズが会員特典改悪で話題になっているが、MOVIXは年会費なし、6回見たら1回無料、誕生月にはクーポン、2か月以内に次を見ればリピーター割引と、シネコンの中ではかなり待遇がいい(109もいいらしい)。
一方、TOHOシネマズは今は6回見たら1回無料だが、これが来春から基本料金で6回見たら1回無料になるらしい。基本料金とは、一般、学生、子ども、シニアの料金のこと。それに加えて、コンセでの買い物の料金も無料回になる金額加えるとか。
つまり一般2000円の人は12000円にならないと1回無料にならないってことで、サービスデーの恩恵が減るのだけど、一般、学生、子ども、シニアって、どうやって分けて計算するんですかね? しかもコンセでの買い物の金額も加えるって、すごく複雑にならない?
この辺、これから考えるのだろうけど、なんか混乱必至な気が。しかも年会費値上らしい。
そして、マイレージが今秋になくなるんだそうな。あれでドリンクとかもらってたんだけど、残念。
私が入会しているのはTOHO、MOVIX、ユナイテッドシネマ(UC)の3か所で、UCは年会費600円と高いけれど、シニアがいつも1100円なのでお得。前は600円分の何かくれた気がしたんだけどね。
困るのは、TOHOが改悪したあとに他のシネコンが同じことするようになること。TOHO改悪で客が他のシネコンに流れてくれるのならよいけど。それと、TOHOはどこかに入ると割引とかたくさんやってるけど、その恩恵が一般料金の人にはあまり恩恵でなくなるので、その辺のことはどう思ってるのだろう。
と、話がそれましたが、
女の生きづらさを描く映画「エミリア・ペレス」
メキシコの麻薬王が実はトランス女性で、これまでそのことを隠して生きてきたけれど、性転換手術を受けて女性として生きたいということで、敏腕弁護士の若い女性リタにさまざまな手続きを任せる。妻と息子たちには自分は死んだことにし、安全のために妻子はスイスに移住させる。数年後、イギリスでリタはエミリア・ペレスとなった元・麻薬王に出会う。エミリアはメキシコに戻って息子たちと住みたいということで、またまたリタにさまざまな手続きを頼む。遠い親戚ということにして、メキシコで妻子とふたたび暮らし始めたエミリアだが……
冒頭、リタに女性として生きたいと麻薬王が話すシーンで、麻薬王は、心は女性であることを隠すために冷酷でマッチョな生き方をしてきた、という話をする。これがもう、この映画の核なんである。
以下、ネタバレとなります。
麻薬王は心が女性であることを隠すために非情で暴力的な人生を送り、人々から恐れられてきた。そして、手術で肉体も女性に生まれ変わることで本来の人生を生きたいと願う。
「私は、エミリア・ペレス」手術成功後、ブラをつけながら、彼女は言う。
肉体が女性になったエミリアはやがて妻子と同居。息子たちを溺愛するが、彼女が元夫とは知らない元妻ジェシーは不審に思う。
行方不明の息子を探す女性と出会ったエミリアは、メキシコでは行方不明者が多いことを知り、リタとともに行方不明者を探す団体を作る。その過程で知り合った女性エピファニアとエミリアは恋に落ちる。エミリアはレズビアンのトランス女性だったのだ(だから妻のことも愛していた)。
エミリアは女性として生きることで母性愛に目覚め、麻薬王だったときのつぐないをするかのように行方不明者の捜索に力を尽くす。
ここまではよい話なのだが、このあとが。
元妻ジェシーは息子たちを連れてエミリアの家を出て、恋人グスタボと暮らす、と知り、エミリアは手下を使ってグスタボを痛めつけ、ジェシーと子どもたちが出て行かないようにしようとするが、グスタボも黙ってはいない。逆にエミリアを誘拐し、リタに身代金を持ってこさせる。
この最後の部分が、最初の「マッチョな世界で心が女性であることを隠すために非情で冷酷な男にならなければならなかった」という麻薬王=エミリアの言葉とつながるのだ。
身代金を届けるリタは武器を持った精鋭部隊を集め、自分も銃を持つ。迎えるジェシーも銃を持つ。女がマッチョな世界を生きるには、銃が必要なのだ。(この論理が男性の論理だという批判は当然あるだろう。)
いや、その前に、行方不明の夫が見つかったと知らされたエピファニアがナイフを持ってエミリアのところへ行く。エピファニアは夫のDVの被害者で、夫が生きていたら殺してやろうと思っていたのだが、夫は死んでいた。エピファニアの話を聞き、同情したエミリアとの間に恋愛感情が生まれる。
一方、エミリアは元妻ジェシーが元夫(自分)をどう思っていたかを聞く。エミリアが元夫とは知らない彼女は、夫がいやでも夫の元を離れることなどできなかった、そんなことをしたら殺されるから、と、麻薬王の夫を恐れていたことを話す。相手が女性のエミリアでなかったら、ジェシーは本音を言わなかっただろう。
この2つのエピソードは、麻薬王だったエミリアが、女性がいかに暴力的な夫を恐れているかを初めて知る場面だ。
こうしてエピファニアはナイフを持ち、リタとジェシーは銃を持つ。どちらも男根の象徴なのは言うまでもない。ポスターには2丁の拳銃をハートに収めた図柄が描かれている。
マッチョな世界では、女が女でいられない、銃やナイフという男根のかわりを持つしかない、ということをこの映画は告げているのだ。
クライマックス、誘拐されたエミリアがジェシーに自分は元夫だと告白し、2人の間に愛がよみがえるシーンがいい。その結果、ジェシーはグスタボと戦い、悲劇になってしまうのだが。
ラスト、行方不明者の捜索に尽くしたエミリアが聖人のようになるが、聖人でもなんでもない、普通の俗人だったことを映画はさんざん見せつけているので、これは皮肉だろう。
ミュージカル仕立てにしているのもいい。映画の冒頭、リタは被告が殺人を犯したとわかっていながら、金や権力の圧力で無罪のための弁護をする。メキシコのこうした暗部を、ミュージカルシーンで表現していて、ストレートに表現するよりもある意味、効果的だ。
リタは最初、野暮ったい女性として登場し、その後はおしゃれもしているが、あまり性を感じさせない雰囲気で、恋人もいない。いわゆるアセックス、性に関心のない人で、それが傍観者としてうまく機能している。演じるゾーイ・サルダナは歌もダンスもうまく、配役順もトップで、事実上の主演なのだが、タイトルロールのカルラ・ソフィア・ガスコンが主演扱いなので、アカデミー賞は助演女優賞受賞となった。
ラスト、エミリアの2人の息子を迎えるリタは、少年たちをどのような男性にできるのだろうか?