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2025年4月23日水曜日

「JOIKA 美と狂気のバレリーナ」

 アメリカ人女性として初めてボリショイ・バレエとソリスト契約を結んだジョイ・ウーマックの実話をもとにした映画「JOIKA」。


「美と狂気のバレリーナ」という副題がついていて、惹句が「一線を超える、禁断の舞。」とかなってますが、全然そういう映画ではない。「ブラック・スワン」みたいな映画のようにして売ろうとしているけれど、全然違います。「狂気」とかはまったくない。

映画は前半がボリショイのアカデミーに入学したジョイ(タリア・ライダー)がボリショイ・バレエ団に入るまで。ダイアン・クルーガー演じる先生が「常人には理解できない脅迫的なレッスン」をする、と試写状に書いてあるけど、全然そんなことはなくて、普通にきびしい先生。「セッション」みたいな鬼教師ではありません。

先生はジョイの才能を認めていて、ボリショイ・バレエに入団させようとするのだけど、アメリカ人だという理由で拒否されてしまう。そこでジョイはボーイフレンドの男性ダンサーと結婚してロシア人になり、入団に成功、というのが前半。ボーイフレンドなので一応、愛情はあるんだけど、やはりボリショイに入るために彼を利用した、みたいなのが後半、影響してくる。また、ジョイの両親もそういう結婚には反対なのだけど、ジョイはとにかくボリショイで成功したい、その一心で邁進していく。

後半はボリショイに入ったものの、芽が出ないジョイは、プリマになるにはスポンサーがいなければならないと言われ、金持ちの愛人になる話が来るが、断ってしまい、そこから転落が始まる。で、そのあとはまたアカデミー時代の先生が登場していろいろあるのだけど、この先生にもボリショイへのわだかまりがあることがわかってくる。

この先生がバレエをあきらめた過去の話とか、「愛と喝采の日々」がちらりと思い浮かぶ。「ブラック・スワン」の母親もそうだったか。

ジョイがあこがれたボリショイのプリマが本人役で出演していたり、まわりの人たちもわりと善人だったり、ほんとうに悪い人はいなかったりと、ジョイ・ウーマックが監修してるだけあって、バレエ界をあまり悪く描かないようにしている感じはある。ダンサー同士の嫉妬と妨害とか、パトロンの愛人にならないといけないとか、そういう暗部は描かれるが、まあ、暗部というほどのことでもない印象。

そんなわけで深みとか凄みとかはないけれど、そこそこ楽しめる映画だった。

追記 この映画は英語圏の作品だけど、せりふはロシア語が多かった。「アノーラ」もそうだが、最近の英語圏の映画は無理に英語にしてしまわず、言葉のリアルを追求するようになったと思う。日本語のせりふの多い「SHOGUN」が受け入れられたのと同じ背景だろう。

2023年12月25日月曜日

フォークナーとかプーシキンとか

 今年もあとわずか。いろいろあったけれど、バルザックの「幻滅」、メルヴィルの「白鯨」、そしてプーシキンを読んだのは、私にとっては画期的なことだった。

バルザックは大学時代にフランス語で中編を読んだだけ。メルヴィルは同じころ、中編「バートルビー」を翻訳で読んだだけ。プーシキンは読もうとすら思わなかった。

それが、フランス映画「幻滅」を見てバルザックの長大な原作を読み、「ザ・ホエール」を見て「白鯨」を読み、そして今、プーシキンを読もうとしている。

正直、バルザックの長編、メルヴィルの「白鯨」、プーシキンは一生読まないだろうと思っていた。それが今年見た映画がきっかけで読み、年末になってあることからプーシキンに興味を持って図書館に行き、プーシキン全集を借りてきた。

借りてきたのは有名な「エヴゲニー・オネーギン」が入った巻。それ以外に「モーツアルトとサリエリ」という短い劇が入った巻があり、2巻借りるのは重いので、こちらは図書館で読んだが、とても面白かった。「アマデウス」よりいいんじゃないの?と思い、その場で2回読んでしまったほど。

というわけで、プーシキン全集の1冊と、ついでに借りた「森下洋子自伝」。森下洋子のバレエは「くるみ割り人形」と「眠れる森の美女」を見てるけど、80年代末で、もうだいぶ前だなあ。カードは図書館で配っていたもの。


このほか、遠方の図書館にある「プーシキンとロシア・オペラ」という本を予約して、それを取りに行ったついでに、たまたま目にしたマツモトキヨシ伝と、「野性の棕櫚」の入ったフォークナー全集を借りる。


マツモトキヨシ伝は松戸の話なので、郷土資料となり、千葉県立図書館では2冊が貸出不可、1冊が貸出可で、これを棚に見つけて借りた。マツキヨ創業者、元松戸市長の松本清の作ったすぐやる課はすごく有名で、リアルタイムで知っていた。

で、松戸市立図書館にはあるのかな、と思って調べたら、こちらは2冊あって2冊とも貸出不可。出た当初は借りる人多かっただろうけど、その後は借りる人がいなくてこれだけになってしまったのかな。貸出不可しかないのはきびしい。

そしてさらに調べたら、「マツモトキヨシ80年史」という本が市立図書館にあり、貸出可能だったので予約中です。

これはマツモトキヨシホールディングスが出した非売品なので、松戸市に寄贈したものでしょう。とはいえ、通販で売っているところがある。写真は通販サイトのものです。



「プーシキンとロシア・オペラ」は、これまでプーシキンに興味がなく、ロシア・オペラも興味なかったのだけど、プーシキン全集を見ていたら「金鶏」があり、リムスキー・コルサコフのオペラ「金鶏」はボリショイ劇場の日本公演を見たことがあったので、興味を持った。

ボリショイの「金鶏」を見たのは1989年。このときの演目は「ボリス・ゴドノフ」「金鶏」「エヴゲニー・オネーギン」の3作で(いずれもプーシキン原作)、有名で人気のある「ゴドノフ」と「オネーギン」にはさまれた地味な「金鶏」だけをなぜ見に行ったのか、さだかではない。「金鶏」はソ連時代にはあまり上演されず、ペレストロイカになって再評価された、というので見に行ったのかもしれない。

「金鶏」は3公演のうち、2回がベテランのソプラノ、1回が若手のほぼ無名のソプラノで、人と違ったことをする私はあえてこの無名のソプラノの回のチケットを買った(よい席がとれました)。

そして見に行って驚いた。この若手のソプラノ、歌もうまいし美人でスタイルもよく、へそ出しルックの衣装で歌い踊る。うおお、堅物ソ連のオペラとは思えん、これがペレストロイカか、とびっくりし、オペラもファンタジーで楽しく、とーっても満足。その後、この回を見逃したオペラファンのおじさんたちが悔しがったというおまけもついたのだった。

プーシキンといえばこの思い出しかなかったのだけど、これからいろいろ読みます。

そして、フォークナーの「野性の棕櫚」。この全集では「野性」ですが、ほかでは「野生」となってます。

「PERFECT DAYS」の中で役所広司が読んでいる3冊の本の1冊で、映画では大久保康雄訳の新潮文庫でしたが、すでに絶版。それどころか図書館にもほとんどない。私がカード持ってる図書館はどこもなかった。

戦後の時代、数多くの英米文学を翻訳した大久保康雄、実際は大久保工場と呼ばれる翻訳家集団で、大久保本人の訳だけでなく、大久保のもとに集まった優れた翻訳家たちが大久保の名前で訳していたようなのですが、その多くは新潮文庫に入っていたのです。ところが新潮文庫が新訳を次々と出し、大久保訳は絶版になり、図書館も新訳を入れるから大久保訳は一部を除いてどんどん廃棄になっているような気がします。

古い名訳は今の人には読めない、というのは事実なのですが、それでも歴史の遺産であるこうした名訳が国会図書館のようなところでしか読めなくなるのは悲しい。

実は映画に合わせるように、中公文庫が11月に加島祥造の古い訳を復刊して、そちらはあちこちの図書館に入ってますが、貸出中が多い。まあみんなこれ読むよね。

加島はフォークナーをほかにも訳していて、私が若い頃に読んだ3大代表作「響きと怒り」「八月の光」「アブサロム、アブサロム」のどれかが彼の訳だったはず。

とにかく新潮文庫の大久保訳はほとんどないわ、中公のは貸出中だわ、で、借りてきたのがフォークナー全集の「野性の棕櫚」。こちらはアメリカ文学者の訳ですが、やっぱり大久保訳が見たい、という思いもあり、いろいろ調べたところ、河出書房の古い全集に入っているのを発見。これが県立図書館の遠方の館にあるので予約。中公文庫も一応、予約待ちにしてますが、これで3つの翻訳を比べられるなあ、って、いったい何をしてるんだ、自分。

昔はフォークナーの翻訳って、普通に本屋さんにいっぱいあって、人気作家だったのに、いつのまにか翻訳が手に入らなくなってるな、ということはだいぶ前から感じていました。でも代表作は新訳で出たりしてるので、人気がないわけではないのかな、と思っていたけれど、今回、「野生の棕櫚」の件で、やっぱりフォークナーは最近人気ないんだ、人気あったのは大橋健三郎が東大教授だったから?などと考えてしまったのです。

あの頃はアメリカ文学研究といったら、フォークナーだったんですよ。

映画に出てきたパトリシア・ハイスミスの「11の物語」も貸出中で、こちらも予約待ちです。

2016年6月14日火曜日

なんだかなあ

アフリカ系アメリカ人のバレエダンサーを起用したCMで、バレエアカデミーが応募者を不採用にする手紙みたいなのを流してるんだけど、これを実際にこのダンサーが受け取った手紙だと言っているサイトがいくつかあった。
でも、普通に考えて、おかしいと思ったので、いろいろググってみた。
すると、このダンサーは13歳のときにバレエ教師に才能を見出され、この教師の推薦でバレエ学校に通って頭角を現したらしい。
彼女の経歴などを英語のサイトで見ても、彼女がバレエアカデミーに拒否されたという記述はなかった。
この手紙も、最初に「応募者様へ」と書いているが、普通、不採用通知に「応募者様へ」とは書かない。相手の名前を書く。
手紙の内容も、ダンサーの容姿がバレエに向いていないということ、13歳では遅すぎるということで、こういう理由でアカデミーが断るとは思えない。
アカデミーが断る理由はダンサーとしての資質や技量にもとづくはずなのだ。
ただ、13歳では遅いとか、容姿がどうとかは、一般的なクリシェイとしては存在する。
バレエは10歳くらいから始めるのが一番いいのだそうだが、有名なダンサーが3歳で始めたという話が伝わったりすると、13歳では相当遅いと感じてしまう。しかし、実際は10歳が適齢期だとすれば、13歳は少し遅いにすぎない。実際、13歳から始めて有名なローザンヌ賞を受賞したダンサーは日本にもいる。
確かに世の中にはこういう人はこういう仕事には向いていないというクリシェイがあって、それであきらめる必要はないのだと言ってもらえるとうれしい人は多いだろう。だからそのダンサーも人気があって、彼女が出演する演目はソールドアウトなのだそうだ。
なんだかなあ。
その昔、キャスリーン・バトルというアフリカ系アメリカ人のソプラノ歌手が日本のCMで大人気になって、メトロポリタン・オペラが来日したとき、彼女の出る「フィガロの結婚」は即ソールドアウトだったのだそうだ。バトルは実力のある歌手だけど、そのメトの公演で私がすべての公演を見た「ホフマン物語」にもアフリカ系アメリカ人のソプラノが主役で出ていた。でも、彼女の方は注目なし。なんだかなあ。
くだんのバレエダンサーは貧しい家に生まれ、母親は次々と男を替える生活、そんな中でバレエの才能で成功したアメリカン・ドリームということで人気が出るのはわかる。あの架空と思われるアカデミーの手紙にあるような偏見をものともせずに成功したのも事実だろう。
でも、あの手紙は、フィクションだと思うのだ。そういう風潮をもとにしたフィクションで、バレエの世界を知る人にはちょっとね、な内容じゃないだろうか。
一般人に受けるけど、その世界を知る人にはちょっとね、というのを見ると、なんだかなあと思うのである。
そのダンサーは自伝を出して映画化もされるということで、一部では、バレエより自己宣伝に力が入っているとか、バレエの技術はまだまだなところがあるとか批判されている部分もあるようだ。実力があるのは確かなのだから、あまり色物にならないでほしいと思う。

2012年9月8日土曜日

ドビュッシー、音楽と美術

ブリジストン美術館で開催中の「ドビュッシー、音楽と美術」という展覧会に行ってきました。
公式サイトhttp://debussy.exhn.jp/

これで、以前紹介した夏の美術展4つ全部制覇したことになります。
ドビュッシー展はオルセー美術館、オランジュリー美術館、ブリジストン美術館共同企画と銘打っていますが、なんか、ブリジストン美術館のものが多いような気がしました。ここはかなーり昔に一度行ったきりなんですが、見覚えのある絵がけっこう…。
それ以外でもバーン=ジョーンズがあったり、ニジンスキーの写真があったり、カミーユ・クローデルの彫刻があったり、広重や北斎の浮世絵があったり、その他、ルノアール、ドガ、モネなどなど(モネはブリジストンがけっこう持っているのね。ここと西洋美術館合わせたらかなりの数のモネが日本に)。その他、ドビュッシーの楽譜などもいろいろ展示されていました。
4つの展覧会の中では一番すいていて、会場も1つの階だけで、展示室の移動の自由度も高く、4つの美術館の中では一番自由に動けるところです。青に統一された特別展の展示室も落ち着きがあり、そこにドビュッシーのピアノ曲が流れるという優雅な空間でありました。
というわけで、そこそこ見応えのある美術展ではあったのですが、なんというか、ドビュッシーに無理にこじつけていろいろ集めているようなところもあり、その辺の強引さがなんだかなあというか。また、フェルメールを売りにした上野の2つの展覧会に比べ、目玉がないというか、一応ルノアールが目玉になっているみたいだけど、全体に見入ってしまうような作品がなかったです(私にとっては)。彫刻なども壁際に置いてあるものが多く、ベルリン美術館展の彫刻の置き方、見せ方のすばらしさに比べ、不満が残ります。出品がとりやめになったり、8月中旬に出品が終了してしまったものもあるのね。
というわけで、ドビュッシー・ファンの私から見てもイマイチな展覧会でした。
しかし、ブリジストン美術館は絵葉書が安い。平常展の絵葉書はなんと50円です! ドビュッシー展の絵葉書はあまり数がなくて、買いたいのはバーン=ジョーンズのこの絵だけでしたが、1枚ではなんなので、ブリジストン美術館から出品されたモネを2種類買いました(どちらも初めて見た絵ではないので、なんだかなあ)。

バーン=ジョーンズ「王女サブラ」

ニジンスキーのバレエの絵が何枚もあって、これはよかった。でも絵葉書はなし。映画「ニジンスキー」で、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」を踊るシーンの最後の場面でショッキングなことが、というシーンがありましたが、その牧神が最後にニンフのスカーフの上に横たわるシーンもありました。

帰りに山手線に乗ったら、上野からマウリッツハイス展の青い袋を持った人が何人か乗ってきました。バーン=ジョーンズ展以外はまだやっているのですね。バーン=ジョーンズはもう一度見たかったけど、期間が短すぎた。もっとゆっくり、ゆったりした会場でやってほしいです。まだやっているのではベルリンがもう一度見たいけど、もうすぐ終わりかな。ドビュッシー展だけは10月中旬までやっています。

2011年1月22日土曜日

ブラック・スワン

http://sabreclub4.blogspot.com/2010/10/blog-post.html
 このブログは映画の検索から来る人が多いようで、特に「英国王のスピーチ」、「冷たい熱帯魚」、「わたしを離さないで」、「アンチクライスト」に「ネタバレ」をプラスして検索している人が多いようです。
 そして、上の、オーストラリア・バレエ団の「白鳥の湖」の鑑賞記に来る人もいるようなのですが、どうやら、ナタリー・ポートマンがゴールデングローブ賞を受賞した映画「ブラック・スワン」の関連で検索されている?
 というわけで、日本での関心度も非常に高く、4月にシャンテシネなどミニシアター系公開の予定だったのが、急遽、5月に日劇などでの拡大公開と変わったダーレン・アロノフスキー監督の「ブラック・スワン」を見てきました。
 アロノフスキー監督といえば、直近の作品はミッキー・ローク主演の「レスラー」ですが、私にとっては彼は「π」や「レクイエム・フォー・ドリーム」のアート系作家。なので、「レスラー」を見ても、私にとって興味があったのは、アロノフスキーらしい映像表現と、そして、プロレスラーという職業にはつきものの肉体の痛みの生々しい表現でした。プロレスというのはショーなので、演出があって、お互いにケガのないようにやっているわけですが、それでも、互いを傷つける演出は常にあって、痛そうなのにそこまでやるのか、とか、試合が終わったあとのほんとに痛そうなシーンとか、そういうのが一番印象に残っています。
 たぶん、「π」や「レクイエム・フォー・ドリーム」を見ていない人にとっては、「レスラー」は何より人情話なのでしょうが、そして実際、そういう部分も感動的なのですが、そういうところは別の監督でもできるし、というのが正直な感想でした。
 でも、アロノフスキーもこれで一般の観客を感動させるメジャーの監督になってしまうのかな、と思っていましたが、新作「ブラック・スワン」を見て、やっぱりこの人は違う、感動やら癒しやらの普通の監督にはならない、と確信しました。
 ポートマン扮するヒロイン、ニナは、完璧なテクニックを持つが、感情表現が苦手なバレリーナ。しかも、彼女を身ごもったためにバレエをあきらめた母親(バーバラ・ハーシー)の異常な期待と抑圧のもとで育ったために、精神的に不安定で、ストレスに弱く、どうやら自傷行為もしていた模様。そんな彼女が「白鳥の湖」の主役に選ばれる。しかし、この公演では、白鳥を演じるバレリーナは黒鳥も演じなければならず、王子を誘惑する邪悪な黒鳥になりきれない彼女は、芸術監督(ヴァンサン・カッセル)やライバル(ミラ・クニス)からのプレッシャーを受けて、しだいに幻覚を見るようになっていく……というお話(この程度ならネタバレにはなるまい)。
 実は、「白鳥の湖」では、ヒロインの白鳥(オデットという名前なのだが、映画では白鳥の女王となっている)と、オデットに化けた黒鳥の両方を同じバレリーナが踊るのは負担が大きすぎるので、黒鳥は別のバレリーナが踊ることが多いようです。20年くらい前に私が見た英国ロイヤルバレエ団の「白鳥の湖」では、黒鳥は日本人の吉田都が踊っていました。当時は吉田はまだ新進気鋭の若いダンサーでしたが、彼女の黒鳥はなんだかとても健康的だったような印象があります。
 しかし、もともと黒鳥は王子を誘惑するためにオデットに化けた娘ということになっているので、本来は黒鳥も主役が踊るものだったのだと思います。つまり、「白鳥の湖」は、オデットに恋した王子のもとにオデットに化けた黒鳥が現れ、王子を奪ってしまう、という筋書きなのですが、服の色が違うのに、なんで王子はオデットだと思い込むんだ、と、普通、思いますよね。たぶんこれは、観客があれはオデットじゃない、とわかるためで、王子の目には黒く見えてないんじゃないか、顔が同じだからだまされてるということじゃないかと思うのです。
 一方、この映画では、黒鳥はヒロインの白鳥に化けたのではなくて、最初から別人で、白鳥に恋する王子を横取りしようとする黒鳥、ということになっているようです。それを同じバレリーナが演じることで、女性の二面性を出そうとしたとか、そういう演出なのでしょう。
 白鳥と黒鳥が別人といえば、最初にあげたオーストラリア・バレエ団の「白鳥の湖」も、白鳥と黒鳥は別人で、2人が王子を奪い合う話になっていました。しかも、この演出では、上の記事にも書いたように、白鳥と黒鳥にあたる2人の女性の衣装が白と黒に分かれていない、むしろ、2人とも物語が進むにつれて、白い衣装から黒い衣装へと変わっていくわけです。
 そんなわけで、白鳥と黒鳥の対比やあいまいさというのはなかなかに面白いテーマであるのですが、「ブラック・スワン」では、それが舞台以外の現実でのヒロインの幻覚や妄想になっていくのが見どころです。
 「レスラー」との関連でいえば、この映画もまた、肉体的な痛みのひりひりするような描写が文字通り痛い映画です。バレエダンサーもプロレスラー同様、肉体を痛めつけながらみごとな踊りを生み出しているわけです。そのダンサーとしての痛みに加え、ここではヒロインの自傷行為や幻覚の中の痛みが赤い血とともに描かれていきます。また、幻覚という点では、薬物中毒の「レクイエム・フォー・ドリーム」を思い出します。あの映画も母親が重要な役割を果たしていました。
 そんなわけで、メジャーの娯楽作でありながら、「π」や「レクイエム・フォー・ドリーム」に限りなく近い、私には大満足のアロノフスキー作品です。
 アロノフスキーは「レクイエム~」では母親役のエレン・バースティン、「レスラー」ではミッキー・ロークをオスカー候補にしましたが、「ブラック・スワン」ではポートマンがオスカー有力視されています。それに加え、ヴァンサン・カッセル、バーバラ・ハーシー、ミラ・クニスの演技もすばらしい。役者からいい演技を引き出す監督なのだなあと思います。

2010年10月12日火曜日

オーストラリア・バレエ団「白鳥の湖」

 結婚間近の王子が愛人と密会し、ベッドを共にするという、衝撃のシーンから始まるオーストラリア・バレエ団「白鳥の湖」を見てきました。
 場所は上野の東京文化会館大ホール。小ホールは最近行ったけど、大ホールは久しぶり、もしかして20年以上? 今回は安いD席だったので、4階のサイド。舞台の一部が隠れて見えない。が、舞台はすばらしかったです。
 「白鳥の湖」というと、中世の王国を舞台に、王子が白鳥に姿を変えたオデット姫と出会い、というファンタジーで、チャイコフスキーの名曲に乗って、白い衣装をつけたバレリーナが群舞をするというイメージ。だが、このオーストラリア・バレエ団のグレアム・マーフィの演出は英国王室のチャールズ皇太子とダイアナ元妃にヒントを得て、時代もたぶん、19世紀末くらい。王子と結婚したオデットが、やがて王子に愛人がいることに気づき、精神を病んで精神病院に閉じ込められ、そこで白鳥の湖の幻想の世界に生きる、という物語に生まれ変わりました。
 ということで、以下、ネタバレありで話を続けていきます。さしつかえない人のみ、お読みください。

 王子と愛人の男爵夫人が一夜をすごすプロローグのあと、舞台は第一幕へ。白を基調とした舞台の奥には湖があり、その手前では王子とオデットの結婚式を祝うダンスが繰り広げられています。女王とおぼしき威厳のある女性とその夫も登場。が、やがて、白いドレスの人々にまじって、黒い衣装のダンサーが次々と登場し、そして、愛人の男爵夫人が王子に近づき、オデットから王子を奪っていきます。王子を奪われたオデットはショックを受け、周囲の人々、特に女王に訴えかけますが、冷たくあしらわれてしまいます。そして、狂気に陥ったオデットは大きな白い帽子をかぶった看護婦たちに連れていかれてしまいます。
 オデットと男爵夫人がどちらも白っぽい衣装を着ているので、遠くの席からだとちょっと見分けがつきにくかったのですが、背の高い方が男爵夫人とわかり、そのあとは大丈夫でした。オリジナルの「白鳥の湖」ではオデットは白い衣装、魔女とその娘は黒い衣装、というふうに、白と黒(白鳥と黒鳥)とはっきりしていたのですが、この演出ではそういう分け方はしていません。登場人物に白黒をつけない、という意図とも思われますが、このモチーフは最後まで続きます。特にプロローグの男爵夫人は真っ白な衣装で登場しています。
 第ニ幕は精神病院。すぐ前に壁があり、真ん中に出窓のような部屋があって、そこにオデットがいる、というセット。非常に狭くて窮屈なセットですが、その壁と出窓が取り払われると、そこは青を基調とする白鳥の湖。第一幕と同じセットですが、照明や美術で印象が変わっています。そこで繰り広げられる白鳥たちの踊りは、従来の「白鳥の湖」に限りなく近く、衣装も、第一幕はモダンな衣装で、女性たちはくるぶしまで隠れる長いスカートをはいていましたが、ここでは従来の「白鳥の湖」に近い白鳥の衣装になっています。やがてそこに王子がやってくるが、男爵夫人が現れ、王子を連れ去ってしまう、というのはオデットの見た夢なのか、やがて、舞台上にはまた精神病院の壁と出窓のような部屋が現れます。
 そして黒を基調とする第三幕。男爵夫人が自宅で主催する夜会。ダンサーたちはここではみな、黒い衣装を着ています。が、そこへ、まぶしい白い光とともに現れる白い衣装のオデット。正気を取り戻した彼女が王子を取り戻しにやってきたのです。しかも、王子は、戻ってきたオデットを見て、彼女が好きになってしまい、袖にされた男爵夫人はオデットを精神病院に戻してしまうが、王子はそのあとを追い、捨てられた男爵夫人は泣き伏す、というところで、場面は変わって白鳥の湖へ。
 第一幕では白基調、第ニ幕では青基調だった白鳥の湖は、ここでは黒基調に変わっています。白鳥はみな黒鳥になり、オデットも黒い衣装で登場。美術も照明も黒っぽいので、ちと、舞台が見づらかったですが、善人を白、悪人を黒としない演出、白黒をつけるのではなく、白から黒へと物語自体が色彩を変えていく演出なのだと思いました。
 いまや黒鳥の湖となったその舞台へ、王子がやってきます。あとを追って男爵夫人も登場しますが、王子の心がオデットにあるとわかって、ついに男爵夫人もあきらめ、帰っていきます。湖畔で結ばれるオデットと王子。しかし、オデットは、黒い湖の中に吸い込まれていき、あとには白い光だけが残り、そして、王子は悲しみのあまり、その場に崩れ落ちる、という結末。
 最後まで書いてしまいましたけど、今日、10月11日が最後の公演だったので。今日の公演でオデットと王子を踊ったマドレーヌ・イーストーとロバート・カランが出演しているDVDを会場で売っていましたが、5040円もするので買いませんでした(衝動買いは禁物)。そして、帰宅してからアマゾンで調べてみたら、アマゾンだと10パーセント以上安く買えます。しかも、買って見た人のコメントによると、映像がひどいらしい。うーん、それは困る。買わなくてよかったかも。男爵夫人は、今日の舞台ではルシンダ・ダンでしたが、DVDは別の人らしいです。オケの指揮者は女性でしたが、このDVDでも同じ人です。

 ところで、上のストーリーは、私が見て、たぶんこうだと思ったストーリーなので、実際は違う、あるいは見る人によって解釈が違うところがあるかもしれません。第三幕の後半、黒基調の湖のシーンは、手元のチラシによると、精神病院に戻されそうになったオデットが逃げてきたところとなっているのですが、第2幕と同じく、ここは精神病院に入れられたオデットの夢とも取れると思います。王子はオデットの夢の中まで追いかけてきて、男爵夫人もそのあとを追ってくるのですが、男爵夫人は結局、現実に戻り、オデットは死の世界へ旅立ち、そして、二股かけて悲劇を生んだ王子は夢と現実の間で泣き崩れる、そういう話じゃないかと、私は思いました。
 だって、黒基調のこのシーン、「シャッター・アイランド」と「インセプション」を思い出してしまったのだもの。
 妻を追って夢の中に行く夫、妻に対する夫の罪の意識、そして悲劇と、あの2つの映画にあまりにもモチーフが近いような。影響関係とかはなくて、むしろ、普遍的な物語だということなのだと思うけど(バレエの初演は2002年)。
 王子をめぐる2人の女性、オデットと男爵夫人の思いがみごとに表現されていて、第一幕でのオデットの孤立と狂気、第2幕での捨てられた男爵夫人の悲痛さが、まるで演劇のように胸に迫ります。特に第一幕は、舞台上でいろいろな人がいろいろな動きをしていて、そこで男爵夫人に夫と子供がいることがわかったりします。王室の人たちが、王子の愛人を認めないオデットに冷たいのもよくわかります。
 そんなわけで、大満足の「白鳥の湖」でしたが、そういえば、たぶん、20年くらい前に、この同じ文化会館大ホールで、英国ロイヤルバレエ団の「白鳥の湖」を見たのを思い出しました。あのときはもちろん、オーソドックスな演出で、とにかく、バレリーナの群舞で、みんなが足をあげると、それが全員、ぴったり合ってるのに驚きましたが、今回のはそういう精密なテクニックで見せるバレエではなかったですが、登場人物の感情を表現する踊りという点では、こちらの方が見応えがありました。
 今週末はもう1つの演目、「くるみ割り人形」を見る予定です。こちらも20世紀のバレエの歴史になっているとかで、楽しみ。このオーストラリア・バレエ団の公演を知ったのは、7月に井上バレエ団の「コッペリア」を見に行ったとき、チラシをもらったからです。井上バレエ団の「コッペリア」も、主役のバレリーナがすばらしくて、拍手喝采でした。