2026年7月15日水曜日

「新凱旋門物語」これは好きな映画(ネタバレ大有り)

 17日公開の「新凱旋門物語」を試写で。


パリに建てられた新凱旋門(フランス語ではグランダルシェ)を設計したデンマーク人の建築家ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンを主人公にした映画で、原作は一応、小説となっているけれど、こちらはかなりノンフィクションらしい。が、映画は逆に実話をもとにしたフィクションに近く、映画の冒頭、スプレッケルセンの妻の部分はすべて創作だと断っているが、IMDBによると名前も変えているし、妻自身も夫は映画ほど不幸ではなかったし、フランス人の仲間ともうまくやっていた、と述べている。

また、映画ではスプレッケルセンは最初から最後まで無名だったみたいに描かれているが、グランダルシュの設計コンペに優勝する前からデンマークの建築界では知られた人物で、優勝したあとはかなりの有名人になったらしい。最初のデンマーク大使館の人も誰も知らなかったというのはほんとうらしいが、そのあとのエピソードは原作者がこういうシーンがあったらいいなと書いていることなのだ(原作、図書館ではあまり借りられてなくて、すぐ借りられたが、まだ5分の1くらいしか読んでいない)。

グザヴィエ・ドランが演じているミッテランの側近でスプレッケルセンの相談役ジャン・ルイ・シュベロンは建築家ジャン・ルイ・シュベローがモデルだそうで(IMDBによる)、映画と同じく当初からミッテランの計画に参加していたが、名前を変えて建築家ではない感じになっている。

というわけで、見たときはすごく感動したのだけど、いろいろ調べてみるとかなりフィクションだよこの映画となってきた。

ただ、フィクションとしてはとてもよくできているし、原作の訳者あとがきを読むと、映画に描かれた問題は実際にあったようだ。

というわけで、以下、ネタバレ大有りで。


コンペで優勝したスプレッケルセンは相談役のシュベロン、そして、コンペでは落選したがスプレッケルセンのアイデアに魅了され、協力を申し出た建築家ポール・アンドリューとともにグランダルシュ建築のプロジェクトを開始する。が、スプレッケルセンは母国では教会を4堂建てただけで今回のような巨大建築物にかかわったことはない。一方、アンドリューはパリの空港をはじめ、多くの空港を手掛けてきた有名な建築家なので、技術面での問題を指摘し、変更を求める。また、巨大建築物ではコンピューターによる計算が必須であることも言うが、スプレッケルセンはかたくなに自分の設計を変えようとしないし、コンピューターは断固拒否。そんなわけで、理想を貫きたいスプレッケルセンと現実的にプロジェクトを進めたいアンドリューやシュベロンとの対立が深まっていく。

物を実現するためには理想と現実のすり合わせは絶対必要なのだが、スプレッケルセンはとにかく妥協しない。また、彼の方が正しい場合もあり、スプレッケルセンのキューブのアイデアが気に入っているミッテラン大統領は彼を全面的に支持する。

前半ではこのミッテランの存在が大きく、このプロジェクトがミッテランだけの野望みたいに見えることもあり、ミッテランの野望とスプレッケルセンの理想主義がアンドリューたちの反論をかわして成功しそうに見えるが、その後、ミッテランの社会党が選挙で大敗、大統領はかわらないが政権は右派になり(後半、ミッテランはほとんど登場しない)、予算を大幅に減らされ、グランダルシュはスプレッケルセンの理想からはどんどん離れていく。そのことでいらだった彼は最愛の妻まで罵倒してしまい、このプロジェクトのために大切な愛や幸福を犠牲にしたと感じた彼はプロジェクトから降りる。

この映画を見ていて真っ先に頭に浮かんだのは、キング・ヴィダー監督の「摩天楼」だった。1940年代後半のハリウッド映画で、ゲーリー・クーパー演じる建築家もスプレッケルセンのような理想主義者で、自分の設計した巨大な建物が勝手に変更されてしまったのを知り、人がいない夜中に爆弾を仕掛けて爆破してしまう。その後、裁判にかけられた彼は理想主義を主張し、それが認められて無罪になる、という話。

この映画は原作者のアイン・ランドが思想的に問題のある人で、原作「水源」は彼女の思想を表した小説だから、それを知っていると手放しに感動はできないのだが、中学時代にテレビで初めてこの映画を見た私はものすごく感動した。いや、私だけでなく、年上の大人たちも感動していた。理不尽な圧力に負けず理想を貫く、そのことに感動してしまうほど、現実は理想が敗れることがあまりにも多いからだろう。

実は、今見ても感動するんだけど、さすがに爆破して無罪はないだろうとは思う。

「摩天楼」は徹頭徹尾、主人公の理想主義を支持していて、理不尽な圧力や不遇にもめげず、理想を貫いて最後には成功し、天上の高みに屹立する姿を描いている。また、この主人公は工場など大きな建築にも携わっていて、その建築美が世間にも認められるなど、スプレッケルセンとはそこが違う。

それに対し、「新凱旋門物語」のスプレッケルセンは理想を現実にするだけの技術面での知識が不足しているし、理想を貫こうとすることが必ずしも肯定的に描かれていない。むしろ賛否両面から描かれている。また、アンドリューやシュベロンもスプレッケルセンの設計は大いに認めていて、完全に対立しているわけではない。

「摩天楼」が理想主義の勝利を描いたのに対し、「新凱旋門物語」はその敗北を描いたのだが、この状況では敗北もしかたないか、という感がある描き方になっている。理想主義に殉じようとした建築家の悲劇なのだ。

そういう意味で、「摩天楼」とは違う意味で感動したし、同じくらい好きな映画だ。

スプレッケルセンはプロジェクトから身を引いたあと、建設中のグランダルシュを見に行き、そこで倒れ、数か月後に故国で亡くなる。映画では倒れたスプレッケルセンの手のひらに黒い犬が口を突っ込み、まるで何か口にふくんだかのようにしてグランダルシュの空間に消えていく。この犬はミッテランのところにいた犬なのか?と思ったが、犬が彼の魂をグランダルシュの中に運んでいったように見える。

そしてエピローグ。スプレッケルセンの墓を訪ねたアンドリューとシュベロンは墓が見つからないので掃除人に尋ねるが、彼はスプレッケルセンを知らず、貧窮者の共同墓地にあるのではないかと言う。そして、その人は誰かと尋ねられた2人は、「偉大な建築家だ」と答える。スプレッケルセンの墓は彼らのすぐそばにあるのだが、彼らは気づかない。

この最後のシーンもおそらく創作なんじゃないかと思うが、それでもこのラストはすばらしい。

完成したグランダルシュは映画には一度も姿を見せない。80年代にルーブル美術館のガラスのピラミッドとかこのグランダルシュとかができて写真を見たとき、こんな無粋なものをパリに作るなんて、と思ったし、今も思っているが、スプレッケルセンの設計どおりだったらグランダルシュはもっとすばらしく見えたのか、それはわからない。