2025年12月26日金曜日

「英子の森」という小説を読んだのですが

 あまりのジェネレーションギャップにのけぞり返りながらとりあえず最後まで読了。


なんじゃ、この小説。

英語を活かせる仕事って、私の時代は次の2つでしたよ。

1 中学高校の英語教師になる。

2 外資系企業に就職する。

翻訳家になる? そんなの、ちゃんと就職して生計を立ててから、余暇に翻訳の仕事をして、軌道に乗ったら専業になるのですよ。それでも、出版翻訳家は食うのが大変な時代。1970年代です。

通訳は、同時通訳がもてはやされるようになっていたかもしれない。

私は教育学部出身ですが、同期で英語やってた人は、大部分が中学高校の教師になり、一部、教師になりたくなかった人が専門学校で英会話とタイピングを学んで外資系に就職してました。ワープロ、パソコンがなかった時代、タイプライターが打てる人は貴重だったのです。

私が10代の頃は1ドル360円で固定されていて、ハワイ旅行が100万円とか、そういう時代でした。海外旅行とか留学とか夢のまた夢。

1980年代になって円高になり、20代後半にはヨーロッパ旅行が30万円台とか、そういう時代になって、就職していた友人はパリへ旅行に行き、「私がパリにいるなんて信じられない」という感動の絵葉書を送ってきました。そういう時代。留学とか私費でできる人は相当なお金持ちの家の子どもで、大学院へ進んで研究者をめざしても、留学は大学に就職したらそこから留学できるという時代。就職できなければ留学も無理な時代。

それがいつのまにか、若い人たちが、卒業旅行でヨーロッパへ行ったとか、研究職に就くために私費で留学するとか、そういう時代になっていきました。

1990年代にコミケのような同人誌即売会で知り合った10歳年下の女性は、九州の化粧品の原料を輸入する会社に勤めていて、海外出張が多く、そこで英語を普通に使っていました。彼女は出身大学はあまり偏差値の高い大学ではなく、ただ、そこで学びたいことがあったのでそこを選んだのだそうで、そこは英語を専門とする学部ではまったくなかったようです。しかし、就職後には英語を活かす仕事に就けるだけの能力を身に着け、海外で活躍していたわけです。

英語を活かす仕事って、こういうものだと、私は思っていました。

「英子の森」の主人公は、英語を活かす仕事に就くということに執着しているけれど、中学高校の英語教師になろうとか、外資系企業に就職しようとか、海外に取引のある企業に就職しようとか、そういうことはいっさい考えたことがないらしい。夫に先立たれた母親がそれなりの資産があるので働く必要もなく、娘を大学にやり、その後は留学もさせ、専門学校にも通わせているけど、上に書いたような現実的な英語を活かす仕事に就かせることはさせなかったわけです。

主人公は英語をちょっとだけ使うアルバイトをしたり、翻訳学校に通ったり、幼児が対象の英語塾で教えたりしていますが、これよりましな英語を活かす仕事はいくらでもある。なんで、受験生相手の塾や予備校で教えないのか。TOIEC850点もあって、できないわけないだろう。翻訳だって、産業翻訳なら食える時代があった(今はむずかしそうだが)。

とにかく、この小説の英語を活かす仕事のレベルの低さに辟易する。

作者は1979年生まれ。私が学部を卒業して別の大学の院へ進学したのが1978年春。作者の世代がこの時代を知らないのはしかたないにしても、母親は知っていたはずだ。しかし、この小説に登場する母親は、その時代を生きたとは思えない。

1970年代半ば、当時唯一の通学制翻訳学校が四谷にあった。大学3年生のとき、そこに3か月通った。当時は文芸翻訳家になるには翻訳家に弟子入りするしか方法がなかったが、そこに通えば講師の翻訳家の弟子になれた。私は3か月で挫折してやめてしまったが、あの頃は翻訳家になるには自力で弟子入りして修行してデビューさせてもらうのが普通だった。翻訳自体、やりたがる人が少なかった。インターネットがない時代、翻訳でわからないことを調べるのはほんとうに大変だった。

それが変化し始めたのが1980年代。翻訳学校が次々とできて、そこから翻訳家が出るようになり、そして1995年、Windows95の登場でインターネットが普及し、調べ物が格段に楽になった。英語ができれば誰でも翻訳家になれる時代になったわけだ。

しかも80年代はバブル、90年代も前半はバブルの名残で、翻訳市場は活気があったと思う。

しかし、バブル崩壊、翻訳の仕事はどんどん減り、かわりに注目された産業翻訳も、今では単価が激安になって、かなりひどい状況らしい。

でもまあ、英語ができるだけではだめ、別のことができて、それに英語ができればいい、というのは、30年前からすでに言われていたのだけどね。

「英子の森」ですが、森の描写、登場人物が住んでいる家がヴァーチャルリアリティで森になっているみたいなんだけど、これ、レイ・ブラッドベリがずっと昔に短編小説にしてる世界とまったく同じ、しかも、ブラッドベリの小説の方がはるかに優れていた。

いろいろ残念な小説ですが、英語を活かすにだまされた人が多いので、それなりに受けているのでしょう。

追記の記事を書きました。

さーべる倶楽部: 「英子の森」についての追記:英語を活かす女性の仕事の変遷